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阿呆の季節

鼻毛

「あっ!」
その時、確かに私は「あっ」と言う声とともに一瞬青ざめ、そのまた一瞬のちに、「自分、バカだ!」という声を嘆息とともに発したのである。

冬も終わったある日の朝、通勤のため自動車に乗り込んだときのこと。私は、老醜に輪をかけるがごとく、ひと冬中下を向いていた自分の、淀んでおりとなってのち腐り、嗄れひしゃげたおのれのつらを見てみようと、車のルームミラーを傾け自分の顔を写してみた。
自分の顔がミラーに写り込んだ時、目に入ったのは当然ながら目鼻であった。そうして、確かにその中程、鼻くそ混じりの鼻腔から、三本の鼻毛が、無様に、いや見事に、飛び出していたのだ。
「ひぇー!鼻毛!」
一本なら愛嬌なのだが、三本出ていたのである。「常時マスク着用」を良いことに、顔のグルーミングを怠っていたせいだ。おまけに鼻腔の入り口には乾いた鼻くそ。

冬の頃

時は真冬日の続く極寒の頃。
その時分じぶん、私はひどく疲れていた。冬季鬱という言葉があるように、気温が低くなるにつれ行動範囲がせばまってくると、意識は行動に結びつかず、それは自分の内へ内へと向けられて行ってしまい、結果、心が身体にのしかかってくる。それがやってきたのだ。私の場合、そこに被さるように、日々の慣れない肉体労働による激しい疲労と、雰囲気の悪い職場の中で起こる思いやりのない言動。それらも相乗して、ぐったりと肩や頭が重くなってくよくよとだらしない愚鈍で痴呆な自分を感じては憂鬱になっていたのである。
朝、会社で点呼ミーティングが始まると、決まって私は両手で顔を覆ってしまう。声ならぬ声で、もうこんなのイヤだとつぶやく。顔を伏せ首をすぼめながら、おどおどと作業場に向かうのである。そんなものだから、帰宅して毎夜、酒をたくさん飲み布団を被って只管ひたすら眠るといった日々を送っていた。
冬。それは阿呆の季節だった。

春になった

鼻毛は本当にみっともない。
「わあ!カッコわる!」
とばかり、ひどい落胆とともに、出たばかりの自宅に慌てて戻った。そのまま洗面台に向かい、顔を鏡に映して、鼻の下を思い切り伸ばし、専用ハサミを鼻腔に入れ、はて、切れた鼻毛ひょろりと出しながら、写りこんだ馬鹿面から、今の今まで憂鬱に苛まれていた自分が、何だかとても滑稽に思われてきた。つまり自分の皮裏に埋没していた憂鬱な気分は一挙に冷め、あっという間に私は現実生活へ引きずり戻されたのである。潮だまりのように澱み、沈んでいた冬の頃の時間が、まるでバカみたいに実感せられてきたのである。
笑い噺そのものである。自分、バカ!

「東京八景」

太宰治「東京八景」は、彼の数ある小説のなかでも、私の大好きなもののひとつである。その中程には、内縁の妻だった初代と別れてのちの、酒におぼれた怠惰な生活、死ぬ気迫も失って寝転んでいた生活があり、はて、そこから脱して、意を決し小説を書き始める転機となった経緯いきさつについての叙述がある。
依れば、

「何の転機で、そうなったろう。私は生きなければならぬと思った。」
「(相続く故郷の不幸が)寝そべっている私の上半身をすこしずつ起こしてくれた。」
として、
「私は、その三十歳の初夏、はじめて本気に、文筆生活を志願した」
となる。転機の説明については。
「人の転機の説明はどうも何だかそらぞらしい」
「人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものではいからであろう。多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている。」

つまり、きっかけ、転機などはどうでもいいのだ。私は今回、鬱のど真ん中で自分の鼻毛を見つけてハッと目を覚ました、と前段で書いたけれど、寧ろ説明としてはこの太宰の意見が正しい気がする。
良くは分からないけれど、私は、いや、私にも、だけど春が来て、鼻毛を切って、やっと、寝そべっている自分の上半身が少しづつ起きてきたのである。

このように、実は私は時々、ふと我に返る事がある。また過去に2回ほど、今回の事象に似た記事を書いた。前妻の墓を引っ越しさせようと市役所に行った折り、1万円が消えた話。また、悲しんでいる横ではじじいがおならしているのが現実世界と悟った話。そんなことも思い出した。

現実生活はいつも薄情である。