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虚実日記10月

10月1日
YouTubeで霜降り明星のチャンネル「しもふりチューブ」を見る。ふたりがスタジオと思わしき場所のいいかげんなカーテンの前で漫才をしている。漫才が始まって早々粗品が、例の、あのツッコミをみせる。「ボラギノール!」おお〜。そうだそうだ。今のせいやはまるでボラギノールのCMみたいだったよなあと感心する。そして正解だ、と思う。ふたりの漫才は続く。せいやは身振り手振りを交え、ときにはマイクから大きく離れながらもテンション高く積極的に発言する。一方の粗品はせいやが話した話題の補足情報を差し込み、見ている私たちが理解できるように噛み砕いた説明をしてくれる。いわばせいやの発言にふきだしをつけてくれているような存在だ。かれはやさしいひとである。粗品が話を拡げる。せいやが野次を飛ばす。粗品は気を取り戻してもう一度話そうとする。しかしせいやはめげずに野次を続ける。そこで粗品はこう言う。「野党か!」おお!その通りだ。今のせいやはまるで野党のようだった。勘違いで何となく適当に思い浮かべた国会中継とイメージは重なる。〝野党〟は野次を飛ばす生き物としてこの世ではまかり通っている。より正しそうな「政治家か!」ではいけない。与党も野次を飛ばすだろうけどそれでは何処か物足りない。野党の方がしっくりくる。堂々と言い切ることで違和感を塗り潰し、理解の前に納得をさせる。
霜降り明星の〝それ〟はほとんどクイズだ。せいやは出題しているし粗品は解答している。せいやの出題能力は素晴らしいし粗品の正解率も素晴らしい。というか粗品が答えればそれが正解になる。かれはクイズ王だ。霜降り明星に日本は小さい。ニューヨークに行くのがウルトラ正解。

10月2日
いつ残したんだかわからないメモを発見。
・腐ってもたいまさこ

10月3日
バイトの休憩時間、同僚がスマホでAVを見ながら食事をしていた。スマホを見てはご飯をかきこむ。スマホを見てはご飯をかきこむ。かれはAV見ながらご飯がすすむくん。

10月4日
冗談やおもしろは大声で叫べば押し切れるけど、世の中への不満はいくら大声で叫んでも届きさえしない。冗談だと思われているんだろうか。

10月5日
テレビでこと「調査」となると調査スタッフはやたらと走る。無闇矢鱈に走るなあと感じる。調査の演出は「走る」と相場が決まっている。伝えたいのは必死感か懸命感か。とにかく汗をかいて、やってます感を主張してくる。わかりました承知しましたちゃんと調査していますねというか最初から疑ってません何ですか。調査と云ってもネット検索が主だろうから、時間があまってヒマなのかもしれない。時間を穴埋めするためのランニング。調査員はいつだって健康的だ。
テレビにまつわる個性的な演出といえば、連想するものがある。痒み止めのCMだ。痒いが爆発している。というか掻きむしり過ぎる。画面の中の彼らはやたらめったら果てしなく掻く。いくらなんでも、そんなにボリボリやったら皮膚が傷ついて荒れますよーと見ているこちらはハラハラする。モノによっては最後に「痒ーい!」と叫ぶし。あんだけ掻いているし痒いって言ってるし痒いんだろうなあ。伝わる伝わる。
痛み止め軟膏のCMなんてのは正にその、パックリいってる傷口を見せてくる。傷口見せるだなんて卑怯なことされたら痛々しいと思うほかない。
イタイイタイ。痛さが伝わります。充分です。
恐らくそれぞれにはそれぞれの購買促進方法がある。「痛さ」は伝わりやすい。切り傷はみんな経験するものだし、切り傷の程度も似たり寄ったりで痛みを想像するのは難しくない。傷口本体を見せてしまえばいっちょ上がり。軟膏買おうと店へと急ぐ。
一方痒みは伝わりづらい。皮膚が弱い人やアレルギーの人は日常的に程度の高い痒みにさらされているから、自ずと経験値は高くなる。しかしそうでない人にとって、身近な痒みって中々なくって思い当たらない。せいぜい夏場に刺される蚊くらいなもんだ。他人がどれだけ痒いのか。見ている〝だけ〟では伝わらない。だから爆発的に掻く。掻くことで伝達を稼ぐ。しかしそれでもやっぱり物足りないから最後には「痒い」と叫んで〝痒い〟にする。痒さの演出は大変な難産だったに違いないお疲れさま。
で、調査する人はなんで走るんだっけ。

10月6日
それにしても「耳」は穴が開いているというのに乾き過ぎじゃないか。身体で穴が開いていたら湿ってないと。穴=湿りの例外。耳はいつでも乾いた存在。

10月7日
Twitterで「昨日夢を見た」とみんなが報告している。不思議。おれはみてない。

10月8日
YouTubeにて更新されていたデイリーポータルZ「むかない安藤」を見る。今日はヘーゼルナッツを剥かずに食べるという。むかない安藤が何の躊躇もなしにヘーゼルナッツを皮ごと口へと放り込む。持ち前の強靭な歯でナッツをかちわり、ガリガリッと音が鳴る。心配になる。歯は大丈夫だろうか。
むかない安藤は何でもかんでも剥かずに食べる。
皮ごと、袋ごと、丸ごといく。乱暴に歯で砕いては咀嚼する。それは食事というより破壊だ。渋い。エグい。頻出する感想のインパクト。味わう余裕など更々ない。ほとんど嘆きだ。敗戦コメントだ。そして身体は震える。見るからな拒絶。生理反応。食べてはいけないものを食べている。むいて食うものをむかずに食ったり、まんまいかないものをまんまいったり。それは進入禁止のところを進入していくような、道なき道を切り開いていくようなツワモノ感。そこには人を惹き寄せる何かがある。貝やクルミを歯で砕いていくその様はどこか感動的でもあった。
なんでおれはこんなに心打たれるのか。むかずに食べるのってとても原始的だ。おれは大昔の人みて感動してるんだろうか。そんなことも一瞬考えたけども、よーく考えると昔の人も皮ごと食べてないんじゃないか?と思い直す。大昔の人だってさすがにむくだろう。食べやすくしてから食べるだろう。むくぐらい怠らない。そんな馬鹿じゃない。だって猿だってむく。少しでも美味しくして食べるはず。渋いやエグいって危険信号でしょ?信号無視するかな。むしろいまの人より身の危険には敏感だったかもしれない。そうするとむかない安藤ってなんなんだ。むかない安藤のこと動物的だと思ってたけど、ほんとの野生の動物はやたらめったら口に入れない。子は親が食べたものしか食べない。安全じゃないもの身体に入れない。食の冒険、攻めたりしない / できない。むかない安藤は人類の進化?こういう伸び方はあるんだろうか。歪んだ成長曲線。いや、軸の問題だ。軸の設定が違うんだ。効率の良さや賢さからは乖離した独自の進化。

10月9日
仕事終わりに同僚と一杯ひっかける。ほろ酔い気分で店を出ると子どもたちが道路で〝キャッキャ、キャッキャ〟とはしゃいでいた。なにが楽しいんだかは知れないが、とにかく楽しそうに何度も何度も道路を行ったり来たり繰り返している。よく聞くとみんなして「ウッキッキ、ウッキッキ」と言っている。猿だ。猿をやっている。ウッキッキ、ウッキッキ。ほんとなにが楽しいんだろう。みればみるほど分からなくなる。しかし猿はともかく、じぶんが子どもの頃もこういうことはあった気がする。というか確実にあったのだ。笑い転げるというか、呼吸するのも難しくなっちゃうような大爆笑。身体がくしゃくしゃになるまでたくさんたくさん笑ってた。あれは一体なにがおかしかったんだろう。なんでおれはあんな笑っていたんだろう。いくら考えても思い出せない。そんな大したことじゃないことで笑っていたんだろうな。思い出したら、くだらなすぎてがっかりするかもしれない。でもやっぱり、あのときみたいに身をよじらせて笑っていたい。嫌なことも全部吹っ飛ばすくらいに大笑いしたい。すぐに真顔に戻ってしまいたくはないよ。引きずるほどに、明日や明後日まで笑っていたい。そんなことを思いながら子どもたちを眺めていると、となりで同僚が「すごいねー。みんな体力あるねー」と言っていた。そんなことないと思った。体力はおれの方がある。

10月10日
テレビドラマの母親役は宮崎美子だった。「母親」はかなりの確率で宮崎美子だなと思う。宮崎美子はよく子を産む。後継に困らないだろうなと思う。いずれは宮崎美子に似た子どもたちが恋愛やったり青春やったりするのだろうか。

10月11日
晩御飯が餃子。市販の餃子の皮買ってきて焼きやした、いただきやす。うま、あれ?皮20枚入りを2つ買ってきたはずなのに餃子41個ある。おかしいな、数が合わない。わかった、なるほど。20枚入りと書いておいて万が一の為に1枚多めに入れてるんだ、と思ったものの41。ん、奇数?(20+1)×2=42じゃないの?キモチワルイ。まあいいか、多いわけだし。奇怪にお得。

10月12日
行きつけの焼き鳥屋さんに行く。お酒を飲むようになってからのおれは焼き鳥大好きにんげんである。鳥を焼いて塩胡椒で味付けしてときにはタレをつけてビールやハイボールお共にいただきます。はふはふ。うまうま。こんなに美味かったのか鳥ってやつあ。焼き鳥ってやつあ。いくらでもいけそうじゃない?永遠に食べれそうじゃない?どうなっちゃってんの?もうどこ食ってんだかも知らないよ。鳥のどこの部分食ってんだか定かじゃないよ。とにかく進むよ。酒が。美味いよ。染みるよ。何もかもどうでも良くなるよ。悩みとか鬱憤とか。なんでもいいんだあ〜そんなこたあ。鳥食ってっからだよ。気分いいよ。そいじゃね、ばいばい。おやすみ〜

10月13日
朝の情報バラエティ。イタリア人が寝起きでもイタリア語で話していて舌を巻いた。かっこいい人はずっとかっこいい。らしい。

10月14日
「カメラを止めるな!」上田慎一郎監督
写真で毎回なんらかのポーズして写ってるなあと思っていたら、あれはぜんぶ剥製だと知る。どうりで。

10月15日
久しぶりに行くと思い出す。その味わいを思い出す。居心地の良さを思い出す。浸る気分を思い出す。こないだ行ったばかりだというのにまた行きたくなってまた行きつけの焼き鳥屋に行く。店は外から見るかぎり席に余裕があるようだった。「ひとりなんですけど大丈夫ですか?」中に入ると店主は、しているのかしていないのか曖昧な会釈をした。ここには何度も通っているはずだが店主とは話すほどの仲にはなれていない。もともと寡黙なひとなのかもしれないし、おれだけでなく誰に対してもそうなのかもしれなかった。まわりを見渡れば、テーブルを囲むサラリーマン衆をのぞけば誰もいなく、広々とした店内に反して寂しく閑散としている。が、店内ガヤガヤとんでもなく騒がしい。彼らが大盛り上がりしているからだ。スーツ姿の酔っ払い集団。テーブルの上に乱立するジョッキが随分と早い時間から飲んでいることを示している。へえ〜賑やかでいいですこと。そんなに愉快なんじゃあさぞ楽しいんでございましょうなあ〜なんてこっちはすっかり見物気分。ひとりカウンターに腰を落とす。いつもの通り生ビールセットを注文しよう。店主に声を掛ける。気づかれない。声をかける。気づかれない。どうやら焼き場近くの換気扇の音が大きすぎて聞こえていないようだ。仕方がないので少し待ってタイミングを伺う。待てど暮らせどタイミングは来ない。タイミングって来ないよね。店主はかなり忙しそう。手を上げ、さっきより大きめの声量で再チャレンジ。すいません!ようやく気がついた‼︎店主は大慌てでこちらに振り向く。「生ビールセットひとつ」「すいません…今日生ないんですよ…瓶でも大丈夫ですか?」ショック。生ビール切れたのか。時計を見るとまだ7時。サラリーマン連中が全部飲んだのだろうか?なんて奴らだ。泣く泣く生セットは瓶セットになった。消沈なおれにお通しの冷奴が出される。いただきます。食べようとするも箸がない。おしぼりがない。よく考えたら準備がまるでない。なんでだ。持ってきてもらうために声を掛けようとしたが、店主はやっぱり忙しそうにあくせく作業に追われている。また次きたときでいいか。この短時間でみるみる妥協していってる気がする。お通しに手をつける。冷たい奴はあいつらだ。あいつらが相応しい。あいつらに出せ。いや、あいつらも出されたのか。なんで俺が食うんだろう。俺は冷たくないのに。お通しだからか。思いながら食べる。美味しい。

10月16日
金木犀の香りがしてどうのこうのと皆がつぶやいている。どうやら世間に秋の便りがきたらしい。へえそうなのかと事を知り、ヒクヒクと鼻を膨らませるが何も匂わない。まぬけに鼻孔を拡げただけに終わる。悲しくなって肩を落としてショボくれる。秋が来ない。おれの鼻は頼りない。

10月17日
昨晩からの続きだけれど、今日は一日寒かった。ずっと曇り空でどんよりしていたもんだから、差し響いて気分もどんより。せっかくの休日なのに外にも行かず家に篭ってだらりと過ごす。これから冬が来て、もっと寒くなるのかと思うと気が重くなる。重くてどんより曇天顔。

10月18日
予報では晴れだと云っていたのに夕方から雨が降り出した。道行く人みんな用意がないようで、雨粒を避けて大慌てで家路へ急いでいる。こういうときに小心者は役に立つ。おれにはオリタタミガサという優れものがあるのだ。日頃の重荷が魔法のアイテムへと変わっている。いつなんどきでも持ち歩いているのが功を奏した。おれはすれ違う「つんのめり民」を横目で見ながら、余裕を持って歩いていく。それはさながら勇者。アイテム片手に雨のなか余裕で自宅に到着。余裕でオリタタミガサを折り畳む。一枚一枚、折り目に沿って、ひだをゆっくりていねいに折っていく。ひだは充分にじっとりと水が染み入っている、じっとりと。雨滴が落ちる。雨滴が落ちる。雨滴が落ちる。指先湿る。気づけば淫靡な気持ちになっている。

10月19日
「今日も今日とて稽古。」
今日も今日とて、そうつぶやいて演劇人になってみる。今日も今日とてしっかり稽古をしていることにする。日が暮れるにつれて徐々に気温は下がっていき、持っていった上着だけでは事足りず、途中休憩の合間に温かい飲み物を買いに行く。近くに自販がないから足を伸ばしてコンビニだ。地理に弱いので、いや、いつもの通りグーグルマップを頼りに目的地を目指す。到着までは歩いて4、5分。どれだけ近い場所でも案内がないと到着できないのが情けない。きっとおれは携帯がない世界線じゃ生きられない。頼りのグーグルマップが複雑なルートを示し、混乱する。住宅街の中をくねくねと沿っていく。歩くにつれて道幅が狭くなっていき不安は高まる。本当にここで大丈夫なんだろうか。ちゃんと道は続くんだろうか。ギリギリの所で裏切られた記憶もあるから心細い。ほっそいほっそい道は大通りへと抜けていた。その先にはコンビニの看板。よかった、とほっとする。そして大通りからのルートもあったのかよとモヤモヤする。ホットコーヒーを買い、店を出る。グーグルマップを開き、稽古場までのルートを検索すると、大通りからのルートが示された。やっぱりだ。大通りからもコンビニへ行けたんじゃないか。モヤモヤがイライラになる。あまり時間がないので走って戻る。稽古場到着。中は暖房が効いていて温風が吹き付けている。さっきまで走っていたので暑くて仕方がない。汗が滴る。羽織っていた上着を脱ぐがそれでも暑い。ほっとコーヒーもういらない。

10月20日
CINRAが主催するカルチャーフェス「NEWTOWN2019」に行く。去年に引き続き2年連続の出場。来年は出たいぞ!と意気込んでいたものの、今年も来場者としての参戦となった。お目当てはシンガーソングライターのカネコアヤノ。彼女の歌声を聴きたくて参戦を決めたのだ。ライブ会場の体育館は人でごった返していた。外の寒さとうってかわって熱気でむんむん。今か今かと彼女の登場を待ち望んでいる。待つことおよそ30分。ついに、カネコアヤノの演奏が始まった。
カネコアヤノをきくときは「聴き入る」しか仕方がない。垂れ流しの流し聞きではいられない。「ながら」で聞くことをおれの身体は許さない。全細胞を、全神経を集中させてその声に耳を傾ける。それゆえカネコアヤノの曲は生活のテーマソングにはなりえない。おれにとっては。毎日聞く気になれないのは何となくで聞けないから。ほんとに辛いときや苦しいときに縋る、心のたより。また明日からがんばろっと。

10月21日
別に?みたいなお澄まし顔で生活したくてバイオリンを購入した。顎に乗せて涼しさを奏でる。

10月22日
ミルクの要否は2度問う。それは店の決まり事。珈琲にミルクはつきもの。これは決めつけ。真偽は不明。おれはオレでもラテでもなくブラック。断る。訊かれるたびに断る。つまりマクドナルドで珈琲を飲むとなるとミルクを拒否ることになる。
じぶんを疑う。おれはとんでもなくミルクが嫌いな人なのではないか。じゃなきゃ何故にここまで頑固に断固として断るのか。ミルクを入れる夜があってもいいだろうに。このままではコーヒーにミルクアレルギーになると静かに警戒している。

10月23日
全身で脱力した。茅ヶ崎に3店舗目の日高屋が誕生するという。3つ?多すぎる。そんなにいらない。茅ヶ崎はそんなに大きな街でもないし、どっちかっていえば田舎だ。というか湘南だ。なのに爆誕。要らないよいらない。なんだよそれ。何故に産むのだ日高屋よ。遠回しに馬鹿にしてるのか。いや、日高屋は良い店よ?勿論。安いし美味しいし。それはそう。でも違うの。あ、ここ潰れたな。次なにできるかなー?ってワクワクしてた結果の日高屋て。餃子の王将がよかった。行列できてる。なんだそれ。日高屋っていくらあっても足りないものなのか。東京出よう。

10月24日
朝、Twitter「那須の長楽寺」というアカウントがほぼ毎日アップしている住職の朝ごはんの動画を見る。飼っているのであろう猫4匹が朝ごはんをとる住職の周りに群がり、エサをくれとやっている。にゃんにゃんと鳴いてアピールする。住職はじぶんのご飯と並行しながら、手でつまんで器用にエサをやる。猫たちは待ってましたとばかりに口でエサを受け取る。住職は猫たちを愛し、猫たちも住職を愛しているのだなと感じさせる。「等量の愛」の風景がここにある。動画の再生回数は常に数万回に達するしフォロワーだって12万人いる。すごい数字。人気みたいだ。それはさておき。猫もいいけど、もちろん可愛いけど、おれは最近住職の朝ごはんが気になりだしている。ときにパンだったりおにぎりだったりうどんだったり蕎麦だったり。今日の朝ごはんはナニかなとか思ったりする。朝からこんなにちゃんと食べるんだなとか、寝巻きのままじゃなくて仕事着に着替えてから食べるんだなとか。ひとの朝って面白いナ。

10月25日
長谷川京子は色っぽいっぽい。グータンヌーボ2を見ていたらMEGUMIから「エロみがすごい」と言われていた。鈍いので、と放りたい。というか知らんぷりを講じたい。ぷんぷんな醸し出し屋さんかしら。オゾンかけたい。

10月26日
芸能人になりたい。いや、有名人になりたい。気さくさが売りの有名人になりたい。何でか分からんうちにいい位置にいたい。

10月27日
映画。大事な物を投げつけてガラスを割るな。スローモーションにしてエモーショナルにするな。感情を破片にするな。劇場で観なければ完全な沈黙は訪れない。

10月28日
「石橋貴明のたいむとんねる」を見る。
ゲストの夏菜がまた性懲りもなく、いつもの通り当たり前みたいにぶっちゃけていた。この人は何かにつけてぶっちゃける。ひたすらにぶっちゃけ、ぶっちゃけにぶっちゃけ、ぶっちゃけて稼いだ金でメシを食っている。やれ風呂上がりには裸でうろうろするだの、大酒飲みで15〜20杯は平気で飲むだの、朝ドラで主演をやっていた頃の不満をあーだこーだ。口を開けば赤裸々が飛び出す。そこまで話す!?を売っているがこちらはそこまで聞きたかないし端ない。きっとついこぼれてしまっているんじゃなくて、強い意志でもって吐き出してるんだろう。本音と銘打たれた馬鹿正直な馬鹿な戦略。余すとこなく、包み隠さず話したさきに身も削り、なんとか残った首の皮一枚でなんとか生きるつもりでも、既に骨は断たれてる。今日は風呂場でおしっこすると言っていた。こういうタイプのカミングアウトをずっとやるのってどこまで行ってもセーフなんだろうか。

10月29日
保湿に筋トレ。バランスの良い食事に充分な睡眠。
手を抜かない美への追及。じぶんで自分の限界を作らない。要約するとストイックとは金持ちの嗜好。

10月30日
「誰が」言っているかよりも「何を」言っているか。だけど、それより「どう」言っているかがどうしても気になる。世間じゃ逆ですけど。who > what > how
誰かが誰かであることは
超強くてムキムキゴリラ🦍🦍🦍

10月31日
ワイドショーを使って芸能人のおっさんが「ハロウィンはそもそも…」とハロウィンのそもそも論を語っていた。街の熱狂や混乱とセットで秋の季語になっているなーと思う。

#日記 #コラム
#エッセイ #フィクション #ノンフィクション

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