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最近同音駅名衝突

 言語学には同音衝突という現象があります。これは、ある2つの単語の発音(シニフィアン)が同じな上に、その意味(シニフィエ)までもが似ているようなとき、このような2つの単語は併存できない、という原理です。例えば、日本語の「私立」「市立」はともに「しりつ」と読みますが、その意味内容(private schoolとmunicipal school)が似通っており、どちらを言わんとしているのか、話し言葉では判別困難なため、わざと「わたくしりつ」や「いちりつ」と読まれることがありますね。同音衝突というと難しく聞こえますが、簡単に言えば、「わたくしりつ」と「いちりつ」の読み分けに見られる、上のような事態を指します。

 翻って言えば、2単語の間の意味的な類似性が希薄なとき、どちらのことを言っているのかは、その語の発せられた状況から用意に判断することができます。例えば、「ハシでご飯を食べた」と言えば、当然「箸」ですし、「ハシを渡って、向こう岸に渡った」と言えば当然「橋」と理解できるわけです。このような場合、同音衝突があっても、コンフリクトは生じません。なぜかといいますと、両者の意味内容の間には大きな溝があり、同じ発音であったとしても、その2つを混同してしまう恐れがほぼないからです。

 この同音衝突という現象は、日本語特有の現象ではありません。英語においても同様に同音衝突の例をいくつか挙げることができます。例えば、“well”という英単語。この“well”は副詞だと「良く、上手く」という意味になり、名詞だと「井戸」という意味になりますが、両者が指し示す意味内容、すなわち、シニフィエは明らかに違うものです。ですので、同じ発音の単語に意味が2種類あったとしても、両立可能なわけです。英語には同音異議語が少ない、というイメージを持たれている方もいらっしゃるかと思いますが、こうした英単語は意外と存在します。他にも、「bat―コウモリ―(野球の)バット」や「bear―運ぶ、生む(動詞)―クマ」などなど。ポイントは、同じ発音という、同じ容器の中に入れられていても、全く関連性のない2つの意味であれば、同時に抱え込むことができる、という点です。

 さて、鉄道好きの私はここで、同音衝突ならぬ同音駅名衝突という概念を提唱してみたいのです。同音駅名衝突―それは、どういうことかと言いますと、地理的に近い2つの駅に同じ駅名を用いてはならないが、一方で、地理的に相当程度離れている2つの駅であれば、同じ駅名を用いても何ら問題はない、という原理原則のことです。

 例えば、東京は台東区上野にはJRと京成線、2つの上野駅があります。実際に利用したことのある方でしたらお分かりかと思いますが、両者は建物・構造的につながっているわけではありません。事実上、別の駅です。ですので、待ち合わせなどで「上野」駅を指定する際、両者はよく区別されます。一般に、JRの「上野」駅と比べて規模の劣る京成の「上野」駅は、わざと「京成」をつけて「京成上野」駅と慣習的に呼び慣らされています。両方とも「上野」駅と言ってしまうと、JRと京成、どっちの「上野」駅言うてんねん!とツっこまれるわけですね。

 また、関東在住の方でしたらお分かりいただけるかと思いますが、「中山」駅でも同じく同音駅名衝突が見てとれます。一つは、横浜線の快速が停まる「中山」駅、もう一つは、千葉県は総武線の「下総中山」駅です。歴史を調べてみますと、1895(明治28)年に開業した総武線の「下総中山」駅は、開業当初は「中山」駅として出発したわけですが、1915(大正4)年に「下総中山」駅に改称されています。横浜線の「中山」駅が開業したのが1908(明治41)年ですので、同音駅名衝突を避けるために、総武線の元「中山」駅が横浜線の「中山」駅に「中山」駅を譲った、と考えることができます。(私はこれを同音駅名譲りと呼びたいと思います。)

 もう一つ、同音駅名衝突キングもご紹介しましょう。鉄道好きの方でしたら、うすうす気づいておられるかもしれませんが、同音駅名衝突キングはずばり「浦和」駅です。埼玉県はさいたま市には「浦和」と名のつく駅がなんと8つもあります。

―浦和,東浦和,西浦和,南浦和,北浦和,中浦和,武蔵浦和,浦和美園―

もしも、これら8つの「浦和」駅が全て単に「浦和」駅と呼ばれていたとしたら、、、

 同音駅名衝突というと、なんかカッコよく聞こえますが、言っていることは至極当たり前のことです。地理的に近い2つの異なる駅には同じ駅名を用いてはならない。ただそれだけのことです。もちろん、建物・構造的につながっていて、乗り換えも可能な、正真正銘同一の駅は、同一の駅名を用いても全く問題ありません。同じものを同じ名前で呼ぶ、これもまた至極当たり前のことであります。

 さて、ここまでは、同音駅名衝突により異なる駅名に分裂してしまった例をご紹介しましたが、一方で、同音駅名衝突が起きても分裂せず、同じ駅名の2つの異なる駅が共存している、というケースも存在するのでしょうか。答えは、もちろんYesです。同音駅名衝突がコンフリクトを起こさずに併存しているケースというのは、同音衝突のときと全くもって相似形です。すなわち、2つの異なる駅が地理的に遠く離れていて、混同のおそれがないときは、同じ(発音)の駅名を用いても全く支障はありません。

 例えば、日本には2つの「我孫子」駅があります。関東にお住まいの方は、おそらく常磐線の「我孫子」駅を思い浮かべるでしょうし、関西にお住まいの方は、一方で御堂筋線の「あびこ」駅を思い浮かべるでしょう。例えば、この両者が日常会話に出てきたとして、関東の人が「我孫子」駅を御堂筋線の「あびこ」駅と受け取ることは、ほぼほぼ考えられでしょう。また、その逆も然り、というわけです。要は、2つの異なる駅の間の地理的距離が人々の住む都市圏を超えて離れているケースでは、誤解の生じる余地はない、というわけですね。(私のような鉄道好きの変人は除きますが、)

 もうひとつ関東圏と関西圏で例を挙げると、「住吉」駅という例も挙げられます。東京の都営新宿線には「住吉」という駅がありますし、神戸には東海道線の「住吉」駅があります。この場合でも、東京に住んでいる人どうしが例えば「住吉駅で待ち合わせね~」と言って、わざわざ新幹線に乗って神戸の「住吉」駅まで出向くことなどあるでしょうか。いえ、普通に考えて、ありえません。以上の例でわかるのは、関東と関西という風に、2つの異なる駅がお互いの生活圏を超えて位置している場合、遠く彼方にある同じ名前の駅のことは、みんな想像すらできないわけです。だから、同じ駅名を使っていても、つまり、同音駅名衝突が起きていても許容される、というわけですね。

 以上、同音衝突の原理から敷衍して、同音駅名衝突の原理、すなわち、距離的に近い場合は同じ駅名を使ってはならないが、反対に、距離的に遠く遠く離れている場合は同じ駅名の駅が共存できる、という一般則が導かれたわけです。と、ここで、私にはひとつの疑問が浮かぶわけです。では、同音駅名衝突においてコンフリクトが生じるときと生じないとき、その境界線はどこにあるのか?と。つまり、きっと、あるちょうどいい距離感というものがあって、それより近いと同一の駅名は使ってはならないし、それより遠ければ同音駅名でも許容される、というギリギリのラインが存在するはずなのです。

 ここで突然ですが、算数の話をさせてください。みなさん、公倍数はご存知でしょうか。2つの整数の間には公倍数というものが存在します。そして、公倍数というのは無限に存在し、数を大きくしていけば、いくらでも見つけることができます。たとえば、7と10の公倍数として70があるわけですが、700も7と10の公倍数ですし、7000も7と10の公倍数です。このように、無限大方向に数を大きくしていけば、公倍数はもうキリがないわけです。だから、公倍数を有限個に絞り込むためには、探す数の大きさを制限してやらねばなりません。そして、数の大きさのリミットをどんどん小さくしていき、一番小さいものだけに限定してやれば、そのような公倍数は1個に定まるわけです。それが、最小公倍数と呼ばれるやつですね。したがって、公倍数には最大公倍数なる概念は存在しない一方で、最小公倍数という概念は有効に存在するのです。

 そして、ここ同音駅名衝突についても、このような公倍数の性質から類推して説明できることがあります。つまり、2つの異なる駅の間の距離をどんどん離していけば、同音駅名なんか原理上いくらでも見つけることができるわけです。が、一方で、2つの異なる駅の間の距離をある一定距離以下に制限してやれば、そうした同音駅名は見つけるのがどんどん難しくなりますし、ついにはギリギリのところで、駅間距離が最も近いような、同音の駅名をもつ2つ異なる駅をなんとかして見つけ出すことができるはずなのです。このように、発見するのは最も大変だけれども、だからこそ見つける価値のある同音駅名衝突のことを、私は最小公倍数に倣って最近同音駅名衝突と呼びたいと思います。

 さて、この最近同音駅名衝突に対して、私は長らく頭を悩ませた果てに、非常に個人的な結論にたどり着きました。その結論とは、ずばり、「小川町」駅です。再度、都営新宿線に登場してもらいますが、東京は神田には都営新宿線の「小川町」駅があります。一方で、埼玉県には東武東上線のTJライナーの終着駅にあたる「小川町」駅があります。この2つの駅、なんと双方とも関東圏にあって、同音駅名衝突を起こしているのです!同じく関東圏にある「中山」駅で同音駅名衝突が生じているという事実を踏まえると、なんとも奇跡的な同音駅名ではないですか。

 ちなみに、この2つの「小川町」駅の間の直線距離をGoogleマップで計測してみると60.68kmになります。では、先ほどご紹介した「中山」駅と「下総中山」駅との間の直線距離はどうでしょうか。これまたGoogleマップで計測してみると、その結果、42.73km。こうしてみると、60.68kmというのは、驚異的な近さであり、同音駅名衝突下でなんとか持ちこたえることのできるギリギリの距離、と認定してもよいのではないでしょうか。

 しかし、あらゆる記録は更新されねばなりません。それは、この「小川町」駅間の60.68kmという記録にとっても例外ではありません。きっと、そう遠くない将来、この最近同一駅名衝突60.68kmという記録も破られる日が来るのでしょう。私は、その日が来るのを、期待に胸を膨らませながら待っているのです。

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