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虚実日記2月

2月1日
喧嘩する流れのとき、怒ってる感じ出しながら何もしゃべんない寺門ジモンを見る。上島竜兵と出川哲郎がキスしたあと、お決まりのクセにふたりとも俯いて照れているのを楽しむ。

2月2日
焼き鳥を食べに行くと、どっちがどっちだか毎回分からなくなる。モモとムネはどっちがパサパサなのか。どちらかがパサパサなのかは知ってるけど、そのどちらなのかを覚えていない。きっとおれはちゃんと覚えるつもりがないんだと思う。勘で頼んで当てたり外したりしながら特に感想もないまま無で食っている。酒が進めばナンでもよいのだ。
焼き鳥の「こころ」は鳥の心臓で、心臓なのに心でいいのかよ鳥に心あるのかよとか思ったりもしながら、頼みもしない。ただ思うだけで終えている。世の中分からないことだらけだ。というか覚えようとしないことだらけだ。おれはカフェオレとカフェラテとカフェモカの違いもよくわかってないし、カプチーノとエスプレッソに至っては何がなんやら。ニュースで「再逮捕」とか聞いても、何で勝手にもう一回逮捕してんだろうと疑問に思う。テレビをつけたら、霜降り明星の粗品がバイきんぐ小峠に「スキンヘッド!」とツッこんで、小峠は「ハゲだよ!」と返していた。頭痛い

2月3日
乃木坂とバナナマンの関係性神すぎる。乃木坂好きだしバナナマン好きだし乃木坂とバナナマン一緒にいるの好きだし、関係性萌えみたいなとこから出発して、もはやおれ乃木坂とバナナマンの関係性になりたい。関係性そのものになりたい。1つ1つ大好きで2つで1つのそれになりたい。

2月4日
とにかく世の中バズらせたもん勝ちで世も末なので昨年度は「あなたの番です」がバズり、今年度は「3年A組」がバズって終った。「誰?」がみんなの関心の的で、都合の良いまま拡散されて流行り病に観る者の心を射っていく。みんな犯人捜し大好きフーダニット万歳。気になってはいたが見逃した今、今となってはどーでもいいかもしれない。

2月5日
従兄弟に子どもができたというのでお祝いに行く。
生まれたばかりの赤ちゃんはお母さんの腕の中でバンザイ寝をしていて、自らの誕生を祝福しているかのようだった。「名前はもう決まってるの?」おれがそう尋ねると、お母さんになったばかりの彼女は
「リノ。リノはハワイ語で光って意味なの」と答えた。おれは「そっかリノか。」と呟きながら、ハワイ語で光って言う必要あるかな?じゃあ名前ヒカリにしろよ、と心の中では思っていた。名前に意味があるのってなんなんだろう何の意味があるんだろう。生まれた瞬間から意味づけられるのってしんどい気がする。名前に意味があるせいで、生きるのにも意味が必要だなんて勘違いしてしまう。
帰宅して、今日は予定があって行けなかった母親に事の顛末を話した。名前はリノだってさ。女の子かな。名前で性別は分かるだろうか。

2月6日
寝れない。ベッドに入ったのは深夜1時。時計を見れば今2時。かれこれ寝つけないまま1時間が経っている。おかしいな。今日は運動もしたしお酒だって飲んだのに。湯船にゆっくり浸かったし、ストレッチもした。パソコンや携帯も10時以降は触らなかった。なのにどうしてこんなに眠れないんだろう。理由が見当たらない。せめて、眠れない理由を見つけて眠りたい。じゃないと安心できない。なんだろう何だろう。考える考える。考えるぞ!と思った時に、考えたいそれを考えられない。無邪気に思考が飛び跳ねる。えーっ…となんだっけ、あれ、えっと。北海道に旅行行ったとき旭山動物園行ったけど暑くて動物へばってててガッカリだったな。違う違う。それじゃなくてえっと。他の人より蚊に刺された時「そんなに刺されるなんて美味しいのかね?」って言われるあれ何だろうどうでもいいな。なんの解決にもならないし。ん?いやいや。えーと、なんだっけ?違う違う違う。寝れない理由寝れない理由。幼稚園の時のお遊戯会、男子オオカミ女子ブタだったな。ひでえ話だな。そんな大雑把な分け方あるのか。しらすの稚魚ってあれ、間違ってうなぎの稚魚だったら大変なことになるなあ絶滅させちゃうもんな。深刻深刻。新鮮だからって生で食べたくないのあるよなあ。きちんと炙りたいし味付けして食べたいやつ。てか短パンおじさんの変態感ってスゴイな!ただ尺が短いってだけなのに。すげえ。祝辞の差出人ってなんで最後に言うのかな。最後に言うもんだから、ああ!あの人が!と思ったときには書かれてた内容全然わかんねえんだよな。せっかくの祝辞なのに。林家パー子ってあれ普通に盗撮だな。スプーン洗う時に水が飛び跳ねるあるあるもう飽きたなあ〜。完璧なオムライスに いいねするような大人にはなりたくねえ。暗闇になるとコンセントって消滅するな。散々やったけどいじめで済んだ。
またやっていた。しゃべり声とか聞こえていた。時計見る。今日もこんな時間。

2月7日
夜更かし仲間の友だちと「明日。っていうか今日」な やりとりをするのが日課になっている。ささやかな幸福。おやすみソングを探して午前4時。

2月8日
おれの地元である茅ヶ崎が
「2020年に引っ越すのに最適な小都市」
世界6位に選ばれた。茅ヶ崎市は2014年にはハワイ州ホノルルの姉妹都市として提携しているし、東京五輪における北マケドニア共和国のホストタウンにもなった、市民の知らぬ所で密かにグローバル化が進んでいる街だ。ただ世界6位に選ばれたからといって日本で6位には入らないだろうし、ランキングとは規模に限らず極めて個人的な所有物である。急にただ選ばれて、やった嬉しい、わー。とはおかしな話だ。評価されたとき、評価した奴がいることを考えなくてはいけない。我々は採点されている。

2月9日
茅ヶ崎には餃子の王将がない。隣町の平塚や藤沢にはあるが何故か茅ヶ崎には1店舗もない。なので友だちと餃子の王将が欲しいって話によくなる。

「餃子の王将できねえかなー。まじで」
「それな。日高屋は」
「行かねえよ。行くわけねえだろ」
「でも俺王将で天津飯ばっか食っちゃう。」
「好きなの?」
「いや、安いから。」
「どうせケチャップかけて食うんだろ。」
「食わねえよ。それじゃオムライスじゃん。」
「お前はほんと
 ケチャップと新幹線好きだからなー。」
「大して好きじゃねえわ。子どもか 笑」
「ははは 笑」

日高屋を楽しめる者は、日高屋に滅多に行かない者である。常連は日高屋に何も求めてはいない。無である。

「日高屋行くか。」

真顔。

2月10日
荻と萩は見分けがつかない。萩の月は萩の月だからいいけど、荻田は荻田も萩田もいるからややこしい。扉に書かれた英語表記PULLとPUSHぐらいややこしい。じゃんけんであいこが、勝ちになったり負けになったりするみたいに、どっちがどっちだか行ったり来たりする。バイト先にいるのは萩田じゃなくて荻田さんで、口数の少ない大人しい女性だった。荻田さんは美味しいおにぎりを握ってくれそうな雰囲気を醸し出していて、シフトが入ってない日はおにぎり屋さんで働いているに決まっていた。笑っていいとも!のそっくりさんのコーナーで、登場した素人さんに関根勤が決めつけで一言添えるそれと勝手は一緒だ。そんな荻田さんが今日の勤務中、掃除機を掛けていた。1Fから9Fまでの各フロアの隅々まで丁寧に掃除機を行き届かせている。掃除機はバイトや社員さんが普段使っている会社の備品で、いつもの通り、大事な箇所がいくつか壊れてしまっているのではないかと思わせるほど凄まじい轟音を響かせている。その音はあまりにも大きくてダイナミックだ。おれは、〈荻田さん穏やかな性格だと思っていたのにそんな音させるんだ。そういう一面あるんだ。〉と驚いた。てっきり俺は、もっと穏やかな掃除機の音をさせるのかと思っていた。ショックな出来事。

2月11日
ノムさんこと野村克也が亡くなった。死因は虚血性心不全。突然のことに驚いた。おれは、出版されている著書はほとんど持っているほどのノムさんファンだ。なんとなくずっと生きているような気がしていた。あのひとより先に死ぬのか、みたいなことを思ったりもして、本当は死ぬ順番なんて決まっていないのに勝手に決めつけているじぶんを知った。ノムさんの本を読んでいたおかげで、というかせいで、自然と身に着いた野球の知識がある。なかでもボールカウントがノーツ―(=ノーボール・ツーストライク)のときには一球外せ(=ボール球を放れ)は著書で何度も出てくるので頭に染みついている。ただ俺は野球選手でもないし草野球をするわけでもないので、この知識を生かす場面には遭遇しない。ってかそもそもボールを投げない。だからそんなことを知っていてどうするんだ?って所があるが、それでも俺は知っている。
ピッチャーは、ボールを投げなければ打たれない。俳優は、演技をしなければ演技が下手なことがバレない。たくさん食べても、体重計に乗らなければ太っていることにはならない。PCR検査は、検査しなければ陰性か陽性かわからない。
Noobtasticというミュージシャンの曲で印象的な歌詞がある。

〈首を吊るとき ぶら下がる木の名前を知っていることはどれだけの助けになるだろう〉

今日おれは海岸まで散歩しに歩道橋を歩いた。歩道橋から見た道路看板はとても大きくて、おれは道路の看板はとても大きいことを知った。

2月12日
カネコアヤノ、ちゃん?

2月13日
その飼いネコには、お気に入りのぬいぐるみがあった。ネコのぬいぐるみだった。家から出ない「家猫」として飼われていたその猫にとって、ぬいぐるみは唯一の友だちだった。ベッドに入ると決して離さないそうに毎晩ギュッと抱きしめて夜を過ごした。ある日、飼い主がそのぬいぐるみを洗濯してしまった。ぬいぐるみは洗濯されると少し縮んで小さくなった。匂いは柔軟剤の香りに変わった。ネコはその、〝洗濯された見覚えのある代物〟を前に不思議そうに首を傾げていた。確かに知ってるぬいぐるみ。毎晩大事に抱き締めて一緒に寝ていたぬいぐるみ。でも縮んでいるし匂いも違う。ネコはこれが大好きな〝あの〟ぬいぐるみなのか判断できずに混乱し、首を傾げることしかできなかった。
誰も皆孤独には耐えられなくて、繋がって、溶け合おうとする。安心できる要素を探して安心できる人を求める。それは触感だったり、言葉だったり、視線だったり、雰囲気だったり。他人の中にある理想のじぶんや現実のじぶんを感じては安心する。でもそいつはいずれいなくなる。必ず遠い彼方へ去っていく。作ってきた関係が崩れるというよりは〝奪われる〟感覚で。抱き締めていたからといってじぶんのモノにはならない。あの時もあの時も、抱き締めている自分がいるだけだった。それはあなたの描いた幻想だった言うけれど、きっとみんな別人のことしか好きになれない。

2月14日
(じぶんの)人として未熟で追いついていない部分と(相手との)アイデンティティ同士が相違している部分の境目が未だわからなくて混沌としている。相手を思っての優しさと自分本位の優しさは違うし、自分本位の優しさは時に相手を苦しめるし、優しさは技術だし、恋愛と依存の境界線を見失っていることに無自覚でいると関係性はデフォルトになってるものだし、変な関係性でも関係は関係だし、変な関係ってなんだよ誰視点だよって話だし、愛は消えても親切は残るし、偽善やってデフォルメしてひん曲がってのめり込むこと防ぎたいで何とか人間やっている。

2月15日
作為があるのはご愛嬌。

2月16日
「あなたがいい」から「あなた以外なら誰でもいい」に移行していく。嘘だけど。本人にどうとか無いけど(無いは嘘だけど)そういう風に思おうとしている。存在がしんどい。存在自体がしんどい。生きていることがしんどい。おれに踏み入ってきて傷つけてきて、考えうる究極的な痛みを与えてくる。死んで貰って劇的に変わる訳でもないけど、これは紛れもない事実。よく思い出す人って、思い出すってことは皆さんご存知の通り忘れてたってことだし、その一方でおれは途切れることなくブッ刺されてるから忘却じゃなくて消失し尽くしたい。お互いに。

2月17日
話を聞いた今この瞬間の自分には受け入れづらい案件のとき、視野を広げられれば受け入れられるのでは?と視野拡張を試みる。そしてその為には、相手が伝えようとしていることの細かなニュアンスを知る必要があると思うから、話をよく聴く、触覚を伸ばす。でもこれやっぱ限界があって、一生懸命伸ばしても届かなかったり別んとこに触れていたりする。共感はないけど理解するって、今の自分にはなかなか出来ない。それが例えば「無関心」であればそれっぽく振舞うことは出来るけれど。相手の中に入りたくても潜りたくて、でもそれが叶わなかったとき、本望なら疎外・拒絶として受け取らないでいたいが整理はつかず、混濁して心は苦しい。呼吸することすら難しくなったりする。人類全てに平等に接するってことは、自分自身が物になるってことだと思う。共生共存するはずが他者崇拝。己の意志を押しのけて、自身を物質化してしまう。正解っぽいものを自分は持ってなくて、違うものを持っちゃってることを知ったときがある。「正解じゃないかもね」って言われる分にはいいけど、「間違い。間違ってる。」って言われるのはだいぶ厳しい、だいぶしんどい。 知ったはいいけど自分の中に落とし込んでいくのには時間かかる。待ってくんない?と問うけれど、待ってくんない。

2月18日
全然嫌いになったとかじゃないしポジティブなかんじなので会いたいなーってひといる。なにしゃべったらいいかわからんけどしゃべるのに相応しいことなんてないかもだけど、さりげないかんじで一緒にご飯食べたりして体温感じたい。

会いたい。って思うんですけど、人って会ったら話さなきゃいけないっぽい感じあるじゃないですかー 。話したい気持ちはあるんですけど何話したらいいかわかんないし口開いたらこんがらがるの見え見えだし。なんで、話すとかそれ違うなみたいな。
でも会いたいしどーしよ。砂漠とか観察したいな。
なんもない砂漠。水族館とか動物園とか違くて、盛り上がりポイントいらないんですよね、話しちゃうし。
ぼーっとただ観察したい。

2月19日
壊れるを〈ぶっ壊れる〉って言ったり
キレるを〈ブチギレる〉って言ったり
わざわざ言い方過剰なひとがすき

2月20日
ローランドの名言の一つに
「俺か、俺以外か」ってのがある。
そんなに大した言葉なのか?と思う。
人間誰しも俺か俺以外かで、つまり自分か自分以外かだ。何をそんな当たり前のことをカッコつけて語ってんだ、と思ってネットで調べてみたら全文は「世の中には2種類の男しかいない。俺か、俺以外か」だった。ローランドかローランド以外か。いや、もっといるだろ大嘘つき。というか人間を2種類に分けるな。なんとなーく、女性を一括りにして一種類だと考えてるその感じが本当にどうしようもなくてたまらない。性別ですら男と女だけじゃ全然足りないっていうのに。

2月21日
安田大サーカスクロちゃんのTwitterに不気味な男を見かける。壁の間に挟まって白目を向いている。お笑いコンビ、ワンワンにゃんにゃんの菊池だ。クロちゃんとプライベートで親交があるのだろう菊池はクロちゃんのTwitterに度々登場しては白目を剥いている。菊池はかなり特徴的な容姿をしていることだし、普通だったら「菊池気持ち悪い」等のリプがつきそうなものだが、実際のところはそれが全然ない。クロちゃんが嫌われすぎているからだ。リプ欄はクロちゃんへの誹謗中傷で溢れている。その見事なまでの嫌われっぷりには感嘆しかないがそれ以上に、特徴的な容姿、というかハッキリと書けば〈ハゲ〉であることに加えて白目まで剥いて渾身のボケをかましているにも関わらずフォロワーに無視され続けている菊池には同情しかない。HP見て調べれば、ワンワンにゃんにゃんの相方は忍者だった。

2月22日
我々も新型コロナの少なくない影響を受けることになりそうだ。コロナの魔の手が粛々と忍び寄ってきている。もう会えないかもしれない人と果たせなかった唯一の後悔は、雑談をしなかったことかもしれない。

2月23日
バイトの同僚の児玉さんが退職することになった。今月いっぱいで辞める旨を、本人の口から直接聞いた。児玉さんはバイト先で一番話していた人で、休憩中には食事をしながらおしゃべりしたり仲良くさせてもらっていた。おれは親交が深かったこともあり一足先に、半年前の時点で近いうち辞めることを聞いていたが、いざ辞めるとなるとやはり寂しい。児玉さんは趣味で陶芸を嗜んでいて、日頃から時間を見つけてはお皿や器などを作っているようだった。いずれは陶芸で生計を立てたいらしく、商品として出品することもあったようだが、中々生業としてやっていくのは難しいらしかった。そんなこんなで、ここ湘南地区に身を置いていても仕方がないと一念発起して、所変わって香川県は丸亀に生活の拠点を移すことにしたらしい。老舗のうどん屋に弟子入りしてうどんを学び、いずれはじぶんで作った陶芸品拵えうどん屋を開くとのことだ。素晴らしい未来への展望。おれも負けてはいられない。彼の希望に満ちた眼差しと期待を抱いた自信気な語り口に触発され、俺も行動を伴った実践していかなかなければいけないと覚悟を決めた。児玉さんの明るい未来を心から祈って。
それにしても、日常はないのに当たり前みたいに別れはあるとは寂しいものだ。

2月24日
なんとなく、徐々にではあるが友達界隈がTwitterから離れていっている気がする。いいねやリツイートはしても自分でツイートしなくなってる。つぶやくことへの飽きと空虚さか。影響力ある人だけつぶやいといてよ、どうせつぶやいても反響ないしーって俺も少し荒ぶる。Twitterのトレンドもクソほどどーでもよくなっている。見たことも聞いたこともない、見たってピンとこないようなしょうもな案件がトレンドを埋め尽くしている。昔はこんなじゃなかった。明らかに今年に入ってから変化した。これは作為か?権力か?何かしらの力が働いていることを感じる。

2月25日
作為的なエロを見ると作為を強く感じる。濃縮した作為を感じる。棒状のものを舐めている女性を見て、棒状のものを舐めているなと強く思う。ひょっとするとこの人は馬鹿なんじゃないかなとも思う。たぶん馬鹿なんだと思う。そんな画を見てしまった俺もきっと馬鹿なんだろうと思う。棒のような、鈍器のような、鍋つかみのようなものを舐めるひと。

2月26日
〈Twitter、早くこれになりたい〉
り。

2月27日
同期がYoutuberになった。というかじぶんのアカウントを作ってYoutubeでの活動を始めた。早速動画を上げはじめたようで、見れば何とも下品な感じになっていた。こいつムラってんのかなーという雰囲気があって青かった。彼はおれより2つか3つか歳下でまだ若いし仕方がないのかもしれないけれど、よく考えたら自分が同じ歳のときにはやらなかったであろうことだし青さに歳は関係ない。軽率な下ネタに入り浸り、中2的な風を吹かせ大学生ノリを乗せている。そうはいっても彼の動画は必ずチェックするし、応援している。だから書く。わざわざ言うのは気が引けるけど、考えていることは確かなのでここに残す。最初から青みがないものなどなくて、すぐに実る訳がなくて、己が青みがかっていることを自覚して、萌芽育まなければならない。しかし水のやりかたは人によって違う。Youtuberって〈好きなことで生きていく〉ってのがテーマみたいな所があるから、色んなYoutuberの動画を見るたび俺は、「こいつの好きなこと、これかー。」と思う。ドッキリやテレビ企画の真似事や。本当にみんな、やりたいことをやっているんだろうか。やっているなら、そんなに人間がやりたい事は似るのだろうか。再生回数を稼ぎたい、ひいては金を稼ぎたいんだろうに、欲望の矛先をひた隠して好きにしている。好きなことをやってるんじゃなくて、人気者になりたい!金を稼ぎたい!だから既にバズってることをやる!より過激にやる!でいいんじゃないか。視聴者も納得だろう。好きなことやってなくても大丈夫。何とかやれれば大丈夫。やりたくなくなったら辞めても大丈夫。やりたくなったらやっても大丈夫。〈生きていく〉が大事。おれらは生きなきゃいけない。

2月28日
目的があって1階へ降りたはずなのに、到着した頃にはその目的をすっかり忘れてしまった。やるべきことがあったことは確実に覚えているが、それが何なのか思い出せない。立ち止まって考えるも、手掛かりのようなものすら掴めない。捉えられずに気配だけが独り歩きしている。きっと忘れるくらいの些細なことだ。と思おうとするけれど、事の重要さに関係なく気まぐれに忘却は生起する。おれは何をするつもりだったのか、将又それはおれのやりたいことだったのか。瞬く間煙のように消えてしまった。
あのときもそうだ。ハッピーバースデーの歌を歌ってお祝いしていたらdearの後が抜け落ちた。意気揚々と歌いだすも言葉続かず、呼び名と生きがい探す状況に陥った。なんて呼べばいいのか、誰を祝っているのか、何故歌っているのか、突然すべてが分からなくなった。当然のように呼び名も分からない人様の誕生を祝福していることが恥ずかしくなって、生きるが不安になった。明日の朝は戦争かもしれない。すべからく1分1秒が命取りだ。起床したら出勤するために急いで身支度をしなくてはならない。じゃないと遅刻する。
気を落ち着かせようとコップに口をつける。水が気管に入って激しくむせた。マスク常備飛沫厳禁なこの世界では心なしか、いつにも増して視線が冷たく感じられた。
折り返しの電話がいつまで経っても繋がらない。

2月29日
〈愛の対義語は無関心〉
だとしたら俺はずっと愛と程遠い生活をしている。呟いたって活動したって作品創ったって、打っても打っても何も返ってこない壁打ち状態。やることなすこと皆目反響が無い。打ち続けるには骨が折れ、身も心も諸共折れそうだ。
死について考える。人は二度死ぬ。一度目は心臓が止まったとき、つまり肉体的な死。そして二度目は忘却による死。その人の存在を覚えている者がもう誰も残っていないとき、永遠の死が訪れる。思い出してはじぶんのことを顧みる。
視線という名の愛を注がれず、ひたひたの無関心を浴び、己の語りが木霊する。そんな状況にいつまで身を置いていればいい。おれの思考に目もくれず心臓は拍動し続けている。心臓の筋肉が律動的に収縮を繰り返していればひとまず生命の維持することはできそうだが、生きながらにして二度目の死を迎えることも叶いそうだ。二度目の死、忘却の死を。いや果たして俺は、忘れられる前に誰かに覚えられていたのだろうか。考えては考えて、考え続ける上でどうにか生き存えているその先で、ふとした拍子に己の心臓が己の思考に関心を向けたとき、おれは肉体的な死を迎える。死して初めて、存在が現実に反響する。

#日記 #エッセイ #コラム #ノンフィクション #フィクション

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