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虚実日記3月

3月1日
先日新調したお気に入りのズボンはポッケが浅くて悩ましい。急かされるように乗り込んだエレベーターには階数表示の画面がなかった。箱はみるみる上昇し、何階なのかも分からぬままに上がる感覚だけで取り残されていく。ようやく何処かへ到着し、扉が開くと、ポッケから何かがこぼれた音がした。

3月2日
さっきマクドで女子高生が
「ものまね紅白歌合戦の紅白って
 意味が全然わかんねーんだけど」
「#拡散希望リツイートお願いしますって書いて
 いいねされるみたいな?」
「フェミの話」
「ぼんぼちとぼんじりは同じだし、ももとむねはどっちがどっちだか分かんなくなるみたいなことっしょ?」
とか言ってないし女子〇生はいないしこのテンプレは死んだ俺が殺した

3月3日
観てる人にあのひと演技上手いなって思わせるようでは演技上手くないって思い出しながら食べた炊きたてのご飯が美味い

3月4日
卵かけご飯が好きだ。
食べているのに吐いている気がするから。

3月5日
腰をやった。人は腰に支えられて生きているのだと、腰をやって初めて人は気づく。人と人が支え合ってるんじゃない。人は「腰」が支えている。腰をやると、腰に負担をかけないように全ての動作は低速になる。そして自ずと身の置き所はなくなる。つまりいかなる姿勢をとろうと腰には痛みが走り、予断を許さない状況に陥るのだ。そうだ。簡潔に言えば腰は死ぬ。他の身体の部位は 痛むだが、腰は違う。腰は死ぬ。以上

3月6日
ダイアンもうこれ以上売れないんだろうなあって考えたら、おかしくってしょうがなくって たくさん笑った。なんで売れないんだろう。こんなに俺は好きなのに。千鳥はあれだけ愛されて、ダイアンだけ除け者なのありえない。「きっと絶望って、ありえたかもしれない未来のことを言うのだと思います。」坂元裕二の本にあった台詞。ダイアンみて絶望した。

3月7日
クルーズ客船〈ダイヤモンドプリンセス号〉に関する報道を見聞きしていたら、タイタニックが見たくなった。船内の映像を見れば船の映画を観たくなるとはおれは単純な男である。タイタニックは、昔観た覚えは確かにあるのだが、それは恐らく小学生のころに金曜ロードショーの二夜連続放送で観たとかで、当時まだ小さかったこともあり記憶は相当曖昧である。先日ようやく契約したAmazonプライムで観ることにする。映画が始まって30分が経過。依然として観た覚えのないシーンの連続である。子どもにとって作品の導入なんて、記憶の片隅にも残らないほどにどうでもいいのだろう。インパクトだけが作品の記憶になりえる。そして今リアルタイムで観ているおれにとってもそれは例外ではなく、正直に言えば、はやく氷山にぶつからないかな~なんて思ったりもしている。貰えるはずの物を貰えずに焦らされている、といった感じだ。しかし、この映画を観ているときもやはりコロナのことは頭をよぎる。船が停泊している横浜は、同じ神奈川県で生活しているじぶんにとってかなり近い場所といえ、他のことを考えて気を紛らわそうとも気になるものは気になるのだ。政府の対応は本当に大丈夫なのだろうか。フィクションが現実に迫ってくる。タイタニック船内のウイルス対策は十分だろうか。心配しながら心沈んでいく。

3月8日
知り合いの映画監督がツイッターやインスタで、死にたいってずーっと書いている。今に始まったことではないが最近特に酷い。ここまで書けば、関係者各位なら「ああ、あの人ね」ってすぐに分かるはずだ。なんかね、愛されてないらしいのよ、あの人。あれだけ書いてるんだから、かなりのもんだね。愛されてない度でいえば、かなり愛されてない部類に入りますよ。はい。まあしかし、それはあれだ。それだけ愛されたことがある。愛された時間があるって証だ。おれはそういったことにまるで縁がない。

3月9日
5月の頭に出演舞台を控えており、今日はその舞台の顔合わせ兼読み合わせだった。公演は再演の予定で、過去に上演した台本をもとに再構築するはずだった。読み合わせを行うと、台本には、今のコロナ渦の状況に関連づいてしまう箇所がいくつかあった。数年前に書かれた本であるからそこに作家の意図はないのだが、上演すれば何か意味を含んでしまうと思われた。表現を変えるべきか協議している。
「今」や「時事ネタ」は意味が強い。それは台本に限った話ではなく、普段のコミュニケーションでもそうだ。じぶんが何を思っているのか、言葉にして相手に伝えてなければならない場面は生活の中でたびたび訪れる。しかしおれは、おれのことを正確に言えた試しがない。今は意味が強いので、未来で「今」話したい。「あの時はこう思ってた」には「今は違うけど」と容易に付け足せやしないか。憧れている。

3月10日
おかげさまでテレビを見る時間が増えました。ワタクシ、各局14時から16時にかけて、同じ時間帯に同じぐらいウザい人がたくさん画面に出てくることを発見致しました。不快感を畳み掛けるのはよして欲しい。

3月11日
とても楽しみにしている5月の公演が無事上演出来るのか心配で仕方がない。もうすでに上演を延期・中止する団体もちらほら出てきているようだし、うちは大丈夫なのだろうか。まだ少し先の話とはいえ、公演1か月前から始まる稽古のことを考えると無関係ではなく、政府の方針にかなり影響を受けることになりそうだ。今後感染者の数はどこまで増えるのだろう。自粛を要請されることもあるかもしれない。もし自粛が必要であるとすれば、それはどこまでの範囲で、どこまでの強制力をもつのか。公演ができるとしたら、稽古場や劇場で出来る対策は何なのか。そもそも十分な対策はできるのか。もし公演を行えたとして、感染者がいた場合や感染者が出た場合の対応はどうするのか。そんなことばかり考えている。とにかく何をするにも落ち着かない。今日は20秒の動画ですらスキップしながら見てしまったし、買い物袋からはみ出るネギを見ては感染源になるまいかと心配してしまったし、LED信号機を横から見ては そのあまりの薄さに不安を感じてしまった。ここのところ空気を入れ換えるために換気をしているが、換気が原因で風邪をひかないかと心配になってきてもいる。一刻も早く平穏が戻ってくればいいのだが。

3月12日
「風呂上がりのビールは金で買えねえ」と言いながら、稼いだ金で買ったビールを手に取り、フェイスパックをしながら口元の小さな隙間からちびちび飲んだ。おちょぼ口で飲むビールはマズい。

3月13日
ここにきて蛭子さんのツイッターが心の拠り所になるかもしれない。蛭子さんほど食事の感想を言う人をおれは知らない。食ったものが美味いとき美味いと言い、マズいときマズいと言う。かれは果てしなく正直者である。昨今、正直であることがやたら持て囃されている印象があるが、正直が行きつく先はこうだぞ!と蛭子さんを見るたびそう思う。完全な狂人である。今後日常生活の変化は免れないと思われ、これまでの日々を愛おしく思える日がくるかもしれない。そこで蛭子である。失ったものを取り戻そうとするために綴られる日常は人工でしかなく、悲しさを招くだけだ。振り返れば、残された日常で蛭子は菓子を食っている。

3月14日
バイトからの帰り道の路上で靴紐がほどけた。傍にあった適当なブロック塀に足を乗せ、再びほどけないように固く結び直した。わずかな時間であったものの、傘を肩に避難させていたせいで服は若干湿っている。
長靴の靴紐はよくほどける。雨の日に履くものなのだから絶対にほどけない仕組みであってほしいが、寧ろふつうの靴より高い頻度で紐はほどける。雨のなか濡れた靴紐を結ぶことがどれだけ面倒か。長靴を結び直すたび、この一連の動作は一種の侮辱ではないか?と思えてくる。
大粒だった雨は、雪へと変わりつつある。

3月15日
目薬を買う。値段はマチマチ。ここには250円から700円まで置かれてる。迷わず250円を手に取る。こういうとき貧民は一番安いものしか選べない。たかが目薬に贅沢はできないのだ。

3月16日
何もなくても体温ぐらいは測った方がいいかと体温計を脇へと挟んだ。測っても測っても34.8℃。
ボケているのか何なのか体温がつまらない。お願いだからしょうもない冗談はやめてほしい。

3月17日
「有名人の倒し方」を説明しているときの百獣の王・武井壮は無防備である。それは人間でいうと「目薬をさしているとき」の無防備さに匹敵する。かれは普段群れて生活している。腹がへると、狩りが成功したときのイメージをして飢えをしのぎ、有名人として稼いだ金で飯を食う。

3月18日
AKB柏木由紀がMBSラジオ「アッパレやってまーす!」に出演。新型コロナウイルスの影響についてトークする中で「握手めっちゃしたい」ともらす場面があった。本当に変わった人だなと思った。完全にどうかしてる。しかし もしやすると、普段から握手することが習慣づいているひとは握手したくてたまらなくなるのかもしれない。朝目を覚ますみたいに、顔を洗うみたいに、握手をするのかもしれない。ワイドショーを見ていても、外国の大臣が会見のあと思わず握手を交わそうと手を差し伸べてしまう場面もあるみたいだし。習慣とは恐ろしい。放っておくと意識の下に勝手に入り込んでくる。

3月19日
男は不安定を8時間流し続けた。どうしようもない時の心の安定剤。ほんとに駄目なときはズックにロック。

3月20日
100日後に死ぬワニが死んだ。
今日2020年3月20日は古代インド人やマヤ文明が人類滅亡の日としているようで、気持ち的に他人事ではなく一日を過ごすこととなった。今日死ぬのはおれかもしれなかったが、たまたま今日死んだのはワニだったのだ。3.11震災のとき、変わらない日常を届けてくれていたのは「笑っていいとも」だったと記憶している。日々変わっていく今の状況において、偶然にも、変わらない日常を見せ続けていたワニが死んだ今、我々は何に日常を見出せばよいのだろう。

3月21日
昼食から時間が経って小腹がすいた。時計を見れば午後3時、おやつの時間だ。腹に溜まるものは何かないかと冷蔵庫を開く。食材は揃っているが食べたいものは一つもない。冷蔵庫の中は基本的に虚無しかないのだ。仕方がないので家の近くのコンビニに行くことにする。最寄りのコンビニまでは歩いて2、3分。自宅から最寄り駅までは近いに越したことはないが、それ以上に最寄りのコンビニまで近いに越したことはないので大助かりだ。2、3分を経て中へ入れば、こんな時だというのに店内は込み合っていて、レジの前には行列が出来ていた。間隔を空けているので行列が長い。濃厚接触を避けたいので、急いで適当な甘物をこしらえ列へと並ぶ。これ、おれも並んでるってわかるのか?ひとつ前の客の背中が遠いことが不安を誘う。専ら横入りし放題である。慣れない間隔に戸惑いながら並んでいると、順番がきた。レジには飛沫感染を防ぐための透明ビニールシートがかかっている。「こちらお釣りになります。ありがとうございましたー。」お金を渡す際、店員は左手を添えていた。何でだと思った。普段であれば、印象の良い接客態度だと感じるくらいなもんだが、今回ばかりはそうは思えない。せっかく間隔をとって並んでいたというのに、レジには透明のビニールシートまでされているというのに、なぜここで手渡し且つ左手を添えて、直接接触してしまうのか。よく見れば小銭のトレイに「感染予防対策の観点から金銭の授受はこちらでさせて頂きます。ご協力をお願いいたします」と書いてある。幾多の努力も店員のわがままな善意で台無しだ。こうやって、たとえ万全の対策を敷いたとしても、実に何気ない方法で感染は広がっていくのだろう。

3月22日
コロナに打ち勝つ!って人いれば、コロナに負けない!って人がいる。対コロナを通して、勝負に対してのスタンスの違いを垣間見ている。おれはそもそもこれが勝負なのかどうかが分からないし、勝負にしてしまっていいのかも分からないでいる。しかし何らかしらの勝負が存在すれば、大衆の感情を煽ることはできそうだ。せめて「対コロナ」だけであればいいのだが。

3月23日
未来日記。今年のエイプリル・フールは嘘に厳しかった。だから誰も嘘はつかなかった。そんなことは嘘だった。

3月24日
東京オリンピックの開催延期が正式に決定された。
オリンピック開催の行方について、おれは一貫して否定的な考えでいた。もともと開催をさして喜んでもいなかったし、国が抱えている問題はあまりにも多すぎてオリンピックどころではないだろうと思っていたからだ。そんな最中に蔓延し始めた新型コロナ。世界規模でその猛威を振るい、感染は徐々に拡大しつつある。延期・中止の理由としてこれほど最適なものがあるだろうか。ウイルスに託けて延期を判断すればいいはずだ。そんなことを思っていたここ1か月と少しだった。しかし、いざ延期が決定され、テレビなどのメディアを通して選手の無念の想いに触れると、それは少し複雑なものになった。今年の開催は難しいという判断は正しいはずで、その考えは今でも変わらないのだけれど、開催の可否をウイルスが蔓延っているから、国のやっていることには賛成できないからという観点だけで俺は考え過ぎてはいなかったかと思い直したからだ。国やIOCがいくら介入しようとオリンピック競技は選手のものだ。その選手からしたら開催地などは場所でしかなく、〝競技が行われること〟こそ最も重要なことなのだ。オリンピックを目指していた選手がいる。オリンピック出場が確定していた選手がいる。かれらは最高の舞台を見据え、4年間もの長い歳月をかけて、常人では想像もつかないほど血の滲むような鍛錬を重ねてきたはずだ。かれらのことを思うと胸が苦しく劈きそうになる。

3月25日
明日のアー稽古中に知った政府からの自粛要請。Twitterが暗くなっている。落ち込みがあれば、励ましもあるが、無理して元気出そうとしてる感じもあって、却ってみんな元気ないのだと悟る。

3月26日
盛夏火を観に祖師ヶ谷大蔵へ。
青さとワクワク学園祭モラトリアム。 
観てるよりもやってる方が楽しそうだ。
饒舌だが、やたら噛んでは言い直す。
言い澱むことは決してない。
漫才のやめさせてもらうわ的な
「泊まらせてもらうわ。」
自宅の随所に設置された小道具アドベンチャー。
払ったお金を演者に踏まれて苦い顔。
ついさっきまでおれのモノだったのに。
目の前で紙幣がぞんざいに扱われている。
会場に入ったとき、一瞬扉を開き放しにしていたら、軽く怒りテンションをされたのだけれど、その態度への不快感を友だちと共有できたことは今日何よりも嬉しかった。

3月27日
不要不急の外出を避ける様にとの呼びかけが始まった。これから先しばらくは外出する必要があるか否か毎度確かめることになりそうだ。では差し迫った外出とはなんだろう。つまるところ「病院へ行く」ではないだろうか。go to travel. go to eat. ではなくて go to the hospital. てか go see a doctor.だ。文法が馬鹿だったので急いで大臣覚えて欲しい

3月28日
明日のアー5月公演の座組でリモート会議をした。新型コロナウイルスの感染は拡大の一途を辿っており、今後さらなる拡大が予想され、完全な収束に至るまではかなりの時間を要すると思われる。公演を実施するか否か、かなり難しい局面に入ってきている。今日の会議も元々は稽古場に集まって話し合いをする予定だったが、安全を配慮しリモートで行うことになった。ZOOMアプリをインストール。やり方が判然としないまま会議に参加することになる。
会議で出てくる意見には概ね同意。というか「全く同じ」で異論は何一つなかった。
公演は延期にすることにした。時期は未定だが、同じメンバーで気持ちよくやれるときにやる。
リモート会議を終え、退出すると、携帯の前でおれは安堵していた。というのも、会議が始まる前まで延期ではなくて中止になる可能性もあると危惧していたし、延期になったとしても同じメンバーで公演を迎えられるか分からなかったからだ。正直な話、おれだけ外されるかも?とも思っていた。
演劇は一期一会だ。全く同じ座組で同じ演目をやることは二度とないかもしれない。一公演一公演が奇跡の塊なのだ。

3月29日
昨日のことを反芻している。しばらく公演は難しそうだとか大人数で集まることも難しそうだとか自分の中では思っていても分かっていてもいざみんなで話し合って確認すると結局何故だか凹んでいる。今日目が覚めたらそのことに気がついた。どう考えても公演できないなーと感じてて、延期をした方がいいと考えていて、そう会議の場でも言っていて。でも、おれは俺の中で納得できていなかったのかもしれない。煮え切らない。とはいっても何も変わらないが。感じることも、考えも、意見も、現状も。

3月30日
友だちの亀ちゃんが地元北海道に戻ることになった。戻るというのは帰省ではなく、拠点を置くという意味だ。本来は4月の上旬に飛び立つ予定だったが、コロナの影響を加味して予定を早めることにしたらしい。共通の友だちである ちえこさんも交えて一時的な最後を開くことにした。集合場所は馴染みの深い祖師谷大蔵。Lineで連絡を取りあい、昼ぐらいに集まろうかと漠然とした予定を立て、当日みんなあたりまえのように遅刻した。一人ぐらい早い時間に現地到着しててもよさそうなものだが、誰一人としてそんなやつはいなかった。全員が揃ったのは15時。ほとんど待たなかった。おれらは気が合うなと心から思った。
改札前のドトールでコーヒーをすすりながら、なにするー?なんてぼんやり話す。「今日は天気がいいからお花見なんてどうかな?」ぼくがそう言うと、意見はすぐに議決された。近くによさげな公園を発見し、そこがぼくらの目的地となった。
歩き始めるとちえこさんが、トイレットペーパーが家になくて困ってると言うので、一緒になって探すことにした。トイレットペーパーの捜索兼花見である。コンビニやスーパーを巡るのだが、なるほど確かに見当たらない。トイレットペーパーどころか棚にはほとんど商品が並んでおらず、どこのかしこも品薄だった。何件か回ったあと、デイリーヤマザキでようやく1つ発見し、ちえこさんはすぐに購入した。僕らは何か大きなことを成し遂げたようでとても誇らしかった。この6ロールは勲章のようだ。公園までの道のりは風を切って歩いた。
来月から亀ちゃんは北海道に拠点を移して吉本NSC札幌校に入学する。札幌の地で、お笑い芸人としてのキャリアをスタートさせるのだ。亀ちゃんとは大学時代からの仲で、出会ってからおよそ4年の月日が経つ。もう4年かとも思うし、まだ4年かとも思う。気づけばおれが一番頻回に会う人になっていたし、一番話す人にもなっていた。ここに書くのにも恥ずかしいぐらいに、〝近い〟関係になっていたのだ。
彼女が北海道で活動を始めることは嬉しくもあり寂しくもある。もちろん念願だったお笑い芸人としての道を歩み始めることに関しては、全力で応援している。ここまで亀ちゃんと親睦を深めてこれたのは「お笑いが好き」という共通点があったからだし、もっと言えば、意気投合したきっかけは、ふたりともAマッソというお笑いコンビが大好きだということだった。思い返せば、Aマッソの出るライブには必ず顔を出すなど、ふたりで軽い追っかけのようなしていた時期もあった。彼女からは芸人になりたいという旨は何度か直接聞いたりしていたのでNSCに入ると聞いても特別驚くこともなかった。ただやっぱり、北海道に行ってしまうことは、ただただ寂しかった。北海道遠いもん。
なんやかんや1、2年会わなかった友人はいる。きっかけがあったとかじゃなくて、仲が悪くなったとかじゃなくて、気づけばずっと会わずに時間が経っていたということはある。それに寂しいとかはなくて、再び会えばすぐに元に戻れた。でも、「今日からあと1、2年は会えません」と言われると、そういう状況に置かれると、急に心は寂しくなる。まだ離れてる訳じゃないけど、もう、また会いたいって思ってる。
コロナが段々深刻になってきているようなので、NSCがちゃんと始まるのか心配だ。まだ会ったこともない人と会えなくなるかもしれないことを心配している。
30分ほど歩くと目的地の公園に辿り着いた。公園は思っていたよりも大きくて、満開の桜がどこもかしこも咲いていた。お花見をするのは少し時期が早すぎるかなと思っていたが、全然そんなことはなかった。ぼくらは適当におしゃべりしながら桜を楽しんだ。今年しっかり桜を見るのはこれが最後だろうなーと思いながら、一度でも見れたことを喜んだ。存分に堪能したなと感じたところで亀ちゃんが「大根公園ってのがあるけど行く?」と言い出した。祖師谷には大根公園ってのがあるらしい。公園をはしごした。大根公園には名前の通り、巨大な大根のオブジェがあり異様な存在感を放っていた。ただオブジェはオブジェなので遊び方はひとつもない。大きくて退屈な観賞物だ。遠くから眺めて、近づいて触って、おー。とか言った。なにがおーかはわからなかった。しばらくするとちえこさんが、「もう無理、駄目、これ以上持てない。」と言うので何のことだろうと思って見れば、トイレットペーパーをずっと持っていた右手がパンパンに腫れあがっていた。悪いことをした。おれは何にも考えていなかった。もう帰ろう。トイレットペーパーを持つ手を左手に持ち替えさせ、ぼくらはちえこさんの自宅へ向かうことにした。さて、お泊り会の開催だ。
ちえこさんの家は古本でできていた。壁も床も、全部が古本でできていた。ちえこさんは「お菓子の家があるなら、ここは古本の家でしょーね。おかしいわね」と呟いた。ぼくは、ちえこさん誰か家に来たらこれ毎回言ってるんだろうなあと思った。ちえこさんは笑っていた。気がつけば魔法のように時間は過ぎ、あっという間に日付が変わった。今日はあまりにも色んなことがありすぎた。始動が遅かったわりに盛りだくさんな一日だった。やれることは全部やったってかんじだ。ひとつ後悔があるとすれば、大根公園の大根のお尻を撮り逃したことくらいだ。

3月31日
5時35分、携帯のアラームが鳴る。すぐさま手元へ引き寄せ、停止ボタンを押す。
眠い目をこすり、むりやりに上体を起こして目覚めようとようとするも、引力のような強烈な眠気に抗うことは難しく、ベッドの木枠に凭れ掛かってぼんやりする。人生のロスタイムである。結局睡魔には勝てず、一旦布団に寝転がることにした。あくまで、一旦。
5時45分、再び携帯のアラームがなる。今度は飛び起きて急いで音を消す。自分で設定したくせ鳴ったら鳴ったで腹立つのがスヌーズというものだ。助かってるくせ礼は言わない。代わりに出るのは舌打ちである。このままウダウダ時間を過ごす訳にもいかない。今日はこれからバイトがある。いち早く睡眠への誘惑を振り払い、今日を始めなければならないのだ。定まらない足取りでいそいそと洗面場へ向かう。床も見れば亀ちゃんが、持参した私物の寝袋の中で寝息を立てている。なんて健やかだろう。そしてその寝袋に包まった姿はまるで蛹のようでもあった。新たな一歩を踏み出した彼女の人生がより健やかなものでありますように、蝶のように羽ばたきますように。願いを込めて柏手を打つ。〝パンッパンッ〟
「おはよう」声が重なる。想定よりも大きく鳴り響いた柏手の音にふたりは目を覚ました。かつてない起こし方をしてしまった。ロスタイムが生んだ偶然。退屈な時間は、一瞬で豊かな時間になりえる。
札幌に向かうのは亀ちゃんだというのに、俺が飛び立つ訳ではないのに、バイトがあるせいで一番乗りで出発しなければならないことが悩ましい。コンタクトも入れず、ろくに髪の毛もセットできず、ボサボサの状態で出発時刻を迎える。ふたりが玄関まで来てくれた。見送りをしてくれるようだ。短い言葉を交わす。「じゃあね。」「うん。でもまあ、すぐ会うよ、きっと」「うん。」玄関の扉を開けると、満開の桜が咲いていた。

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