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北風でなく太陽として、わたしがSANUで実現したいこと

太田 麻美香
オペレーションサブマネージャー 兼 カスタマーサクセスサブマネージャー
1996年生まれ、東京育ち。株式会社NTTデータにシステムエンジニアとして新卒入社。持続可能な人と自然との関わりを模索し、SANUにジョイン。八ヶ岳南麓へ移住し、ミニ畑やコンポストに取り組む。山の麓から時々都市や海に足を運ぶ生活を送る。

こんにちは、SANUでオペレーションとカスタマーサクセスを担当しているMamikaです。

2021年の秋。持続可能な生き方を1人悶々と考えていた時、わたしはSANUに出会いました。当時は、環境負荷を少なくするためには何をすべきかという思考に囚われ、日常生活が苦しくなっているような時期でした。今回は、そんなわたしの、SANUに出会うまでと今について少しお話します。


学生の頃に感じた社会システムへの違和感

わたしは、東京で生まれ育ちました。外で走り回って年中日焼けをして、自宅マンションの敷地内の植木の中に侵入し、秘密基地を作って毎日遊んでいました。おてんばな子供だった気がします。

中高から都心の学校に通い、徐々に都会での生活がわたしの日常になっていきました。新しいお店やトレンドなど刺激で溢れ、それらはキラキラして見えました。

アルバイトができるようになると、お金を貯め、買い物や海外旅行に行き、消費活動に励む日々でした。新しい服を買いファッションを楽しみ、知らない国に行き日本とは異なる生活や景色に触れることが好きでした。

段々と有名な観光地に行くだけでは物足りなくなり、バックパックで町を転々とするような旅行のスタイルになっていきました。アジアや中南米の国など、人から良いと聞いた場所を、怖いもの知らずに、次々と訪れていました。


旅する中でいくつか印象的な場面に出会いました。

ミャンマーの名前も知らない村を電動バイクで走っている時でした。煙が立つゴミの山で、その上を何かを探して歩く1人の子どもに出会いました。日本では決して出会うことのない場面に違和感を感じ、その場面が瞼の裏に焼き付きました。

ラオスの民族暮らしの見学ツアーに参加した時でした。その民族は、昔は奥山で生活していましたが、観光客にとってアクセスの良い都市近郊に住居を移したと聞きました。観光起点で住む場所が変わることに不条理さを感じながらも、そこに観光にきている自分の相反する行動に苦しくなり、自然と涙が出て泣きながらホテルへ帰りました。

その時の衝撃から、身近でない世界での人々の暮らしや社会問題に興味を持ち始めました。関連するドキュメンタリーや資料を読み漁り、ただ悲しんでいました。昔は楽しめていた数回しか着ない服やパスポートのスタンプ集めのような旅行も、どんどん空虚なものに思えてきたのです。

先進国をはじめとした人間の行き過ぎた行動や社会システムによって、犠牲となる人間や自然環境があること。この事実はわたしの中で非常に大きな気づきでした。


持続可能なライフスタイルの模索、SANUとの出会い

大学卒業後は、社会システムひいてはインフラや時代の潮流を作る仕事がしたいと思い、公共性の高いシステムを扱うIT企業に就職しました。何が分からないのかも分からない状態からIT知識をキャッチアップし、海外チームとのプロジェクトマネジメントを任せてもらえたりと徐々に手応えを感じていました。ただ、身につけた知識や経験をもって何を実現したいのか、具体的なものが見つからず、気持ち半分で仕事をしている状態でした。

その頃、”サステナビリティ”という言葉をよく聞くようになりました。環境、社会、経済において持続可能な発展を目指すという考え方は、わたしが以前、海外で感じた違和感に対する一つの解のように感じました。まずは自分にできることから始めようと思い、持続可能なライフスタイルを模索し始めました。

ごみをなるべく出さない生活を心がけたり、お肉を食べないプラントベースな食生活へ徐々に移行しました。無理して行動を制限をするというより、消費している物や食べ物の生産過程を理解した上で、自分にとって気持ちの良いものを再度選択するようなプロセスでした。趣味は、買い物や海外旅行ではなく、季節に合わせて楽しむスノーボードやサーフィンが心地良く感じ始めました。都会を離れ、友人と山や海に入り、ふとした瞬間の景色や体験に一喜一憂することに幸せを感じていました。

仕事も、自分の望む持続可能な社会実現との距離が遠く感じ、会社を退職をしてしまいました。退職を決意したものの目指すべき方向も定まらず、みかん農園の収穫バイトをしようかと迷走しているときに、SANUの存在を知りました。「Live with nature./自然と共に生きる。」の言葉と、環境問題という北風のアプローチを取りがちな課題に対して、太陽のように明るく社会を変えていこうという姿勢にすっと引き込まれていきました。


SANU 2nd Homeの唯一無二な運営と体験を作る仕事

わたしは、SANUでオペレーションとカスタマーサクセスを担っています。広がる複数拠点を同時進行で開業させ、無人で運営するというチャレンジングなオペレーションを構築しながら、正解のないSANU 2nd Homeの滞在体験をチームで考え抜き、アウトプットする日々です。

わたしの入社時には5棟をひいひい言いながら運営していましたが、今はシステムやツールを駆使して、社員は同人数で70棟を運営しています。(もちろん、地元のパートナーさんやサポートスタッフさんに協力いただきながら。)それが2024年には、200棟近くになる予定です。なんだか、たった1年後なのに、想像できない未来を作り上げていくことにわくわくします。

滞在体験についても、わたしたちは現地に人がいないセカンドホームなので、ホテルのようなサービス提供が目指すところではありません。けれど、滞在時には温かみを感じながら安心して宿泊してもらいたいですし、SANUを通じて自然との距離を近づけるきっかけになるものを提供したいと思ってます。メンバーさんの声を聞きながら、どう実現するのか、何がSANUらしいのかを考えるのは大変ですが、楽しさが上回ります。


SANUで働くこと

それは「Live with nature./自然と共に生きる。」の価値観を共有する仲間を増やすことです。

SANUに共感した人のライフスタイルが変わり、その周囲の人にも波紋のように伝播させていくことで、日本や世界中の多くの人にSANUがあってよかったと思ってもらいたいです。環境問題に警鐘を鳴らすことも重要ですが、SANUの役割は太陽として、まず ”自然を好きになることから始めようよ” と多くの人を自然の中へ誘い出すことです。問題を自分事として捉えて、各々のアクションが生まれ、日本や世界が明るい方向に向かっていく未来をわたしたちは夢見ています。

例えば、SANU 2nd Homeの電力は再生可能エネルギーで運営されていることを知り、自宅の電力も切り替えをしたり。サーフィンをしたあとに、海岸に落ちていたゴミを拾って帰ったり。アクションの大きさや内容は何であれ、個人それぞれの小さな変化が大きな変化を生むとわたしは信じています。

会社は、まだ社員30名程度のスタートアップです。真っ直ぐで気がいいチームと自然という壮大なテーマに向かって、明るく突き進んでいます。時には、部署や年齢関係なく、友人として海や山に入ってアクティビティを共に楽しみ、自然や季節の美しさを共有します。


環境問題や気候変動に関する心配になるニュースも多いですが、これからもわたしたちは、できることを着実にひたむきに実行していきます。

この記事で、SANUの取り組みに興味を持ってくれるひとが1人でも増えれば、わたしは嬉しいです。もし一緒に働くことがあれば、その時は芝生の上で寝転びながら、自然と共に生きる未来についてお話しましょう。





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