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学習院大学山岳部と学習院高等科山岳部の山での合流(「山桜通信」52号)

学習院大学山岳部 昭和34年卒
学習院高等科山岳部 昭和29年卒 右川清夫

(写真)中岳にて
前列左から、勝亦強(大)、津川良太(高)、右川清夫(高)、南部利昭(高)、井ケ田傳一(高)、鈴木迪明(大)、石川貞昭(大)
中列左から、鈴木愛山(高)、井ケ田文一(大)、日野精三(高)、小島敏武(高)、鈴木弘二(大)、田川明(大)、大場隆(大)、斎藤昇(大)、八木一男(大)
後列左から、荒川秀夫(高)、右川近男(高)、小峰顕一(大)、細井久栄(大)、江間俊一(大)
写真は、1953年(昭和28)年七月に学習院大学山岳部と学習院高等科の山岳部が、槍・穂の中岳で出合った時のもの

写真は、1953年(昭和28)年七月に大学山岳部と高等科の山岳部が、槍・穂の中岳で出合った時のものである。

大学山岳部は、七月十七日から涸沢をベースにしての岩登り合宿を行い、七月二十七日から縦走に出て、北穂高の南稜を登り南稜の尾根筋幕営。翌二十八日は大キレットを経て槍ヶ岳、槍の肩でビバーグした。この日は、中岳で高等科の私が率いるパーティと出会った。その後は槍ヶ岳を経て、笠ヶ岳から、クリヤ谷を下り、八月一日に上高地に下山したようだ。

私は、高等科三年。初めてのリーダーを務めるため、七月二十日に、山岳部の部室とプールの間の空き地に許可を得て、激しい雨の中を幕営訓練した。天幕の周囲に溝を掘らなかったので、天幕内に浸水した為、二十四時頃に部室に逃げ込んだ。

七月二十二日、新宿駅で山岳部長の田中政次先生、加瀬裕・南部利博等の見送りで22時15分の夜行列車に乗った。

二十三日、豪雨の中を大町から入山。濁小屋が満員のため、発電所引出橋下に天幕設営。翌二十四日ようやく晴れたので烏帽子小屋まで入る。その後二十五日、三ツ岳から野口五郎、鷲羽と進み、三俣蓮華で幕営。途中鷲羽岳山頂手前で二日前に遭難した遺体に遭遇した。

二十六日は、雲の平、祖父谷源流を散策。二十八日に槍ヶ岳を越えて中岳で、大学山岳部と合流した。この合流は、難易度が高い槍ヶ岳から大キレット経由の奥穂高、そしてジャンダルム往復は大学山岳部の石川貞昭、井ヶ田文一のサポートを予定していたからである。

二十九日大キレットから北穂と進み北穂小屋付近で幕営した。前日のグリセードの練習で小島敏武が捻挫した為、大学生の井ヶ田文一とともに槍沢を使って下山した。この日も北穂に登る途中で、前日の雨で遭難死した遺体の脇を登った。

三十日奥穂からジャンダルムを往復、涸沢小屋で幕営した。翌三十一日は、朋文堂(涸沢ヒュッテ)から奥又白を経て明神池を経て上高地で解散したが、八月一日に右川兄弟は、徳本峠を越えて大町に下りた。この山行は、高等科生が主体になって行った夏山縦走だが、雨にたたられることが多く、また、遭難のご遺体にも遭遇し、学びの多い山行となった。

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