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大河ドラマ「独眼竜政宗」の右斜め上45度的考察

今日(6/14)の放送分から大河ドラマ「麒麟がくる」はしばらくお休みで、「戦国大河ドラマ名場面スペシャル」が放送されます。

第1回目は「独眼竜政宗」(第25作/主演:渡辺謙)です。

陸奥仙台藩62万石の基礎を築いた伊達政宗の生涯を描いた作品ですが、大河ドラマ歴代最高の平均視聴率39.7%を誇っており、最高傑作とも言われております。

その理由などは他の記事に散々書かれてますので、ここではやや別の角度から「独眼竜政宗」を綴っていきたいと思います。

ドラマ制作陣の葛藤

大河ドラマは基本歴史上の重要人物に焦点を当ててその一生を大河に見立ててドラマ化されています。たま〜に架空の人物もいましたけど、基本は幕末から明治以前の時代を描いていました。

ところが、1984年の「徳川家康」(主演:滝田栄)終了後、明治、大正、昭和を中心とした近・現代をメインとした作品に移行しました。それが大河ドラマ史上「近代三部作」と言われた下記の作品です。

1984年「山河燃ゆ」(主演:二代目松本白鸚/西田敏行)
1985年「春の波濤」(主演:松坂慶子)
1986年「いのち」(主演:三田佳子)


本来近代シリーズは5作作られる予定でした。

ところが1作目の「山河燃ゆ」では、平均視聴率が前作「徳川家康」より10%以上も下がって苦戦し、アメリカでの放送は非難轟々で放送中止に追い込まれました。

さらに2作目の「春の波濤」では前述の視聴率低迷に加え、作家・山口玲子に著作権侵害事件で訴えられると言う負のオーラが乗っかります。ただ、3作目の「いのち」は視聴率的には成功(平均視聴率29.3%、最高視聴率36.7%)しました。

一方で大河ドラマを近・現代で扱う代わりに、戦国や江戸時代を扱う「水曜時代劇」を夜8時に下記の内容で放送しておりました。

1984年「宮本武蔵」(主演:役所広司)
1985年「真田太平記」(主演:丹波哲郎、渡瀬恒彦、草刈正雄)
1986年「武蔵坊弁慶」(主演:二代目中村吉右衛門)


こちらの3作は非常に評判が良かった(この配役で評判が悪いわけがないが)ため、大河ドラマ制作陣に「視聴者が大河に求めているのは時代劇なのではないか」と言う仮説が生まれ、大河ドラマの路線が再び時代劇に舵が切られました。その結果、生まれたのが「独眼竜政宗」でした。

製作手法の変化

大河ドラマに時代劇を復活させるにあたり、制作スタッフは要所要所の新しい試みを加えています。その1つがアバンタイトルの存在です。

「独眼竜政宗」では(多分)全ての回にアバンタイトルが入っており、主人公である伊達政宗に関するストーリーや、その時代に関する解説が入っていました。

自分の記憶ではっきり覚えているのは、花押の話(当時の内閣総理大臣だった中曽根康弘も花押を使っていたことは驚き)と、藤次郎役の嶋英二が当時聚楽第があったであろう場所を実施の京都で走り回ると言うシーンですね。

2つ目は、オープニング映像です。それまで大河ドラマのオープニングが風景が多かったのですが、「独眼竜政宗」では鎧武者がぞろぞろと(しかも本物の甲冑を纏って)現れ、その中に主演の渡辺謙本人もいました。これは当時としては画期的な試みでした。

3つ目が、「伊達政宗公ご本人」の登場です。
政宗公の霊廟は「瑞鳳殿」と言いまして、宮城県仙台市青葉区霊屋下135にありました。しかし、この廟は、第二次世界大戦時の西暦1945年(昭和二十年)7月10日の仙台空襲で被災し、跡形もなくなってしまいました。

昭和四十年代に入ると、政宗生誕400年を記念する行事の一環として瑞鳳殿再建の動きが高まり、西暦1974年(昭和49年)に瑞鳳殿の学術的発掘調査が行われました。

その時に出た遺骨の全身像がなんと第1回のアバンタイトルで登場しております。すなわち、伊達政宗公ご本人のオールヌード(骨ですが)が披露されたわけです。

そして、遺骨の全身像で始まったこのドラマは、最終回のファイナルカットを政宗公の頭蓋骨のアップで締めくくっています。当時としては相当なインパクトのあるオープニングとエンディングでした。なんせ、最初と最後が骨ですからね。

キャスティングの妙味

「独眼竜政宗」のキャスティングについては、他の記事で色々と言われている通りで、若手、ベテランがバランスよく配役されていました。また冒険的な試みはキャスティングにも現れていまして、ここでは、ちょっと変わった方々をピックアップしたいと思います。

・いかりや長介(鬼庭良直/左月斎 役)
いかりや長介さんの俳優デビューはこの「独眼竜政宗」と言われています。しかも彼はこのドラマで本編第一話の第一声目を飾っています。

彼が演じた鬼庭良直は、伊達家譜代の重臣で、政宗公の父・輝宗公の側近として支え、特に外交交渉面で卓越した手腕を発揮していました。西暦1575年(天正三年)に嫡男・綱元に家督を譲ると隠居して左月斎を名乗り、西暦1586年(天正十三年)11月17日の人取橋の合戦で、政宗公絶体絶命のピンチを自ら盾となって逃し、討死しています。

ドラマでの鬼庭良直は厳しいながらもコメディリリーフ的なポジションでもありましたが、前述の人取橋の合戦で見事な殺陣を演じて討死しました。


・高嶋政宏(片倉重綱/二代目片倉小十郎/鬼の小十郎)
高嶋政宏さんのテレビドラマデビュー作もこの「独眼竜政宗」のようです。
とはいえ、彼の場合は最後の10回ぐらいしか出演していないと思いますが。

彼が演じたのは二代目片倉小十郎こと片倉重綱で、大坂夏の陣で目覚ましい活躍をしています。


・佐野史郎(後藤孫兵衞役)
佐野史郎さんのテレビドラマデビュー作のこの「独眼竜政宗」みたいです。

彼の演じた後藤孫兵衞は、政宗公の近臣の一人なのですが、このドラマの中での見せ場としては、あまり多くありません。会津蘆名氏との摺上原の戦い前後に、同じ近臣の原田左馬之助(演:鷲生功)と決闘勝負のシーンぐらいでしょうか。


・岡本健一(伊達政道/小次郎役)
2016年の大河ドラマ「真田丸」で毛利勝信を演じていた岡本健一さんですが、この頃の岡本健一さんは俳優としてまだ2年目ぐらいだったと思います。

彼の演じた伊達政道は、政宗公の同母弟でしたが、政宗が母親に毒殺されそうになった際、母への仕打ちとして政宗に殺害されます。


・堤 真一(蘆名義広役)
今でこそ「大河ドラマ」常連俳優ですが、堤さんの大河ドラマデビューがこの作品です。本作の出番はほんのちょっと(多分2、3回)でしたが、この演技が評価されてか、翌年の大河ドラマ「武田信玄」で信玄嫡男・武田義信役を演じており、二年連続出演を果たしています。

彼の演じた蘆名義広は、陸奥蘆名氏最後の当主です。


・イッセー尾形(国分盛重役)
一人芝居の第一人者と呼ばれるイッセー尾形さんですが、今作では、どうしようもないボンクラ武士の国分盛重(陸奥国分氏当主)を非常にユーモラスに演じています。

特に関ヶ原の頃の上杉攻めの時、政宗の出兵命令に応じた兵を出せず、「三日以内に兵を出さねば切腹を申付ける」と言われ、自分の立場と力量のなさを嘆く心の葛藤を、イッセー尾形さんの一人芝居で見事に演じていました。
(その結果、彼は伊達家を出奔するわけですけど)

後から知ったことですが、本作で豊臣秀吉を演じていた勝新太郎さんは、大河ドラマでの出演はこれが最初で最後だったようです。

あれだけの名優でも機会に恵まれないということもあるんでしょうね。

以上、「独眼竜政宗」の右斜め上45度的考察でした。


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