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2024年2月になりましたまだ無職だよ

世界の皆さま全員そうかと思いますが2024年1月がハードすぎてこんなことあるかと思っていましたが果たして1月は終わりました。こんにちは。冒頭の写真が美しいですね(自画自賛)。これは宗谷本線糠南駅の踏切です。朝はキレイですね。雪。

さて1月になにをしていたか自らのことを振り返ってみようと思うのですが、このように月刊でnoteでなにか書こうと思って以来、ここでは(でたらめ長年日記ではやらないような)ある程度まとまった考えにつなげようとは思っていたのですが、この1月はもう無理といいますかダメです。私が採用面接を1件落ちたのなんかはどうでもいいことなんです。

誰しもが大地震の前にはなにか冷静さを失うということは毎回わかりますが、今回も冷静さを失ってSNSで気が狂わんばかりに叫ぶ人間が多くいたのですが、

その後2日には羽田空港において航空機2機の衝突炎上死亡事故が起こり、ここでもSNSで気が狂わんばかりに叫ぶ人間が多くいて、

さらに月末には日本テレビ系列のマンガ原作のドラマについてのトラブルを起因に原作のマンガ家さんが自殺するということがありここでもSNSで気が狂わんばかりに叫ぶ人間が多くいまして今もいます。

私が何を考えたかというとSNSで何か言うというのは
「言う」
うちには入らんのでゴミだなあ

ということです。どんな正しい意見も正論も正義も悪徳も美徳もなにもかもがSNSの上に置かれた時点でもうゴミです。

というか犬のかがやきさん連載のツバトルをツイッターで読んでいたのですが、その内容とは関係なく、ああ、ツバって誰でも吐くことができるなあと思いまして。

それと同じくらいSNSでは誰でもなんでも吐きだすことができます(内容によっては主催者がBANするとかいろいろありますが)。

昔2ちゃんねるというのがありましてそこではいろいろ楽しいことが行われていましたが内容は徹頭徹尾全てがゴミでした。

そこできっかけをつかんで研究職にいったり鬱から救われたりする人もいましたが、それは別に2ちゃんねるがえらいとか価値があるとかいうことは一切なくて完全に2ちゃんねるはゴミです。
いまあるすべてのSNSも同様です。

他人の言葉を読むことはできますがこれは言葉でありますがゴミでもあります。
ゴミというのは「ゴミ価値である」という意味です。
ゴミは燃やすか埋めるかどっちかしかすることがないものです。燃やして熱で温水プールとかやる自治体もいますが、まあだいたい、処理しなくてはいけないもので、そういう処理しなくてはいけない成れの果てがSNSです。

出したいからそれを出している、のではなく、もはや「出さざるをえないことを出している」わけです・そんな気がします。
告発するSNSは告発しないではいられないことを出しているわけであってあのちゃん的にいえば「吐」です。

それ自体には何の価値もありませんがそれを契機として裁判が成立に持ち込まれることもあるし(現代日本は裁判そのものを開始させることがなぜかハードルが高く警察が被害届を受理しないなどの行政妨害を行うなどひどい国です)。

べつにSNSが出来たから社会正義がこれまで以上に通りやすくなるわけではなく、いままでにありとあらゆる不正義があるということが見えるようになってきているだけのことでこの不正義のありとあらゆるありかたはゴミ価値のものばかりで。

ただ告発が最終的に「通せるところまで通る」ためのルートだけはゴミ捨て場を通じてつながりやすくなりました。多くの人がSNSで共振し狂信するがごとくに大声で叫びまくるため利害関係者も全員の口をふさぐことができないからです。これはいいことなのかわるいことなのかわかりません。

あらゆるところで「欧米を模範とする」ことに警戒心を抱くようになりました。契約をもって人間の行動を縛ることにしてもそれに従わず強権をもって個人の自由を抑制してくるやつもいれば、契約がないのをいいことに同じようにするやつもいます。どっちがいいのか?どっちもわるいです。契約社会が日本にこれから長い時間をかけて根ついていってもわるいやつはいなくならない気がします。それでも弁護士をたてていざとなれば巨額の賠償を搾り取ることが可能であることを脅しとして用いるくらいしかないのでしょう。

だいたい「情報」を刈ったり買ったり売ったりうっちゃったりするその手つき、我々人間はまだ情報をそのように使うことについてぜんぜん慣れ親しんでいません。そうしている、情報を売り買いしているのだということさえもまだ常識の手前にあります。検索、は「何を知りたい(何の情報を知りたい)のかを自分で知っている」人にしかできない行為です。何を知りたいのか知っていれば検索はそれほど難しいものではありません。しかし何を知りたいのかも知らない人は検索の窓の前に立ち止まる停止した人になります。

何を知りたいのか?

知っていることを有効に生かすために、更に多くを知りたいのです。

たとえば大地震のときに何をあきらめなくてはいけないのか、航空機の火災がおきたときには何をあきらめなくてはいけないのか。航空機火災で諦めるのは自分の手荷物です。残念です。大地震で破損した家に地震保険がかけてなかったら家を一旦諦めて建て直すしかないでしょう。地震保険というのも大変難しいものではありますが。全壊のときはありがたいんですが。

しかし人間対人間の情報の戦いは、何ひとつ諦めたくありません。

このとき方法としては「戦わない」「他人と戦わなくていいようになるべく戦いのない場所を選ぶ」などがありますが、たいていうまくいきませんね。どこにいっても人間にとって他人は存在するし、戦いはつねに絶えません。

先の「欧米を模範と」してるようなやつも、戦争について欧米のやつらがぜんぜんそれを制御できてないんじゃんなーとわかったり、論理が破綻していたりすることを知ったのも2022から2024の1月にかけて連続的におこるウクライナロシアであるとかパレスチナイスラエルであるとか、とくにイスラエルにおける「多様な意見がある」ようにみせかけて「多様な意見のありかたを暴力で国内で対処する」ことさえもみえるし、ドイツにおいて少しでもパレスチナを擁護することが反イスラエルとして魔女狩りのごとくに狩られるという完全に冷静さを欠いたやつらのふるまいであります。欧米が理性でコントロールみずからしているなんて冗談じゃねえよであります。ロシアもアメリカも指導者に問題をかかえています。欧州に反移民右翼政治勢力が力をのばしています。そのこと事態があること自体を恥ずかしく思うといいです。

私が思うところのことは「知ってるのはどこまで私は知っているのか」をはっきりさせなくてはならないということです。つまり「何を知らないのか」であります。検索の話に戻れば、検索で攻めていきたいところは「私の知っている情報を用いて、私の知らない情報を、知る」攻撃です。

例えば私は投資信託等で得た利益(収益)を、確定申告時に他の給与等の収入と合算することによって、総計で支払う所得税を軽減できないものか?と考えているのでありますが、分離課税の原則がここに適用されるのであれば否ですし、そうでなければ是でしょう。
問題は「申告分離課税」は何に対して適用されるのかです。まだ私は人間の経済における「収入」「所得」「給与」といったカテゴリ仕分けの細かいところが分かっていません。調べたところ、わかっていないことがわかったのです。投資信託等は「株式等」に入るのか。最終的に名づけをどうしているのか。国税庁のページを読んでそれを理解するには何を調べたらいいのか。段階は必ずあり、私がそれを理解しないかぎりは国税との闘いが待っています。行政はそっちのつくったルールをこっちに適用してくる組織です。

そう、この社会は面倒くさい。
そのために専門家がいますが、専門家はヴォランティアではないので、知識を活用する場でギャラをとります。とるべきです。わたくしも税理士とかとりたい。知りたい。税のことを。もっと。詳しく。ギャラがとれるくらいに。なにしろ役に立ちますからね。この世界を生き抜くために。

同時に、不正義もまたこの世界では「法」のもとに管理することになっているので、法を扱う弁護士にはなれなくても、法を調べる(すくなくともこれまでの判例は調べることができる)ということがネットでできます。
何を知りたくて何を調べるのかによりますが、民間のトラブルなど民事のことはそれを専門とする弁護士先生に相談すれば、より速く、枠組についての考え方などを披歴してもらえるのではないでしょうか。

弁護士先生などの話をきいていて思うのは「枠」があってそこに「問題」をどのようにあてはめるか、つまり切り分ける、この場合におけるパターンの数と、抽象化(これは不法行為なのか、だとすれば何法に反しているのか、不法行為ではないとすれば法廷で問うべきポイントは何か、ポイントがないならば?)の能力ではないかと思います。半分は私が弁護士のドラマをみておもった想像です。でも法の考え方って「これまであったこと」を「今後起こり得ること」に生かすためのものでしょう?

私は無職なのですが、それはそれとして脳は自由なので何を考えてもいいのですが、SNSにかじりついてゴミを見ているだけではなにも始まらないのに脳だけが興奮するという酒のゼロ栄養にもかかわらずカロリーだけがあるという恐ろしいドラッグ状態と同じだと思ったので、なんとか「社会と自分」というカテゴリにおいて役にたつこと、調べること、調べたら何ができるようになるのか(考えられるようになるのか)を考えています。社会と税、社会と法などは専門職以外の市民でもみんな知っていていいし知っているべきだし警察と戦うなどのこともあると思うんです。

2月になったのでいよいよたぶん側聞した冥王星みずがめ座時代が本格化するのではないでしょうか。破壊と創造。万歳。また来月。

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