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無職ライフが終わるので終わりたくない

4月1日に上げるやつなんで3月までの感慨を書くコーナーであります。無職最高。無職やめたくない。しかし世情その他によりいたしかたない。人間には日本の憲法が決めるところの3つの義務がある。労働納税教育。

教育は「教育を(しかるべき年齢の人間に)受けさせる義務」である。

いまNHKフォアSCHOOLをみてたらそこには「勤労」って書いてあったが、労働のことでしょう。勤とかそんな字つかいたくないです。

さて教育はまあ人間にとって教育が必要だと私も思っておりますのでいいとして、問題は労働と納税です。近代国家がそのような「枠組み」をつくっているのは知っていますが、なぜそれに従う必要があるのか。
無職でいてはいけないのか>?

いけないとすればそれは誰がオレに対して「いけない」と言ってくるのであろうか?

実際には誰も言ってきませんし、ない財布から税をとっていくこともしません。

もし私がなんらかの「労働」をして金銭で対価を得た場合には、税務当局は私に対して納税を要求するか、あるいは対価の支払いの際に源泉であらかじめ税(所得税)をもっていくでしょう。

これすなわちシステムでありまして、現実に税金取り立て人が私の前に現れるわけではありません。昔はそういう職があったそうですが。現実に「取り立て」する人は、おそらくだいぶ憎まれていたでしょうね。それこそ殺したいくらいにね。

私は無職エンジョイしながらもいろいろ考えていました。税について。近代国家について。アナキズムについて。なぜ私が無職のままで布団でごろごろしつづけていてはいけないのか。誰がそれをいけないというのか。

憲法はあくまで「最高規範」であり、直接具体的に何かをしろ、何かをするなと書いてあるわけではありません。そう習いました。だいたい法が「~をしなさい」と書いてあったらそれ自体が法の逸脱です。

憲法が「~しなさい」というのは、個人に対してではなく、国や行政に対して「このようにしなさい」という規範を命じているのであり、さらに、「こういうことをしてはいけません」と禁止も行っているわけであります。もちろん王や国や行政に対してです。国民に対してではありません。

さてここまでのこれらの規範にはもちろん理由があり、
・教育なんかほっといてコドモを労働させていたー⇒コドモには教育が与えられるべきだという思考
・王が行政が暴虐のかぎりをつくして勝手なふるまいをするー⇒これだけはしてはいけないという決まりをつくることで国民が保護されるべきだという思考

こういうことがあったからこういう規範がつくられた。規範はすべてその原因事由があってこそのきまりであります。
じゃあ税ってなに>?

税はどうしてあるのでしょうか。国民をいじめるため?国家が富を独占したいがため?

だって労働ってつかれるじゃないですかあ。今日は(今日は4月1日なのです)半年ぶりくらいに労働を再開した初日だったのですが疲れました。かえってきてくるみあんぱんを食べました。この労働で得た金のうちいくらかも税にもっていかれるわけじゃないですかあ。あと健康保険でも。こういうのはどこにどう使われているのですか?>?

江戸時代のことは知りませんが、近代国家では税は再配分に、健康保険料は健康を維持または回復させるための医療サービスのために使われます。

いま思い付きの脳でそう書きましたが、「税とは再配分のためのシステムである」これはどのくらい正しいでしょうか?
マイクロソフトのCopilotにきいてみましょう。

きいてきました。基本的なところがおさえられています。さすがです。
・再分配は税と社会保障によっておこなわれる
・税や社会保障の保険料は所得の大きさにより額に傾斜がある
・しかし払った額の多少にかかわらず国や地方からのサービスは公平に(等しく)受けられる
と書かれていました。なるへそ。

ということは貧乏人であればあるほど税を払うのはお得なことといえるのでしょうか。あるいは税を免除されサービスだけを受けているのがいちばんお得なのでしょうか。そういう人はフリーライダーといって非難されるのでしょうか。

私のように「無職を選択している」人はおそらく非難されるのでしょうね。それは三大義務のうちひとつを行っていないから。
一方で「無職はやむを得ずそうなっており職を得て労働することができない(努力の如何の問題ではなく それ以外の理由でできない)」人がいます。THEYをフリーライダーと言うべきではありません。人間は全て基本的人権としての生存権をもつゆえに、労働が困難で所得がない人に対しては国が生存のために給付を行うのです。これの原資はーーーこれの原資が税だと言っていいのでしょうか?再配分的にはそうでしょう。

いまこのここにあるこの国のこうした事情から、私は無職ライフを継続する選択をしたかったのですが涙をのんで就職したのです。

最近はこうした税とか国の成り立ちとか再配分とか社会を構成する仕組みや法、国家による暴力、国家と国家の上に立つ存在、象徴、上にたつものとしての宗教的偶像、金をつかわないで生きるには他人から力をかりるしかない、などのことを考えています。来月の1日には何を考えているでしょうか。月刊の日記もいいものです。また来月。


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