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虚実日記12月

12月1日
スタバに入れば行列ができていた。それも長蛇のやつ。レジカウンターに受取口。注文〝まだ〟の人に注文〝もう〟の人まで、所狭しと珈琲難民が並んでいる。あ、これは相当時間かかるやつだ。行列を見ては草臥れた。並びたくない。しかし珈琲飲みたいから並ぶしかない。ホットコーヒー。残念なことに珈琲屋が近くにないから並ぶ他ない。セブンがあれば、せめてセブンのイートインさえあれば、せめてもの救いなはずが、近くにないから仕方がない。並ぶ。最後尾につけばもう疲れてる。まだは無かった。牛歩の歩みでついにレジ近くまで辿り着く。長かったがやっとここまで来た。さあさ、珈琲まであと少しあと少し。ようやくひとつ前の女性が注文するになる。
ー「ぬるいココア下さい。」
ぬるいココア?頭が一瞬、ん?となる。ぬるいココア。確かに彼女はそう言った。ぬるいココアぬるいココア…。いやはやおかしくないと言えばおかしくない。だってココアを常温で注文しただけの話だもの。ココア、常温で飲んだっていいんだもの。問題は、というか少し引っかかった原因は、ぬるいココアを飲みたい時には、ぬるいココア下さいって言わないといけないってことだ。温度を指定する間抜けさってあるはずだ。というより「ぬるい」がいけない。白湯には白湯って名前があるからいい。ぬるい湯を飲みたいときは白湯くださいって言えばいい。ぬるい湯くださいではダメだろう。そんなもの健康的でもなんでもない。ぬるい湯は「白湯」でないといけない。そんなこんなでじぶんの番。
「〝ホット〟コーヒー下さい」
「ドリップコーヒーでよろしかったでしょうか?」
ドリップコーヒー。

12月2日
最近なぜだが相撲の動画を見るのにハマっている。いつだろうか。関連動画だかおすすめだかで上がってきたものをクリックしたのが最初だったはずだ。昔の相撲は面白いなー。そう言ったら今の相撲に失礼だろうか。おれはだれに対してか矛先不明のしゃんとせずな失礼がありすぎる。今日も見る。今日も見る。貴乃花がすごい。若乃花がすごい。と、思ったところで武蔵丸。いやいやそれより曙よ。とはいえここは小錦だ。その巨漢を存分に活かした迫力ある取組。プッシュ戦法。中でもスイーツ親方、大乃国との取り組みはみもの。身体と身体が正面からぶつかる。それは事故。見ているこちらがクラッとくる。
実況ー
「215Kg寄る。185Kg堪える」
ひとを体重で呼ぶな。どっちがどっちだ。何のための四股名だ。人間が揺らぐ。数字で呼ぶなら体重じゃなくてもいい。たとえば血圧。
「上135下85寄る。上150下95堪える」
だからどっちがどっちだ。

12月3日
ここんところ寒さが本格化してきていて肌寒い。明らかにインナーの数が足りていないのでバイト帰りにユニクロへ買い出しに行く。昨日小錦の動画を見た影響か、服のサイズが気になりだす。XLとLLて何が違うんだろうか。すぐ調べる〜。最近ダイアンの動画をよく見る。XL=LL=2L。XLはextra largeの略でLLは日本独自の表記とのこと。いや、これ、知らなんだ、参りました勉強になりました拍手拍手。Xはエックスでしたローマ数字じゃありません10はどこにもありません。

12月4日
急に思い立って地元の銭湯に行くことにする。旅行にはしばらく行っていないし、おれのなかで温泉離れも甚だしい。離れと言わず、大浴場で充分なので、ゆっくり温泉浸かりたい。そそくさと脱衣を済ませ、浴室へ入ろうと扉を開ければ人人人。なんだこりゃ。それはまさに芋洗い状態。観光地ですかここは。中国で人気のプールですかここは。初めてみる景色に驚きながら、一先ずここはと身体を流しに洗い場へ。どこぞの少年がおれの前を横切る。見るとかれは踵だけで歩いている。なんて挑戦的だろう。少年はそのまま出入口まで踵で歩いて扉を開き「また来たい!」言っている。はやい。今あがったばっかだ。是非また来るといい、若人よ…「そろそろ、茹でられにいきましょうか。」と裸族の群れに手刀を切りつつ、浴槽という名の鍋に身体を落とす。満ち満ちの幸福に肩まで浸れば、生活で溜まった毒がみるみる抜けていく。極楽は案外簡単に手に入る。心身浄められて勝負あり。あっさり完敗、土がつく。よしよし、竹串がすんなり通るくらいにはふやけたな。住処を出るとする。泉質調査をするのであろう、施設のスタッフとすれ違う。相手は上下スーツを着ていてこちらは裸。途端に恥ずかしさ襲ってくる。ああっ!なんで今日こんな格好してきちゃったの!と後悔の念でひたひたに。「恥ずかしい」とは「人より恥ずかしい」から「恥ずかしい」だと思っていたけれど実際にはどうだろうか。ここは裸のひとでいっぱいだがおれは充分恥ずかしい。スタッフはいま恥ずかしいかしら?どうでもいいことに限って思考の海にくぐらせてしまう。でもまあこれはリラックスしている証拠。アイデアだってベッドに入れば浮かんでくるものだ。極楽蜻蛉こそクリエイティブにふさわしい。帰りはお食事処に目もくれずトンボ返り。ナガブチな気分。

12月5日
ウォーリーを探せが見当たらない。
どこやったかなあの本。

12月6日
帰りの電車で便意を覚え、改札を抜けてダッシュでラスカへ直行する。入ると個室はぜんぶ埋まっていた。なんてこった!壁に、ここのトイレは大変混み合いますので他の階をご利用くださいと書いてある。くそっ!なんでうんこ事情を知っているんだ!焦る気持ちを抑えつつ上の階へと向かう。無事、個室は空いていた。全速力で脱衣する。はあ〜。思わず安堵の声が。こうやって人は歳をとっていくのだなあと便座に座りながらしみじみ思う。出る。小便器まえの壁「いつも綺麗に使って頂きありがとうございます」と書いてある。ああ、おれのことだなと思う。おれがおれに語りかけている。いえいえどういたしまして。極私的空間でおれと対話。誰も見てなくてもじぶんが見てんぞ。やっほー

12月7日
「今夜、ロマンス劇場で」をWOWOWで観た。ぼーっと観ていたがわりと良い映画だったな。なんせ綾瀬はるかも坂口健太郎もよく着替えたから。オシャレな服がたくさん出てきて登場するたび服は違う。さながらファッションショー。オシャレでいいが撮影大変だなあとかいらぬことを考える。劇中「おてんば」って言葉がでてきた。今ほとんど死語。どれだけ女が活発でも使われまい。おてんばが気になりだし調べる。漢字で書くと「お転婆」転ぶ、ばばあ。転んで老けてしまったか。お転婆娘はどうしよう。婆と娘の間を駆け回る。

12月8日
朝起きると地元の友だちから連絡がきていた。
「お久、忙しいかい、最近」
そっけない文にどこか安心感を覚えながらすぐに返信する。14時。時間どおりかれの家の前に到着。あたりまえの話、お互い地元同士だとすぐ会える。会おうと思えばすぐ会える。それはそれは便利でよろしい。ここんところ、ひとに会うときはわざわざ
電車を乗り継いで、東京まで出向かなければならなかったので、今日はずいぶんラクしてる。人と人がこんなに移動しないで会っていいのか。チャリで来た。「お久、FIFAやろー。」FIFAやる。プレステがふぉーになっている。こないだ来たときは(気づいたら1年前)すりーだったのに来るたび変わる。キャリアモードてのを選択。じぶんらでひとり選手を作ってキャリアを築いていくモードってことらしい。そうそう、おれらはサッカー部だった。そんときのメンバーが未だに続けていてJリーグの下のJFLで選手やっている。かれをふたりしてつくろう。つくるぜ井上翔太郎。実名でつくる。肌、目、鼻、耳、パーツひとつずつ選んでいく。位置や角度など微調整。リアル過ぎて気持ち悪くなる。とくに肌のかんじがヤバイ。ほんとの人間みたいだ。気持ち悪すぎる。しかもここまでひとつも似ていない。これは一体、だれなんだ。友だちと同姓同名の知らない人をふたりして一生懸命つくっている。ああしよう、こうしよう。似ない。おれらはだれに似せようとしているんだ。これは一体だれなんだ。

12月9日
ヤなことそっとミュートを爆音で聴く。ヤになった。ミュートする。

12月10日
Twitterで綿菓子を水につける動画を見る。綿菓子に水が染み渡り、綿菓子はみるみる消えていく。ワープしてるみたいだ。タイムスリップしてあーだこーだ色々やって現在のじぶんが消えてっちゃうアレみたいでもある。綿菓子は何処へいくのだろう。消失するときは末端からか。中枢からの消失を知らない。亡くなったんだと思っても、交わって染み渡った故の消失点。

12月11日
靴は少ない。いつだって2、3足しか持ってなくて、決まってそれはぜんぶよれよれ。同じものばかり履いている。履き潰すまで履いて、潰れている靴を履いている。買い時が差し迫っているので、靴を買おうと靴屋行く。店に入るなりあれやこれや。手当たり次第に履き試しを繰り返す。デザインと履き心地のどちらもよい子が見つからない。そろそろ捜索願いをだそうかと店員さんに声を掛けるとお勧めの品を教えてくれた。どれどれ…。なるほどこれはしっくりきた。良い良い。さあ買おう。買おうかしら。と、悩み、悩む。さて。こちらの靴はいかがでしょうか?他の靴をおすすめされる。なるほど。はいはい。と試しに履いてみる。むむ。これもグー。デザインも履き心地も良いと来た。さあどうする?さっきのにするか、これにするか。今履いてらっしゃっる靴はミズノの商品になりまして、日本人の足には大変フィットしますので履き心地という点ではこちらもおすすめですねー。なるほどお。いろいろ来ている。一気に買う感じになってきている。店員さんが来ると買うムード高まり、気づけば買うしかなくなっている。履き心地を重視して今履いてらっしゃるミズノを買うことに。「日本人だし、ミズノにするか」なんだそれ。レジまで持っていってお会計。ありがとうございました。あっという間。一人で選んでた時間なんだったんだ。ため息混じり意識半分で店を出る。なんとなくな感じで、最後に流れで買ってしまった革靴、革は馴染むからと言っていたけど、果たして革はちゃんとおれに馴染んでくれるだろうか。心配だ。

12月12日
「これなに?」「4」
4をお父さんに聞く子ども

12月13日
バイト。だる。めんど。かったる。ダバダボ歩いて電車に乗る。現場着到すかさず更衣。バイト先輩の竹村さんがタブレットでまごついている。これわかる?Wi-Fiがなかなか繋がらないらしく見れば軽くフリーズしてる。あんま触んない方がいいかも。少し放っとく。Wi-Fi嫌いだわー。Wi-Fi嫌いだわー。竹村さんがぼそぼそ言ってて笑う。無事つながり、ありがとう〜、じぶんの仕事につく。佐藤さん、今日入ったばかりの新入りさんに掃除の掛け方を教えている。ほれ、こうして!こう!…違う!こう!熱血指導鬼過ぎてひく。佐藤さんは仕事ができない。いつも怒られてばっかだから、こういう時ぐらいしか威張えないんだろう。新入りさんに鬱憤あてて八つ当たり。こうじゃなくて、こう!やまない怒号。掃除機の掛け方に正解とかってあるんだろうか。ここは教習所かいな。佐藤さん嫌いだわー。佐藤さん嫌いだわー。新入りさんは無事に免許とれるだろうか。

12月14日
進んでいるのかいないのか。しのぎのきかない紛れもなく退屈ですばらしい日々。そんなに落ち込むこともない。どうせ忘れる、昨日か今日か、つくづく続く連日出勤。現場に着くなり声が掛かる。「フネさん」突然、聞き慣れない名前で呼ばれる。「フネさん、今日これよろしくね」へ?「はい、フネさん」おれか?おれなのか?みんなフネさんフネさん言っている。今までは川舩くんだった。ここでは、じぶんより年上の方が多いこともあってみんな君付けで呼んでくれていた。それが今日になって突然変化。経験したことない呼ばれ方をされている。慣れなさ過ぎて反応できない。よもや、おれのいないところで会議が開かれ、いくら年下といってもさすがに君づけはやめようやってなったのかもしれない。ご厚意やもしれん。しかし何故限って今日なのだ。いきなり俺の名前が取って変わった。それは驚きというより恐怖でしかない。怖い。待ち望まずにやってきてこんにちは。変えたの聞くのも野暮だし怖いし受け入れる。仕方のないことだ。

12月15日
アニマル浜口に10回クイズ出したいな

12月16日
ここんとこ元気ねえな。ニンニク食って元気出すかっつーことで焼肉屋行く。ニンニクまるごとホイル焼きあったはず。メニュー表探して、あったあった、頼む。飲み物きたあと、すぐきた。早いな。1分ほどで大丈夫ですとか。店員さんが言いながら鉄網の上にすでに載せてる。なんせ仕事早い。食べたかったとはいえ、お目当てとはいえ、一品目て。焼き上がりこんがりそのまま口に放る。ホクホクしててジャガイモみたい。ジャガイモかなこれ。色々さて置いて口が臭い。あ、そうだ乾杯。鉄網の上に仲良くグラス集結。炙られる。あつっ。ニンニクをホイルする油飛び散り拳にかかる。ホルモンきたのでホルモン網に放る。わたし未だにホルモンの食べどきわかんないんだーと母親言っている。それ言わないとダメなのか。時間進んで何食ってるんだかわかんないまま色々食う。部位は食感、味はタレ。タンをタレの皿に落としては、あ間違えたとかこぼす。なにそれ。

12月17日
録画していたThe MANZAIを観る。お笑いは年末年始忙しい。お笑い観る者は笑い忘れさせられる。忙しな師走にお笑い観てる人は、観てる時点で、大事なことを忘れようとしているのかもしれず、それは互いにとって都合が良いのだ。忘れたい者と忘れさせようとする者、画面越しに相見える。それはそうとウーマンラッシュアワーは確信犯としての仕事を全うしていた。「これは漫才じゃない」は感想として許されない。居心地の悪さ、風通しの悪さがここにはある。村本曰くおれは言いたいことを言う。何の足しにもならない嗜み。量と質も両方必要なはずが共感得られず阿鼻叫喚。言い訳に腰掛け。居座る椅子ある?耳を見極めろ。

12月18日
新・情報7daysでビートたけしがとっても嬉しそうにふがふがしゃべっていた。ふがふがすぎて何をしゃべってるのかわからなかった。でも嬉しいは伝わった。嬉しいとき「嬉しい」が伝わるといい。

12月19日
身体が重くて、所謂倦怠感抱えて鼻がでる。厳密にいえば鼻は出てなくて汁が出てるもんで、鼻をティッシュでかみかみする。ティッシュどんどんなくなり、どんどんなくなる。薄くなってなけなし。そんなことお構いなしに所構わず鼻はでるぞ。鼻の水引っ込みがつかない次第。この辺りにティッシュはないかと辺り見渡せど、いつも適当に遇らってるティッシュの配り屋さんが今日は見当たらず、なんだよ見つからねえなーとか鼻声で愚痴りながら歩くに仕方ない。鼻が滝なのにティッシュがないの地獄、ほんと地獄。どうしたって遂に汁は垂れるので、本来1枚のティッシュ剥がして2枚にしてから汁吸わせる。指濡れてネチリと粘っこい。指を天に掲げてすべてお任せ自然乾燥。風吹け、乾かせ。指先見つめピンボケな景色が流れてく。鼻かみすぎて舌カラッカラ、鼻で味がしている。そのうちそれも遠のいた。ただ漠然と立っている。

12月20日
ごぼう臭い。は土臭い。小鉢に盛られた牛蒡の甘辛煮を箸でつつきながらぶつくさ言い、冷えたグラスは空にする。ビールは喉で、ぐびといく。味覚は舌だけでなくて、鼻にも喉にもあるのだ。スマホを取ろうと上着のポケットに手をつっこむ。何をしてても何をするでもなくスマホが欲しくなる。ああ、俺はもう完全にスマホ中毒になっているのだなあとひしひしする。目的もないのにスクロール。インスタの警備に精を出す。ストーリーって足跡つくんだよなー。やだやだ。知っててやってる。暇がバレる。粗品のインスタを観光しに行く。ちょっと見ないうちに中は知らんことになっている。フリップじゃなくてイラスト。賢だしてる。分からんくてひとりモヤる。霜降り明星はクイズ王だなあと思っていて、それは以前日記にも書いたのだけど、解答者粗品は漫才宜しくせいやの問いにじゃんじゃん答えるのだ。ところがここではどうだ。粗品が問うてる。シュール目もくれず「?」にさせてくる。「?」から「!」にすると感嘆込めて笑いになったりするけど、ここでは各自頭ん中で「!」にしろってことか。足跡のみんな「→」するんかな!?

12月21日
マイクで殴ると人は怒る

12月22日
M-1を観る。正座して観る。漫才の祭典は演芸なのか、競技となるかスポーツとなるか。心して観る。おれ的には全体のレベルって関係なくて、圧倒的に面白いひとがいるかどうか、そこだけだ。そういう意味でも、今年のM-1は最高だった。だれも知らなかったミルクボーイの漫才は完璧であって圧倒的だった。漫才が進むにつれてみんなが認めていくというか、おお!面白いぞ!と前乗りになった瞬間が必ずあったと思うのだ。4分間で「知らない」から「知ってる」「面白い」人になった。とても美しくて格好良くて痺れた。久しぶりに漫才に、そしてM-1に、興奮し高揚した。勿論かまいたちも素晴らしかったしぺこぱも奮闘した。そして和牛もよかった。かれらのコント漫才、その導入の短さ、コントに入っていく速さには驚愕した。サンドウィッチマンより速い。こんなにさりげなくコントへと入っていけるのか、おれは初っ端から心を掴まれてしまった。ああ、漫才師カッコ良い、何よりカッコ良い。思ってしまう。あとそうそう、気づいたことがあった。どのコンビも極端な後半の畳み掛けはなかったこと。クライマックスがなくともエンドロールは流れる。さてこれからミルクボーイはどうなっていくのだろう。「知ってる」と笑えるけど「このネタ自体知ってる」だと笑えるのか。「このシステム知ってる」はかれらの漫才にどんな影響を与えるだろう。

12月23日
noteからメールが届いた。今年2019年度におれがあげた記事に関してのまとめレポとのことだった。書いた記事20本、増えたフォロワー18、全体ビュー9680、もらったスキ132。たくさんのひとに見て貰ったようだし、たくさんスキもされた。書いていなければ、ここにあげていなければ、誰にも届かなかった。書いてよかった。スキをされると嬉しい。スキをしていなくても読んでくれたひとのことがすき。ありがと。

12月24日
今日はことごとく、やることなすこと全部うまくいかなかった。駄目駄目なせいで感情の浮き沈みが激しくて、情緒がどうかしてた。泣ける本のポップを見ては泣いたし、何をするにしてもお金がかかることに対して腹が立った。おいしい牛乳にしようとしたけど、美味しくなかったら嫌なので、やさしい麦茶を選んだら、なんだかほんとに優しくて泣いてしまった。

12月25日
スポーツの動画をYouTubeでみるのが日課になってきている。昔の試合が簡単に見れるの、とっても嬉しい。とっても幸せ。間に挟まれる当時のCMは趣があって大変よろしくて、一度も見たことないくせ勝手に懐かしんではしみじみする。最近はもっぱら野球。もっぱら清原。西武時代の映像、無駄のないシャープなスイングで150キロはあろうかという速球をいとも簡単にスタンドへと放り込む姿を見ては、わあ、すごい。わあ、かっこいい。と惚れ惚れる。それでもやっぱり、清原には高校時代、PL学園のユニフォームが一番似合うと思うのだ。見た目こそあどけなさ残る青年清原なのだが、ひとたびプレーを見れば、子どものなかに一人プロの選手が混じってるのかと思わせるほど圧倒的な存在感を放っている。あまりの容赦のなさに相手チームに同情すらしてしまう。
甲子園でのある打席。清原の放った大きな打球に、アナウンサーは実況することを忘れ、ただただ興奮していた。「豪快!豪快!」それはまるで号外!号外!つって号外の新聞配ってるみたいだった。確かにホームランは号外が出てもおかしくないくらいの大きなホームランであったし、咄嗟に豪快!と言ってしまわせるほどの素晴らしいもの当たりだったのには違いはない。それでも、おれは、ホームランてのはそもそも「豪快」なのか?と思ってもいた。最近はそうでもないけれど、ひと昔前までは、ホームランというのはパワーでなせるものだからホームランを打つためには筋力をつけなさいというのが定説だったように思え、だからこそ外国人パワーヒッターを見ては筋力のなさを嘆いていた。ピッチャーとバッターの「直球勝負」の「直球」はまさしく「ストレート」という球種のことを指していたし「力と力の勝負」ともてはやされてもいた。ここまで、書きたいことを書きたい順に書いてきたから文はいまいちジグザグでテンポが悪くて読みづらくて申し訳ないのだけれど思ったのは一番書きたかったのは。「清原って(そういう)昔の定説とか常識、ひいてはメディアに都合のいい見出しみたいなものに最も翻弄されてきた選手なんじゃないか?」ってことだった。勝負は力と力で、直球は直球で、ホームランは豪快で筋力だから肉体改造で。だからこその記録より記憶に残るお祭り男であったのだと思うのだけど、やっぱり通算525発の育成失敗選手だったと思うのだ。これが「柔軟な筋力・怪我のしない身体」であったり「直球勝負とは、様々な球種を駆使して正々堂々と戦うこと」であったり「技術!技術!」という実況であったりすればまた違ったのでは?と考えてしまう。しかしそれは「スポーツの世界は当たり前が時代とともに変わる柔軟な世界だから」かもしれないとも思っていて、それはそれで憧れている。それにしてもこんな綺麗な右打ちをするひとがクスリに手を出すとは思えないな。

12月26日
長州力がツイッターを始めたらしく、トレンド入りするなど話題になっている。見れば確かに、これは一体全体どういうことか。おかしなことになっている。というかよくわからない使い方をしている。はたして長州はツイッターをなんだと思ってるんだろう。誰に話しかけているのか、話しかけていないのか、独り言なのかメモなのか。単なる呼びかけだけがそこにあったりする。「みんな〜」といってツイッター民への呼びかけあるかと思えば「山本!」だとか「慎介!」といった個人名が飛んだりする。それはメールやラインですることじゃないか?長州。まあ電話でもいいけど、たぶんツイッターの使い方じゃあない。別に使い方間違ってても全然いいと思うんだけど、何と勘違いして?何だと思って?使っているのかがわからない。混乱する。けどまあたとえばJKのコミュニケーションとかて、マジ卍とか筆頭だけど、相手からの返答を求めない一方的なものだったりするし、これはこれでひとつのコミュニケーションの形なのかもしれないなと思ったり。釈然としないながら、結果楽しんでいる。思えばアントニオ猪木がこう言っていた。
〝俺の人生には基本がない。俺は教えるものがないんだよ。レスリングにしてもタックルとか全部出来るけど誰かに教えてもらったことはない。自分で基本を作っただけだよ〟

12月27日
クリスマス終わったし、もう年末っつーことか。早えな。あっという間だ。今年も終わる。毎年毎年あっという間なのとっくに飽きてる。年末ってイベント感あるけどこれっていう日がないから中途半端にずっとそわそわしていて落ち着かない。掃除とかすればいいけど気ぃ乗んないし面倒くさい。いかんせん埃はやばいけど。いつから掃除してないんかなー。去年もしてないしそら色々溜まる。なんか最近寝るときいつもくしゃみ出るんだけど、風邪とか関係なくハウスダストかもしんない。海まで歩く。茅ヶ崎住んでると、海行くとき「海行くか!」とか言いながらドライブして意気込んで行くんじゃなくて、適当なかんじで、歩いてたらその先に海があるってかんじができて素晴らしい。感情の振り子揺れずほぼ無で海岸線を歩いてく。嬉しいことも悲しいこともぜんぶ海が聞いてくれた、とかそんなん全然なくていい。ぜんぶてきとーに。勝手に身体はほぐれてる。今日結構波あるなー。まあ風あるしなー。波の機嫌だけ伺って。せっかくだからと波の音とか聞いてもいいとこを、イヤホンさして爆音で音楽流して歩いてく。醍醐味とか無視して、せっかくが台無し。まあいいのさ。いつでも来れるし現に来てるし。ふりかぶらずに、エモにも走らずぼんやり漂う。

12月28日
M1に感化されてか完全お笑いモードになっている。毎年なっては忘れてく。芸人に憧れては、なりたいと思っては消えていく。一体じぶんはどこに向かうのか、向かおうとしているのかわけわからんくなる。漫才よりコントをやりたいし、でもテレビに出たい!てのもぴんとこない。お笑いやるなら芸人になるしかないのだろうか。3.4分の、下手したらそれより短い尺のネタをつくって磨いて出世することが笑いで売れるってことか。イッテQ出たい!てひとは努力の焦点ぶれなさそうだ。じゃあ俳優か。俳優として頑張って、俳優として映画出たりドラマ出たり、メインで張ってくぞ、頑張るぞ、ってそういうことなんだろうか。どうせ顔面至上主義に終わりはこない。性別グラデーションでもみんな綺麗は欲してる。結局みんな美男美女を見たいんだよなー。「かっこいい・可愛い」が変顔したり変な声出したり。笑いってふざけることかよ。真面目にやれ。みんなお笑い好きね。好きな芸人ならいくつか出てくるしそれはそれで素晴らしいけど追うように敢えてそこいきますかね?シアターコントしたい人はどこにいて、どこに向かえば。テニスコートとかすごいよなー。芸人にならずに冗談やおもしろをやる難しさよ。四の五の言わずにネタ書かんかい。言われちゃったよ。おしゃべりはクリエイトなりません。人と企むの恥ずかしくて無責任。嘘もほんとも日記は創作なりますか?どうでもいいものばかり掃き溜めな排気口。頭だけはいっちょまえに活発だ。
テレビをつければ才能を持て余した芸人たちが一括りにされて大声張り上げガヤっていた。だれの要望で、だれに向けてやっているんだろう。ひとりも乗り気じゃないまま仕事をしている。○○芸人の○○にお笑いが入るときは来るんだろうか。需要がなくても供給がある不健康。チョコプラに倣ってか、タイムマシーン3号は以前よりモノマネをするようになっている気がする。その秋元康はだれかの琴線に触れるだろうか。SMAP中居くん、俺童貞じゃないからってここでも言ってる。トレンディエンジェルの髭。千鳥は売れてダイアンは売れない世界にだれがした。

12月29日
年末になると行きたくなるのだ。気持ちそぞろと足取り軽く、風を切って海へと向かう。きっとからだを、いや心を癒しに出かけているんでしょう。歩道橋を渡ると光る海が見えてくる。光の方。光の方へ。吹きつける風で髪先は揺れ、心は透けていく。砂浜に腰を下ろしてゆっくり時間をかけて深呼吸。大きく伸びをする。清々しい気候につられて気持ちも晴れていく。いま、間違ってなさでなみなみだ。砂浜のうえぐんぐん歩いてく。サイクリングロード、風に飛ばされた砂で覆われていて路面がよく見えない。セルフで捌けるようにとトンボが傍に立て掛けてある。砂が少ない箇所もあることだし誰かがきっとやってくれているんだろう。ありがとう、誰か。そのあとも随所にある捌けポイントを通過しながら前へと進む。思いのほか、足腰やられる。砂浜の重さが身体中に染み渡っていく。下半身の強化が成されている気がする。後ろから、走っているのか、歩いているのか、わからないくらいの速度でジョグしているひとがやってきた。並走している。意識するとはなしに意識する。並走する彼女、おれのなかに存在が入ってきている。ふと、こういうときは遠くを見るといいんじゃないかと思い立つ。目は疲れているし頭痛がするし、頭痛がするのは目の疲れのせいだし、なるべく遠くだ、遠くを見よう。見る限り一番遠くにある沖の沖にある船に標準を合わせる。歩きとはいえ歩きながら何か遠くを見つめるのはとてもむつかしい。(うまくいかず酔いそうだった。たとえばクルマに乗って、本やら読んで、酔うなぞあるが、近くでなくて遠くを見て起こる酔いもあるようだ)そうして放っておくとじぶんの足元をずっと見ている。なるほど、気づかないうちにおれはこうして歩いていたわけか。おれの知らぬところで視線は足元にうつつを抜かしていた。下を向いていては気持ちも湿る。前を向くには、歩みに身を任せなければならない。おれの道はおれの足でしか前に進めない。視線を足元から外す。ゆっくり顔を上げて前を見る。ジョグしていた女性の姿はもう見えなくなりそうなほど小さくなっている。

12月30日
もう季節も季節で寒さ開眼してきているので、羽織を増やして膨らんでいる。これだけ冷えれば流石に風邪も流行る。着込みの込みが重なって、ろこもこでごわごわのゆるキャラの様相を呈していても、感染源にはなるまいと口元にはマスクをあてがって飛沫対策講じる。マスクをしていると何用のマスクか聞かれるがち。風邪?予防です。用途問われがち。解答は予防ですだけマルでそれ以外はバチ。質問に少なくない強制がある。素直でいづらい。流行りもんには手洗いうがいにまずマスク、なのだけれど、マスクはずっと苦手でずっと慣れん。顔が隠れるから表情読まれにくくて都合の良さ隠し持ってるのだけれど、着けたら着けたで外したさ則座に湧いてきてしまう。紐で頭は痛むし息は苦しい。何が言いたいかってマスクのなかでくしゃみをすると臭いってことだ。くしゃみは臭いし、だからこそマスクの中でくしゃみをするとマスクは臭い。ではどうすればいいかって、一度マスクを外してくしゃみをするのだ。こうすることでくしゃみの臭さに苦しまなくてすむ。マスクは〝におわない〟方が良い。無論、マスクをしたままの挨拶など失礼極まりない。外してからするべきだ。世の中には対策に対する対策ってのがあるもんだ。

12月31日
大晦日といえば紅白。紅白といえば大晦日。年末に畳み掛けられた他の音楽番組も紅白までの前座に過ぎない。一年の締めくくりは有無を言わさず紅白なのだ。紅白の何やってもあーだこーだ言われる感、かっこよくて憧れている。ところでおれはこれまで紅白歌合戦を合戦として、つまり「対決もの」として見てきたわけだが、今年からはその見方は変えようと思う。近年LGBTは盛んとなり定着しつつありる。紅白だって例外でなく、「紅・白」と男性・女性に分けてしまうのはどうなのか、おれも思い始めたからだ。いつまでも紅白の白黒ばかりに目を当てていても仕方がない。いくら練ったって紅白には「勝ち方」が存在しない。奇策など無いのだ。勝敗気にせずと、歌と性を愉しむこととしよう。見ればいきなり誰だお前は。ほんと誰だ。盛り上がるポイントもなく、メロディさえ掴めぬまま曲は終わった。まさにいま作ったかもしれない。おまけに不安定な歌声。笑いそうになる、笑わない。その瀬戸際にいる。曲は終わり、次のひとが出てくる。歌がうまい。安心して聴けてほっとする。安心とは安定。でも、さっきのひとがあれだったからそう感じているのかもしれなくて、モヤモヤしながら耳を傾け、見定める。歌がうまいにしてはマイクが近い。歌がうまい人はマイクを遠ざける筈なので、よってこの人は歌が下手。百歩譲って歌、下手上手。そんなに着替える必要があるのか。早着替えで感動する短絡さ。米津玄師の目元のほくろ。RADが外国人と混ざって合唱し即席グローバル。とりあえずで振るはレインボー旗。歌が強いぞこの国は。音やダンスの立場の弱さ。なんせここは歌合戦。音楽に国境はない /どころか /在るぞ音楽、ジャンルの壁。国境がないはそもそも全能じゃなくて、行き着く先はビジネスかもしれない。今年の紅白も例年通り見方が全然わからなくて最高だった。年の瀬ってことで、色々みんな騙されてる。というか、ほんとは騙されてないけど、騙されてるってことしておっけーにしてる。何これ?おっけー。なんだこれ?でもおっけー。わからなくても、なんだこれ、と思っても年の瀬なので肯定なのだ。嫌な部分あれどわざわざ批判してるひとみると嫌な気分なるしなー。笑ってはいけないを一番実行してるのが紅白歌合戦。今年のテーマは「夢を歌おう」だったらしいのだけど、紅白自体が夢だったような気もする。夢みたいな脈絡のなさ。わけのわからなさ。明日目を覚ましたらこれを初夢と勘違いするんじゃなかろうか。来年は2020年。レインボー旗は日の丸に変わるんだろうか。


#日記 #コラム
#エッセイ #フィクション #ノンフィクション

 

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