ぜんら

男の「駄目さ加減」は部屋の陰毛散乱度で決まると友人に説教された話

こんばんは、夜だけれど暑い。インスタントの冷やし中華に燻製ウズラを添えて先程頂きました。今のうちに精を付けないとクーラーも機能しない真夏の生活はきっと乗り越せません。

今日はかねてからの算段通り、陰毛論あるいは陰毛悲話です。もっとも三十歳ゲイによる陰毛論だから瀟洒で知的な都会風エッセイに展開するはずがありません。かといって奇を衒ったふうな陰毛礼讃(これは「陰翳礼讃」のもじりだと説明しないとこの頃では洒落も通じない)などではなく、「独身男ほど陰毛に気を付けろ」という問わず語りの教訓話です。この前、学生時代の腐れ縁の友が僕に向かって神妙の面持で言いました。男の「駄目さ加減」は部屋の陰毛散乱度で決まる。

これはジョークでなく本当なのだ。彼は心から僕の身慎莫を気遣い、既に蛆の湧きかけているそのデカダン生活をこの格言を以て窘めたかったようだ(愚かなことだ)。今更言うに及ばないが一人暮らしの部屋は往々にして陰毛だらけで、半径一メートル以内に陰毛が落ちていなかったらそれは地上の奇跡といえる(嘘だと思うなら目を凝らして探してみな)。まして僕のような自堕落底辺の腐れペニス野郎にあっては、夏は行住坐臥ほとんど裸族だし、粘着テープのコロコロさえ余程気分のいい時にしかしないから、チン毛の頻出度が高いのも無理からぬことだ。それに周知の通り我が国では深夜にチン毛をそこら辺に拡散させる物好きな妖怪がたびたび出没する。それゆえ本棚の文庫本や電子レンジなどから陰毛が飛び出してきても少しも驚くには当たらない。そんな事情とも相俟って、僕は己のチン毛を特別汚い堕落アイテムとして見ることは全くなかった。それは生活上の極ありふれた落下物であり、やや気取っていうなら人間の生きている証であった。けれども些か潔癖気味の友人の目にはそれはおよそ許容しかねる「ふしだら」に映ったようだ。せめて人が部屋にくる直前に簡単な掃除くらいしろと彼は忠告する。探さずとも陰毛が目に入る部屋に人を招くお前の神経が分からないと彼は痛罵する。駄目男の一人暮らしは年々悪化する一方でいまにもっと重要な「羞恥心」さえ失くしてしまうんじゃないかと彼は予言する。そんな体たらくだからダメ人間街道まっしぐらで恋人も出来ず碌な仕事にも就けずこんな精液臭い部屋でいつまでも燻っているのだと彼はあらん限りの不満暴言をぶつける。

いやそれだけ言われると、さすがの僕もへこむ。かててくわえて全部的を得てるから余計に腹が立つし言い返す言葉もなかなか見つからない。すぐさま「うるせえ糞くらえだ!人の部屋のことで言いたい事いいやがってこの唐変木!」といきり立ったついでにジャーマンスープレックスの一つでもかませたら余程せいせいしただろうけど、内実臆病で腕力にも乏しい僕は、えへへへへとその場しのぎに卑屈な笑いを浮かべながら相手のボディブローを耐え忍ぶばかりだった。いやもう情けなくて落涙の限りだ。だってときどき飯をおごってくれる数少ない友人であるから、この程度のことで喧嘩別れもしたくない。僕はそういう実利の情に靡きやすい弱い弱い男なのです。

男の一人暮らしは、実感として、すこぶる愉快です。大学入学以来約十年ちょっと、僕はずっと一人暮らしをしているけれど、これは不動の偽らざる心情です。なるほど最初は慣れないのでしばらく困惑もあった。けど数か月もしたらもう他者との生活なんか全然考えられなくなる。他者の存在が生活圏にないので、買い物炊事洗濯ことごとく自分の都合だけで出来る。だからたまに実家に帰ると気が散って少しも心が休まらない。近年は両親に加えて弟夫婦もいるから尚更で、しかも実家帰省時の僕の居室はなぜか仏間で、襖一枚隔てた隣室が両親の寝室になっているせいで、日課のオナニーだってこわごわ遠慮がちにしか決行できない(所構わず毎日やらねばムラムラして安眠できない)。ここ一年実家に帰らない理由は家族への不義理感情に加えて、このあたりの下半身事情にもあるのだとは、まさか死んでも言えまい。つまり、気兼ねなくいつでも寝ていられて、好きなものを好きな時間に好きな格好で食える独身独居生活は、一度経験すると容易に離れられない。生活の初期設定が「家族主体」ではなく「自分主体」にあるから、いきおい自分勝手になって場合によっては堕落への一歩を歩みだすのも当然といえる。人目がないからいくら不潔にしていても構わない。トイレも訪問者がなければ自分しか使わないので、毎日掃除する気にはなれない。真夏なんかいつでもフルチンになれるし、筋トレもできる、屁もこき放題、独り言し放題、思う存分エロ画像も見れる、酒も死ぬほど飲めるし、危ない妄想を逞しくするこもできる、恋人を部屋に連れ帰って自慢のイチモツでアンアン鳴かせても隣人以外には文句を言われない。友人が苦々しい怒気を以て指摘した「陰毛散乱」も、そんな生活の一断面なのだ。

独身独居の快適生活がそのまま落とし穴にもなることを、僕は最近猛省している。陰毛散乱や便器にこびりついたウンチに日々無感覚になれるほど、一人暮らしは気楽なのだ。考えようではこれは恐ろしい。小言を放つ人がいないとはこういうことなのだ。これが実家であれば、たとえ自室があっても、陰毛くらいは綺麗になくしておきたい。知らない時に母親に掃除されてシーツが陰毛まみれだと、さすがに「きまり」が悪い(オナニー後のティッシュの後始末に神経を費やす高校生も同じ)。四畳半の同棲生活でも、互いにある程度のマナーや衛生感覚は必要だから、そこまでひどくは乱れない。駄目男子の独居生活、まして僕の様に殆ど部屋に人が訪ねてこない淋しい生活は、日ごと月ごと不潔にみじめに荒れてゆく。自分では気がつかないうちに気分も荒み、そうすると以前訪ねてきた友人たちも徐々に遠ざかるわけで、さらにそのことで気を悪くし益々自分は退廃に流れ、この悪い循環が続く中で僕はいずれ陰毛まみれ糞まみれの孤独死を迎えるのでないか。この頃はそれも風流で悪くないかと深夜我しらずに考えること頻りで、勿論この想像には戦慄も走るのだけれど、いっそ「人生」のポイントオブノーリターンの一線を一足に越えてみたい誘惑も強くて、今現在僕はどうやってこの身を処していいのかつくづく分りかねている。

ともあれ最後に独身の駄目男子どもに告ぐ。人を部屋に招く際は、事前に周囲の陰毛くらいは例のコロコロで掃除しておくことだ。この最低限の美的配慮さえ欠くようになると転落は必至でいずれ僕のようになる。それは嫌だろう。

ではまたね。読了ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?