見出し画像

「短編小説」閏年に#シロクマ文芸部


閏年に一度、母は私に逢いにくる。
うっすらと覚えているのは、四歳の時、砂場で遊んでいた私に
「行きましょう」
白いダウンコートを着た女性が声を掛けた。
「あ、ママ〜〜」

『知らない人に付いていっては、いけません』
幼稚園で教わっていたけど、「ママ」は知らない人じゃないからいいよね?
私は砂だらけの手を母に手伝ってもらって洗ってから、手を繋いで公園を出た。
一言も話さないのに、それが母だと分かったのは、どうしてだったのだろう。
公園の側の喫茶店で、プリンアラモードを食べた。
母は私の様子をにこやかに見守りながら珈琲を飲んでいた。
それから気付くと家に居た。
「いい?〇〇ちゃん、オリンピックの年に必ずまた逢いにくるからね」
母の笑顔が忘れられない。

その四年後、私は八歳になっていた。父は新しい奥さんを迎えていた。私が
「私のママは?」
と聞くと
「ほら、あのお空の上から〇〇を見守っているからね」
八歳児の私にすぐに見破られる嘘をついた。
「嘘、嘘、嘘!また必ず私に逢いにくるって言ったもん」
「夢をみたんだよ、可哀想に…」
父は私を不憫な子だなと言うような目つきで見た。

八歳の2月29日、約束通りに母は現れた。
また喫茶店に連れて行ってもらって、今度はチョコレートパフェを食べた。母は珈琲を飲んでいた。

「ねぇ、ママ、パパはママは死んじゃってお空に居るって嘘をつくの。どうして嘘をつくのかな~?」
「そうね、そのうち分かるわ。あなたが大人になったらね」
「そのうち?大人になったら?」
「そうよ、ママと同じくらいの歳になったら…」
「ねぇ、ママ、もっと会いたいな〜」
「ごめんね、また四年後の閏年にね」
母があんまり哀しそうな顔をしたので、私は唇をぎゅっと結んで、それ以上何も聞かなかった。寂しいけど、また四年後に逢える。
今度は父に母に逢ったことは言わなかった。どうせ信じてもらえないし、憐れな子だと思われるだけだと子供心に分かっていた。
次に母に逢ったら、何を聞こう?何を教えてもらおう?

十二歳の2月29日、あの日は朝からとても寒い日で、今にも雪が降り出しそうな空だった。学校が終わると新しいママが車で塾へ送ると言った。
「ママ、私、もう大人なんだから一人で行けるわ」
塾のカバンを持って家の外へ飛び出した。本能的に新しいママと本当のママを逢わせちゃいけないと思った。きっと2人共傷つくに違いないから…。
ママは公園のブランコに座って、寒そうに私を待っていてくれた。
「ママ〜〜」
両手を広げたママの胸へ飛びこんだ。
ほら、暖かい。
ママ、死んでなんていないじゃない。祖父母が亡くなったから私は死人は冷たいことを知っていた。
母は私の両手を自分の両手で包むと
「はぁ~はぁ~」
息を吹きかけて
「こんなに冷たくなっちゃって…」
優しい目で私を見つめた。
この年は喫茶店でホットココアを飲んだ。母はまた珈琲を飲んでいた。
学校のことや友達のこと、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが亡くなったこと等を私はマシンガンのように話し続けた。時間と言う概念が、やっと付いたから急いで話さなければ時間がもったいないと思った。
母は時々、質問したけど大概
「そう、そうなの…」
楽しそうに聞いているだけだった。
塾をサボって母に逢っていたことを私はもちろん両親には言わなかった。

四年後の私は高校生になっていた。初潮を迎え身長も母と同じくらいになった。疑問に思った事がある。母は閏年の閏日、同じ時刻、同じ場所に現れる。何故だろう?そして私も吸い寄せられるかのように其処へ行く。
今年こそ聞いてみよう。
「お母さん、お母さんは大人になったら分かるって言ったよね?もう私は大人よ。何故、私は閏年に一度しかお母さんに逢えないの?」
母は同じ顔で言った。
「時空って分かる?」
「うん、なんとなく」
「じゃあ、時空の歪み、ねじれは分かるかしら?」
「ううん、それはまだ…」
「じゃあ、もう少しね」
母は寂しそうに微笑んで珈琲を口にした。
私はカフェオレを飲んだ。
「また四年後に」

二十の歳も二十四の歳も、母は私に逢いに来てくれた。いつもの日、いつもの時刻、いつもの場所、いつもと同じ顔……
やっと私は気付いた。母だけが何年経っても変わらない。でも、それを口にするのは躊躇われた。母と私、二人だけの秘密が壊れてしまいそうで言えなかった。それに私に逢うと嬉しそうにしていた母が、だんだんと辛そうで寂しそうな瞳に変わっていた。
母は大人になったら分かると言ったけれど、私には未だに分からなかった。

二十八の歳、私は結婚して娘を授かった。生まれたばかりの娘をベビーカーに乗せ、私は公園に居た。
母はお祖母ちゃんになったのに四歳で逢った時から少しも変わっていなかった。
いつもの喫茶店で二人で珈琲を飲んだ。母は
「また逢いに来てもいいかしら?」
意を決したように私に訊ねた。
「当たり前じゃない、お母さん」
「本当に?本当にいいの?」
「いいわよ」
「いいのね…」


その帰り道、私は車に轢かれて死んだ。娘だけは助かった。
四年後の閏年、私は白いダウンコートを着て砂場で遊ぶ娘に声を掛けた。
「行きましょう」
「あ、ママ〜〜」
母が移った娘は、娘の私を母だと直ぐに分かった。
喫茶店で母はプリンアラモードを注文した。私は珈琲を飲んだ。

時空の歪みを知るのには、後何年先だったかしら?








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?