見出し画像

戦国大名と国衆(『麒麟がくる』解体新書)

2020年5月10日放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』の第十七話「長良川の対決」は、美濃守護代を務めた斎藤道三とその子・高政(義龍)の合戦を描いたものでした。結果としては道三が討ち死にし、高政が勝ち、そして道三に味方した明智家が滅ぼされるというストーリーとなっています。

ドラマでは明智光秀は高政と決別した結果、高政の3000の兵に明智城を攻められ、逃亡します。ここで「国衆(くにしゅう)」としての明智家は一時滅亡します。

高政を主君とし、光秀を家臣とした場合、高政は光秀を蟄居謹慎処分にし、所領を召上げるなどするだけで、何も明智城を攻める必要はないだろうと考える人もいるでしょう。

それは大名国衆というこの時代特有の関係性を理解する必要があります。

大名(守護/守護代)について

足利幕府が開かれ、全国各地に守護職が補任されました。守護大名の始まりです。鎌倉時代の守護職は治安維持と警察権を保持するのみで、税の徴用などは地頭職の役目でした。しかし足利幕府は鎌倉幕府の守護・地頭両方の特権を守護職に一元管理しました。

しかし、一部の有力守護大名は役目柄、政府のある京都に詰める必要があり、実際の領地の支配は代官を起きました。これが守護代です。

美濃国の守護大名は土岐氏であり、守護代は長井氏、斎藤氏などが務めていました。斎藤道三はこの美濃守護代・斎藤の家を乗っ取り、守護である土岐頼芸を追放して、美濃一国を実効支配していました。

しかしながら、斎藤家は守護代であって守護ではありません。足利幕府の時代、このように守護代でありながら守護を上回る権力を持ち得た者は「下克上(下克上)」と呼ばれました。

道三の場合はまさにこの「下克上」であり、守護大名でもないので、この場合「戦国大名」と呼ぶのが正しいでしょう。

国衆について

鎌倉時代、全国各地には御家人という武士が存在しました。その御家人が鎌倉幕府から守護や地頭に任じられ、足利幕府が開いた後、一定の勢力を持つようになり、守護大名も無視できない勢力にまでになったものを一般に「国衆」と言います。

斎藤道三の時代、美濃には以下の国衆がいました。

稲葉氏(いなばし):岐阜県大垣市曽根町付近を支配。
氏家氏(うじいえし):岐阜県海津市付近を支配。
安藤氏(あんどうし):岐阜県本巣郡北方町付近を支配。
遠山氏(とおやまし):岐阜県恵那市付近を支配。
明智氏(あけちし):岐阜県恵那市明智町付近を支配。
東氏(とうし):岐阜県郡上市付近を支配。
国枝氏(くにえだし):岐阜県揖斐郡池田町付近を支配。
市橋氏(いちはしし):岐阜県揖斐郡池田町付近を支配。
竹中氏(たけなかし):岐阜県不破郡垂井町付近を支配。
不破氏(ふわし):岐阜県安八郡神戸町付近を支配。
丸茂氏(まるもし):岐阜県養老郡養老町を支配。

この中で稲葉氏、氏家氏、安藤氏はのちに西美濃三人衆という有力国衆になります。
ドラマでは主人公である明智氏稲葉氏しか出てこないんですけど(汗)

大名と国衆は是々非々

何れにせよ、この時代は守護/守護代を支えたのはこのような在地の国衆です。彼らは治政においては、守護/守護代の意を領地に行き渡らせ、また戦争時には守護/守護代の力になる。そういう関係でした。

しかしながら、守護/守護代に仕えるとはいえ、家臣とまでは言えない存在でした。それは国衆が、独自に支配する領地と戦力を持って、独自の経済を回しており、その勢力は守護/守護代の支配権力の一助となっていたからです。

この時代の全国各地の大名と呼ばれる存在の多くは、この国衆の支持を以って、その支配権力の正当性や大義名分を確立していました。少なくとも織田信長の時代がくるまでは。

ゆえに、国衆は守護/守護代に従う存在ですが、守護/守護代の意のままになる存在ではなく、是々非々の存在であると考えるべきだと思います。

従いまして、光秀が高政の「俺のところに来い」という申し出に対し、「行かぬ」と蹴るのは、当時の国衆としては普通のことです。ただし、高政の立場から見れば、守護代に歯向かうということは、公権力に歯向かうのと同じことであり、明智氏は公権力に歯向かう逆臣となります。

もし、明智の軍勢が明智城に攻め寄せた高政の軍勢に勝ったなら、高政の守護代の権威は落ちるでしょう。高政についていた国衆は高政との付き合い方を変え、ある者は離反するかもしれません。

離反するものが多くなると、守護代はその権力を維持できず、美濃は再び国衆同士が戦争を行う混乱の世になったかもしれません。

また、高政に人望や権威がなければ、明智を攻めよと命令を出しても従う兵や他の国衆はいなかったかもしれません。

しかし、高政が道三を討ち取り、自らの守護代の権威を確立させたこのタイミングは、明智にとって最悪のタイミングと言わざる得ませんでした。明智に味方する国衆はほぼなく、結論として明智城は落城。明智氏の当主代行を務めていた光秀の叔父・光安は自害します。

国衆としての明智氏は一時滅亡しますが、やがて越前で運命の出会いをすることになるのです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?