三太

50代半ばのゲイ。20年ほど前にゲイ向けエロ小説のサイトを開設し、近頃復活させてます。…

三太

50代半ばのゲイ。20年ほど前にゲイ向けエロ小説のサイトを開設し、近頃復活させてます。現在のサイトはTwitterでご確認ください。 ここではエロ以外の文章を書いていくつもりです。 Twitter @novelssantas

マガジン

  • 熊本地震、避難所運営を振り返る

    2016年(平成28年)4月14日の夜と16日の未明、二度にわたって熊本や大分方面を襲った熊本地震。 16日の本震後、校区の小学校に避難した私は、いわゆる「避難所運営委員会」的なものを避難者と一緒に立ち上げ、三週間と数日後の終結まで、みんなと一緒になって避難所の運営に携わっていきました。 そのときの記録と記憶から、当時の避難所の様子を書いていきたいと思ってます。 思い出すことそのものがしんどいこともあって、なかなか一気にとはいきませんが、ゆっくり読んでいただければ幸いです。

最近の記事

  • 固定された記事

はじめまして

プロフィールにも書きましたが、熊本在住の50代半ばのおじさんゲイです。 20年ほど前、個人ホームページ全盛期にゲイ向けのホモエロ小説のサイトを作り「自分が興奮するものを書く」というスタンスでやってきました。途中、そのとき付き合っていた相方が病死し、気力が続かなくなりサイトを閉じてしまいました。二年ほど前にスマホでの閲覧を考えて、2018年に新しいサイトをオープン。 内容としては中肉以上、太め、ガチムチ等の成人ホモ同士のエロがメイン。サラリーマンや体育会系、祭りや土着的な神事

    • この邦に生まれたる不幸

      30年以上も前の話なのですが。 このnoteでもポツポツと書いてきたように、私は当時、大学在学中から関わっていた『障害種別を問わない』無認可作業所の職員として、通所してくる障害を持った仲間達と日々下請け作業やバザー、運営費を捻出するための色々な活動をしていました。 そんな中、地元で開催した障害者関連の大会に国のお役人さんが参加。 来賓挨拶かなにかでしたでしょうか、障害を持った仲間たちが多数聞いている中でのそのお役人さんの発言。 『あなた方、無認可の作業所に補助金を出すの

      • 熊本地震のときの、避難所運営を振り返る その4

        私、三太は6年前の熊本地震(2016年4月14日前震、16日本震)の際、本震後の4月16日早朝より5月8日まで、家族とともに地域の小学校の避難所へと身を寄せていました。 その間、私から避難所運営の会合を呼びかけたことにより、いわゆる避難所運営委員会的な集まりの代表っぽい動きをすることとなりました。 余震も続き、めまぐるしく状況が変化する中、地域の一次避難所である小学校で、どのようなことが起きていたのか、比較的運営の中心にいた私がどのような思いで関わってきたのかを、こちらのno

        • 熊本地震のときの、避難所運営を振り返る その3

          本日、2016年4月14日夜に発生した熊本地震の前震から、丸6年が経ちました(この記事の公開は2022年4月14日です)。 自分と家族にとっては、15日の深夜(16日早朝)に発生した本震からの避難所利用となりました。 母と姉、近所の単身高齢者、後に同じく単身住まいであった叔母と、自分の出身校でもある小学校の体育館に3週間と少し避難していた、そのときの記録です。 その1、その2はすでに公開していますが、前回の記事から丸2年も経ってしまっています。 実はこの間、スマホの調子が

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        はじめまして

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        • 熊本地震、避難所運営を振り返る
          4本

        記事

          ホモエロ小説書きが自作小説を文庫本にしてみました

          サイトやpixiv、Twitterなどからこのnoteを見ていただいている方はご存じかとは思いますが、私、三太はゲイ向けのアダルト小説を学生時代から書き始め、ネットでは前世紀(笑)から、個人サイトで発表してきました。 これまでも推敲朱入れのためや身近な友人に読んでもらうために、小説をプリンタで印刷したことはあったのですが、ここ最近、Twitterで同じような作者さんが製本化のツイートをしておられ、ふと気になって色々調べはじめてみることに。 調べていくうちに、これまで自分が思

          ホモエロ小説書きが自作小説を文庫本にしてみました

          1人の中年ゲイと社会運動?との関わりについて その1 高校時代

          私には若いときからなんとなくですが、「自分のことだけでなく自分の周囲の少し広いことにも関わりたい」という欲求(欲望?)があったのだと思います。 ここ数日、幾人かの方と個別のメッセージをやり取りをすることが増えてきていて、はて、己の今にいたるモノゴトの捉え方、考え方ってどんなふうに自分の中で折り合いつけてきたんだろうと考え始めました。 そのあたりのことを自分が関わってきたあれこれと自分史と重ねながら、少しずつまとめてみようかと。 おそらく青春時代からこれまでの具体的な関わりを

          1人の中年ゲイと社会運動?との関わりについて その1 高校時代

          素人の私が塩野義製薬の新型コロナウイルスワクチン開発の話になぜ不安を感じるのか

          素人の私が塩野義製薬の新型コロナウイルスワクチン開発の話になぜ不安を感じるのか 私は昨今マスコミで話題になっている国内での新型コロナウイルスワクチンの開発の話、とりわけ塩野義製薬さんが開発しているワクチンの報道に、どこか不安を覚えています。 私は自分のツイッターアカウント(自己紹介にも書いていますが、ゲイ向けアダルト小説サイトの紹介アカウントです)で、2021年6月26日に次のようなツイートをしました。 https://twitter.com/novelssantas/

          素人の私が塩野義製薬の新型コロナウイルスワクチン開発の話になぜ不安を感じるのか

          災害時における避難所の開設・運営に関しての情報サイトまとめ ~性的マイノリティへの配慮についても少し~

          災害時における避難所の開設・運営に関しての情報サイトまとめ 私が暮らす熊本市では熊本地震の経験も踏まえ、災害発生前から各地域での避難所について事前に運営委員会を組織化し、日頃からの訓練や会合を持つことで発災時の避難や避難所の運営がスムーズなものとなるように準備を進めています。 自分は昨年度(2020年)から、地震等大規模災害発生時の避難所運営委員会に参加させていただき、主に救護や福祉問題についての立場から関わってきています。。 おそらくは熊本自身の際に自分が避難した先での

          災害時における避難所の開設・運営に関しての情報サイトまとめ ~性的マイノリティへの配慮についても少し~

          忘れるための儀式

           今日、2021年(令和3年)3月11日は東日本大震災から10年となります。  私自身は熊本地震の体験もあってか大きな災害の画像や映像を不意に見てしまうと, 体調に影響が出てしまいます。  それでもそのときの記憶を「思い起こす」ことはどこか自分に取って必要なことなのではないかとの考えもあって、報道やSNSでの取り上げを見るにつけ複雑な思いを抱きます。  なにかのきっかけによって引き起こされるフラッシュバックが後年になって逆に強くなることなどもあるでしょうし、「見ない、触れな

          忘れるための儀式

          阪神淡路大震災の日の思い出と、それから

           昨年(2020年)にTwitterに投稿した阪神淡路大震災のときの思い出がありましたので、26年目のこの日にこちらで加筆修正して掲載します。  1995年1月17日の早朝、熊本でも震度1の揺れを感じ目を覚ましました。すぐにテレビをつけると関西で地震との速報。  見ている間にどんどん被害の詳細が分かってきて、結局二度寝もせずにそのまま仕事に向かうことになります。  当時指導員をしていた障害者施設でもやはり話題は地震のことが中心でした。  地震後の混乱の中で、おそらくは障害

          阪神淡路大震災の日の思い出と、それから

          滝本総一郎「八月の森へ行こう」レビュー

          Twitterで繋がらせていただいている渡辺浩一氏(@syusai_nabe)氏による滝本総一郎名義(多方面の活動をされていて活動名、筆名を幾つか持たれてます)による「八月の森へ行こう」の感想? レビュー? 書きました。 作品は「小説家になろう」掲載しておられましたが、公募される先の条件のために2020年12月31日をもってリンクを外しました。 また同サイトにて名義名で検索することで、氏の別の作品も掲載されています。 滝本総一郎作 「八月の森へ行こう」レビュー  演劇

          滝本総一郎「八月の森へ行こう」レビュー

          Aさんのこと ちょこっと権利と義務と、運動のこと

          いつものごとくなにか結論があるわけでもなく、とりとめも無い話しであり、中年おじさんの昔語りです。 学生時代から最初に就職した職場時代にかけて、今から35年前ぐらいのことだったと思う。 肢体不自由を抱える障がい者の学習支援(そのときの内容は主に識字教育)のお手伝いをしたことがある。 お相手は当時三十代後半から四十代に向かわれていた方だった。 ここでは仮に、その方をAさんと呼ぶことにしよう。 その人、その方、でもいいのだが、後段にもうお一方、Bさんという方が登場するためだ。

          Aさんのこと ちょこっと権利と義務と、運動のこと

          ヘビロテで嵐のカイトを聞いている

          ヘビロテで嵐のカイトを聞いている 自分には付き合い始めて三年になる相方がいてくれてるんですが、この相方、ジャニーズの嵐の大ファンで音盤は(おそらく)制覇。コンサートを収録したDVDやブルーレイも、殆ど持ってるんじゃなかろうかと思っております。 で、このところ、NHK2020ソングとして東京オリンピックパラリンピックのテーマソングとして使われるはずだった、嵐の「カイト」という曲が、相方の家に邪魔する度に、それこそ延々と流れていたりするわけです。 ここ数年、もちろん一緒にいると

          ヘビロテで嵐のカイトを聞いている

          熊本地震から4年、避難所運営を振り返る その2

          前回は本震後の夜が明け、午後に避難所で動いていた方々にお声かけをし、集まってもらったところまででした。 今回は運営委員会的な顔合わせをどんな思いで進めていったのか。 避難所開設後最大人数を抱えた夕食の炊き出しや、その夜の医療支援。 さらに深夜に起きた停電のことなど、4月16日の盛り沢山な1日の出来事について書いています。 ・・・・・・・・・・・・ 熊本地震から4年、避難所運営を振り返る その2 顔合わせで話したこと 細かくは覚えていませんが、初会合と言うこともあり、

          熊本地震から4年、避難所運営を振り返る その2

          熊本地震から4年、避難所運営を振り返る その1

          今日で丸4年が経つ熊本地震。 これまでLINEのタイムラインや自サイトの中、またこのnoteでも少しずつ書いてきてはいたんですが、自分が運営に携わった避難所について、まとめておきたいと思っています。 まずは前震から本震発生、避難所への移動入所と、そこから13時間ほどの経過の中で、避難所の運営委員会的な場を立ち上げるまでを書いてみます。 文章中、私自身の思い、思い込み、勘違い、記憶違いなど色々ごっちゃになっていると思ってます。 あくまで「避難所に関わった1人の思い」が前提の文

          熊本地震から4年、避難所運営を振り返る その1

          災害時の避難所における感染症対策について

          避難所における感染症対策私案 4年前の熊本地震の際、私は家族と避難した先の小学校体育館(自分の母校でもあります)をメインとした校区避難所(一次避難所)で、運営委員会的な立場をさせていただきました。 明確に運営委員会としてメンバーを確定していた訳でもなく、また代表も呼びかけ人の私がなんとなくそんな風に、といった感じでした。 地震後、熊本市から平時より校区ごとに避難所の運営委員会を組織しておいて、次の災害発生時に備える方針が出されました。 現在は町内の役目の割り振りにて、熊本

          災害時の避難所における感染症対策について