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虚実日記1月

1月1日
あけましておめでとうございます。今日は一月一日元旦です。元旦ですがバイトへ行きます。普段と何ら変わりません。いつもと同じ月初め、いつもと同じ水曜日。特別らしいことと云えば、朝、おせちを食べたことくらいです。なんで食べたかったって、元旦だからです。お重に入った綺麗な食べものたちは、辛うじて食べものだとわかる程度で得体が知らず、なにこれ、と呟きながら恐る恐る口へと運びました。食べられるものが増えたと言っては重ねた歳を確かめ、特にこれといった感想もないまま、しょっぱいものを食すのです。テレビをつけると毎年恒例の正月番組、芸能人格付けチェックをやっていました。みんなしてちっちゃいメシを食わされていました。一流とか三流とかどうでもいいなと思いました。こんなちっちゃいメシ食わされてる時点で。

1月2日
朝から小錦の鯖折り見て元気なかった。

1月3日
M-1敗者復活のトムブラウンでアホほど笑った。かれらとんでもなくずっとアホやった。むちゃくちゃすぎてめちゃめちゃ笑う。面白いんだがつまんないんだかあとになったらきっとわかんなくなるだろう。芸人さんてかっこいいってトムブラウンにぴったりの言葉だ。知性とか技術とかまるで感じさせない、あんなもんつまんないよっていつでもバッサリいけるかんじ最高。それでいてめちゃ笑かせられること。技術で笑うとき大抵それは大爆笑ではないし、だからこそ技術を感じさせないトムブラウンは際立っている。ぜんぜん凄くなさそう。すごくない凄さ。トムブラウンで大爆笑しているおれ、すげえつまんない人と思われそうだ。こんなんで笑うのか。あのネタでめっちゃ笑ったとは余計な人には知られたくなさあるね。ちょっとは賢く見られたいっていうへんな自意識。でもいい、それでいい。率先して思われたい。思われていいので自由に笑う。

1月4日
こんまりの本を読んだ。非常に感銘を受けた。
人のこと物みたいに扱うことにした。

1月5日
フリースタイルダンジョン正月SPの見逃しをAbemaで見た。若手からベテランまで錚々たるメンバーが集結しチーム戦を繰り広げていた。その中に特別観覧ゲストとして村西とおるが参加していた。何故だ?と思った。「いや待て、おれが知らないだけで、意外とラップ好きなのかもしれないぞ」と希望を持って見始めたのだが、全くもってそうではなかった。全然ラップのこと知らなくて、番組冒頭に話をフラれてるとトンチンカンなことを言っていた。大した興味もなさそうだった。それ以降、彼が話をフラれることはついになかった。お地蔵さんだった。一応おっさんだし、ダジャレくらい言ってもいいものだが、彼はそれもしなかった。ずっと口を閉ざして黙ってた。なんでここにいるんだ、と思った。「かもしれない」とかじゃなくて、確実に喋らなすぎ。笛くらい吹けよ。

1月6日
年賀状のことを考えている。
まだ小さいころ、年末になると大量の年賀はがきに向かう両親の姿に憧れ、見様見真似で始めた恒例行事は、さして定着もせず、あっという間にじぶんの元から去っていった。
年始の挨拶はこの数十年間で幾度となくその姿を変えた。当初は隣家や親戚の家々までわざわざ足で出向いて新年の挨拶を交わす「挨拶回り」だった。そしてそれは、直接出向けない遠方の人への代替として、文書による年始挨拶、つまり「年賀状」となった。年賀状はいつしか「メール」となり、メールは「LINE」という簡易な手段へと変貌を遂げた。が、どれをとっても自分には都合が悪く、筆を執るのに気が向かなかった。それは、挨拶が挨拶になっていないのが問題だった。挨拶とは何処へいっても厳しい教育がなされるのが一般的だ。きちんと挨拶をしろ。帽子をとれ、目を見ろ、頭を下げろ、はっきり言え。と、その環境によっては細やかな気配りが必要とされる。日常の挨拶ひとつには相手への尊敬や親愛が詰まっているはずだ。これが一年の始まり、年始の挨拶となればより一層の細やかさが求められるのは言うまでもない。ふつうに考えれば出来る限りの親愛を込めなければならない。しかし実際のところはどうだろう。
「お元気ですか?」
このお元気ですか?てのは何だろう。果たしてこれでいいのか。何枚も何枚も書かないといけないために、結果として一枚に費やす時間と労力は少なくなる。それは致し方ないことなのかもしれないが、たった一文、調子を伺う一応の挨拶で果たしてよろしいのか。完全に形骸化していると思う。挨拶とは「済ます」ものだろうか?あれほど日常では挨拶に厳しいのに。というか返事が無いお手紙って一体何なんだろう。わからないでいる。ならば口裏合わせて質問とお返事同時に出そうか。片や質問、片やお返事を出すのだ。
それはいよいよ分からない。

1月7日
しきりに「わたしは天下とる。」と豪語していた演劇仲間の女の子が地元に帰ると聞いた。どうやら帰省じゃなくて拠点を置くってことらしい。かかあ天下か。

1月8日
今おれホテルの清掃のバイトしてるんだけどさ、なんかしんないけど、今日、昼飯終わりに掃除機掛けることになってさ。普段はしないんだけど、まあなんかその日はリーダーにやれって言われてやることになって、で、掃除機ワンフロアずつ掛けてくのね。で、ひとつの階掛け終わって、終わったから、下の階行こうと思ってエレベーター乗ったんだ。したらなんか、エレベーターの、エレベーターの扉に、掃除機のコード?なんか、コンセントに挿す紐ってゆーか、あれが引っかかってて、挟まってて、でおれ気づかなくて、そのまま閉めちゃったもんだからコードだけグルグルグル!っつって扉に挟まったまま上がってて、うわやべ!って思って、すぐボタン押して。したらひとつ下の階で止まってくれて、開いたんだ。よかったって思って。最初これ、そうなったとき、エレベーターん中で閉じ込められるかもとか思って焦ったかんじあったから、よかったっていうか、そうなんもあって。でもやべえ、やべえことしたわーっつってだいぶ焦ってて。で、 急いで、そのフロアのバイトさん呼んで、で、え、どうしよって思ったんだけど、まあとりあえず、閉めるボタン押してないとエレベーター閉まっちゃうっぽかったから、「すいません押しててもらっていいすか?」っつって、そのバイトさんに押しといてもらうことにしたのね。で、おれはフロント行って色々伝えて。したら業者呼んで来てくれることになったんだけど、ま、その、来るまでの時間?おれが閉めるボタン押さえときゃいけなくなって。たぶん15分とか20分?とかなんだけど、もっと短いかもだけど、めっちゃ長くて、もう地獄よ。ずっとやっちゃったわってなって凹んでてて、ほんと、やばかった。ってのもさ、うちのホテルって、エレベーターひとつしかないんよ。だからお客さんの移動手段ほかにないからさ。上の階の人とか大変なんよ、エレベーター止まってると。とくに一番上?9階なんだけど、9階とか。それでおれやべえってなってたんだけど。んでまあ、そうやってだいぶ凹んでたんだけど、なんか、佐藤さんが話しかけてきて、バイトの。まあ、一緒に働いてるかんじの、おばさんなんだけどさ、大丈夫大丈夫っつって。で。え、ああ、すげえありがてえって思って安心するかんじあったんだけど。いつもほんと、佐藤さん仕事できなくて、ほんと出来ないんだけど、でも、こういうとき、そうやって、くれたからすげえありがたくて。うん。いや、ほんと、何なんだってかんじで、結構腹立ってたんだけど、今まで。おれ以外もみんな、そんな感じで。まあ嫌ってて。なんか、でも、今日は、ありがたかった。

1月9日
インディジョーンズ最後の聖戦を観ていたら「考古学とは事実の探究。真実の探究ではない」との台詞がでてきた。刺さった。探究とは羅列のことか。羅列する、流れを見る、掘るってことだろうか。事実の探究に想像力が介入する余地はあるのか。真実の探究は希望とか願望みたいなことになりそうだ。

1月10日
稽古終わりの22時過ぎ、ここは町屋。だれにとっても遠方にあたるこの地は、おれにとってはほぼ外国である。ここから茅ヶ崎までかかる時間はDoor to Door で約2時間。電車を乗り継いで帰宅するにはあまりにも遠い。夕飯を食べていないお腹はキュルキュルと音を立てている。よし、メシだメシ。腹を満たしに旅にでる。町屋は意外と飲食店で充実していて、色んなお店がずらりと並んでいる。きっと、おれの口にも合うだろう。おや。さっそく揚げ物屋さんを発見。揚げ物食堂アゲルヤ町屋店。いいな、揚げ物いいな。最近は稽古が続いたこともあり、夕飯は簡単に済ませていたから、ここらで元気を出すために揚げ物ってのもいいかもしれない。ケースに並ぶ食品サンプルもなんだか美味しそうだ。サクッと揚がった衣が食欲をそそる。よし、決めた!ここにしよう。店内に足を踏み入れる。さーて、何を食べようか。食券機の前で考え悩む。トンカツに唐揚げにチキン南蛮、エビフライもあるぞ。うーわやっば。揚げ物オンパレードだ。どーしよどーしよ。幸福の選択ほど素晴らしいものはこの世にあるだろうか。結局タルタルの誘惑には勝てず、チキン南蛮定食に決定。よーし、ふむふむ。さあ来なさい南蛮。と、椅子にどんと腰掛け、来たる南蛮に思いを馳せる。
突然、ガタンと音がした。思わずビクッとなる。何の音。恐る恐る音のしたほう振り向けば、かなり年配のおばあさんが来店した様だった。赤ん坊を、背中におぶっている。なんだただ店の中に入ってきただけか。と、安心したのも束の間、その、おぶっている赤ん坊に何処か違和感を覚える。じっと凝視をすれば、その赤ん坊は、赤ん坊のカタチをした「人形」だった。ゾッとした。じぶんで血の気が引いていくのがわかる。なんだこれは。どういうことだ。なんで人形をおぶっているのか。わからない。人形は本物の赤ん坊だと見間違えるほどによく出来ていて、その精密さがおれには恐ろしい。怖い。怖くて怖くて仕方がない。いま一瞬目を離した隙におばあさんはドリンクバーの所で人形に水を飲ませている。いつの間に。待てよ、考えよう。理由付けて落ち着こう。もしかするとー あのおばあさんは子どもが欲しかったが、運悪く授かることはなかった。が故、せめてもの救いとして、心を満たすために、あれほどまでに精巧な人形をじぶんの赤ん坊代わりにしているのかもしれない。いや、きっとそうだそうに違いない。そうでないと落ち着かない。しかしそれは勝手な想像だし、結局のところ全然真相わからんし、っていうか、そんなの本当はどうでもいいくらいに今おれは恐怖で怯えていた。食欲だってとっくに失せている。さっきまであれほど待ち焦がれていた揚げ物も、脂っこくて見ているだけでイライラさせる。
結局おれはー
金を払ったまま定食が出来上がるのを待つことなく急いで店を出ることになった。茅ヶ崎まで長い帰路の中で、この出来事を忘れたときなどひと時もなかった。

1月11日
TikTokの楽曲リストを熱心に見た。
人生まるごと無駄にした。

1月12日
池上彰
「いい質問ですねえ。生憎、的確な答えを持ち合わせていませんが。」

1月13日
道すがら偶然橋田さんに会った。なんか元気なかった。元気になった。

1月14日
高島さち子が、いつもの通りめちゃくちゃ怒っているなあと思っていたら、次の瞬間、怒りに任せてヴァイオリンを地面に叩きつけて割った。やばいと思った。悪い予感がする!!

1月15日
漫才したくて漫才師になったはずなのに、漫才始まるとすぐ他の職業に憧れるのは如何なものか。俳優になりたいと俳優になったはずなのに、警察になったり板前になったりする俺が言うべきことではないが。

1月16日
「積読。」つんどくが酷い。デスクにソファーにフローリングに。放ったらかしにされた書籍が、無駄にスペースを占領している。普段はもはや「景色」になっているから何とも思わないのだが、ときにグッと存在が近づいてきては、後ろめたさをお知らせしてくる。

ああ…

思わず息が漏れる。

あるのは鬱に関しての本ばかり。「病んでく。」

溜まっていても、すぐには処理できないこと。
うまく認識すらできないこと。

1月17日
さっきまでみんなで楽しく話してた。そしたら知り合いと言っては冷たいけれど、友だちと言ったらちょっと違う、可もなく不可もない関係の〝ひと〟が「ホニャララ?なにそれ。おいしいの?」と言ってきた。色々をやめたくなった。話題になったそれを知らないときそれを食べようとするギャグなんなん。犯罪だよ。おまえ連写で笑うだろ。おれも時間を持て余した時けん玉あるとけん玉するのやめよう。

1月18日
テレビを見ていた妹との会話。
おれ「なんでこれ音消してんの?」
妹「うるさいなーと思って。アンミカ」

1月19日
公演千秋楽だった。マチネの終わりに劇場近くの商店街を彷徨いた。遅めの昼食求めて目指すはコンビニ。コンビニ。はセブン。と決まっているのでセブンを目指すことになる。今日は日曜ということもあるのか人が多くて賑わっている。いや曜日関係なく東京っていつもこんな感じだろうか。じぶんのペースで歩けなくてもどかしい。ジリジリ。痺れを切らして加速する。ひとり、ふたり、と追い抜いたところで巨人とすれ違う。中国系?の女性。2メートルはあった。確実に。とんでもなく身長があった。巨人としか言いようがない巨人。恐ろしかった。あまりにも恐ろしくてコンビニに着くとトイレに駆け込んで嘔吐した。しばらくそうしていて、やっと呼吸も落ち着いたところで劇場に戻ったが、そのことは誰にも話せなかった。

1月20日
鎌倉幕府成立は1192年ではなくて1185年!今の教科書にはそう記載されているんです!テレビでやっている。それ。新鮮に伝え、新鮮に驚き始めたのは何年だったかな…

1月21日
電車に貼られている桐谷美玲の中刷り広告ずっと気になっている。Dianeの広告らしいが、これでいいのか?ほんとにこれでいいのか?とずっと釈然としない。茶色いっていうか、メイクの途中?ってかんじでモヤる。
「桐谷美玲 広告 電車」で検索をかける。仲間発見。

原始人みたいな顔が見えて
誰かと思ったら桐谷美玲。
周りも本人もあれを選んだの?
ミスじゃないの?

酷い言われ様。

1月22日
いま野球見てたんだけどー、なんかホームラン打ってて、ホームラン打ったわあとか思ってたら、謎にぬいぐるみ貰ってて、超ウケる!とか思ってたんだけど、なんかそのまま持って帰ってたんですけど!超カワイイ!

1月23日
地元茅ヶ崎に高級食パンのお店が出来た。
その名も

「生とサザンと完熟ボディ」

なんてばかな名前だろう。意味わかんないしどっから考えたの?これ。店名がぜんぶ要らないワードからできてる凄さ。安い味がしそうだ。でも行列できてるし美味しいんだろうな。中入ってうろうろする。チラシをチラれば豊満な味と香りに胸騒ぎ!?とある。茅ヶ崎はサザンのせいで胸騒ぎがち。

1月24日
さぞ、そんな毛並みのいい猫飼ってて気分良いんでしょうね。

1月25日
夕飯時。
父、お椀にご飯がほんの少し残ったらしい。
どうやって食べようか思案している。
納豆やろうか?と母。
父「いいよいいよ、かわいそうじゃん。」
どゆこと

1月26日
歌手hitomiがSNSで妊娠を発表した。記事によると44歳での第4子妊娠とのことで、何ともおめでたいニュースである。しかしこの人は、ニュースになっているなあと思ったら妊娠で、写真を見ればお腹はふっくらしていて、それにマタニティフォトの強烈な印象もあるもんだから、いつ見ても妊婦だなあと思っている。もちろんそれはおれの勝手で、ずっと妊娠しているという訳はなくて、妊娠しているということは陣痛があって、出産があって、子どもも大きくなっているだろうに、hitomiにはその印象がまるでない。人生で一度あるかないかの出来事も、繰り返しされれば「ああ、またか。そうか。そりゃ、おめでと」てなもんになっていく。いやいや、元気な子どもが生まれてきますように!
しかし人の印象というのは無意識のうちに定着するものである。そこでどうしても、堀ちえみのことを挙げられずにはいられない。舌癌に食道癌。止まらないステージの進行。ニュースになっているなと思ったら、知るのは癌の転移で、その詳細を知る度に苦しくなってしまう。神様はどれだけの試練を彼女に与えるのだろう。もうこれ以上のことはお願いだからやめて欲しい。勝手に必死に懇願する。
そういった意味でも、華原朋美はかなり例外な存在だと思う。ナンシー関の言葉を引用すれば「大丈夫になったことになっている」からだ。しかし彼女はなにも治っていない。昔と何も変わらぬ、どん底と復活を往復する〝ぎりぎり〟の華原朋美が、ただ乗馬をしているだけだ。

1月27日
東出くんが渦中のひとに。東出くんは知らんうちに自分のなかで「東出くん」で定着していた。人が良さそうだし。なんとなーく雰囲気で愛着をもって眺めていたんだなあ。東出くん人柄で飯食ってたと思うから裏切られたって感想はそりゃ出てくるよなあとか思う。しかし、外野はとやかく言うべきじゃない!って言う奴の前進守備っぷりは一体何なのだろう。ひとつ言えるのは「遊びか本気か」って、問われがちだけど、遊びこそ本気だよね。とは思う。あーあ。結局おれも外野なクセして色々考えてしまっているな、寝ても覚めても。

1月28日
ひとの趣味の欄を閲覧するのが趣味だ。お気に入りをいくつか。趣味。Google map。趣味。ださい格好をすること。趣味。手洗い。趣味とは違うけど「好きなお風呂は露天風呂」て人がいて、それはかなりのお気に入り。

1月29日
基本的にはどーでもいい存在として見られてるけど、ちょっと気にかけてくれてる人に対してほど、もどかしい思いをさせているな。苛々を感じる。

1月30日
あそこで、着ぐるみが肩で笑ってる。
午後。日差し。

1月31日
あの、あれだ。ほんとは笑えないことに対して皮肉を込めて「笑った」って書くのあるよね。この世で、いやこの国で批判は禁物とされているから批判だと思われない様な表現は都合がよいね。はーい。
あと「最高(だな)」の使われ方ってキモいね。
「面白い(と思った)」とか「好き」て書かないのね。〝素直〟あれだけ推奨されているのにこういうとこでは出さないのね。面白いを奪いにいくのな。手柄欲しいのだ。さりげなくなのだ。
あとあれSNSで流行りのやつ。愛。愛だね。ラブ。自分で自分を愛せ。あとハグ。わーったっす。愛がなんだっつって一緒に泣こうぜみんな。
愛を育みな営み。社交辞愛。
おれは愛より親切です。ここだけは、ほんと。
敬愛するカート・ヴォネガットの言葉を引用します。

人間として最も重要なのは愛より少し軽いもの。ひとに対して寛容で相手を尊重すること。
愛は負けても、親切は勝つ。

#日記 #エッセイ #コラム #ノンフィクション #フィクション

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