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無駄はある種の贅沢品|会社員のキャリアプラン

若いころに忙しい日々を過ごしていると、生産性のない行動をしている時間は全て「時間の無駄」と切り捨ててしまい、自然と費用対効果を求めたり(コスパを追求)時短効果のある商品を求めたり(タイパを追求)してしまうものです。

資本主義社会はどんどん加速しているため、私生活においてもどうしても生産性で測られてしまします。

高品質のサービスを享受できているのも、そんな社会が提供する高い生産性のおかげなので、何もその社会が悪いとは言い切れません。むしろ良いことの方が圧倒的に多いという意見の方が多くなるでしょう。

20代の頃、東京のIT企業で働いていた時のことです。当時の勤務先が豊洲駅または麴町駅にあったため、中央線が通る自宅からそれらの駅に行くために市ヶ谷駅で有楽町線に乗り換える必要がありました。

乗り換えのために市ヶ谷駅のホームに降りると、線路沿いにある釣り堀が目に入ります。ここは市ヶ谷フィッシュセンターという昔からある釣り堀です。

ここでは平日の午前中から釣り堀に糸を垂らして釣りを楽しんでいる人たちでにぎわっています。

仕事のことを考えて納期や品質のことばかり考えて必死だった当時の僕は、これから出社するため有楽町線に乗り換えるその瞬間に、釣り糸を垂らしているおじさんたちが織り成す平和な光景を羨ましく眺めていました。

東京都内の忙しいビジネスマンが乗り換えで行き来する駅のホームと、のんびりと糸を垂らしているおじさんたちが集う釣り堀という、実に対照的な世界観が醸成されている都内でも珍しい場所だと思います。

同じ東京都内にいても、人生で追い求めるものは人それぞれ異なるものだと何となく感じさせてくれる場所でもあるのです。

もしかしたら、釣り糸を垂らしているおじさん達は「退屈で退屈で死にそうだ」と思っているから釣り堀に来ているかもしれないし「いやぁのんびりすることができて贅沢な時間だよ」と思って釣り堀に来ているのかもしれません。

こればかりは本人たちに聞いてみないとわからないことですが、幸福そうなその光景から、釣り堀に糸を垂らしているその瞬間を「贅沢な時間」だと思っているのだと推測しています。

その昔、武田鉄矢が「釣りをしても魚が釣れない無駄な時間を過ごすことは、大人になってからわかる最高の贅沢だ」と言っていた気がします。非常に印象的な言葉でした。

もちろん、そのおじさん達は若いころに私たち以上に多忙な日々を過ごし、今は悠々自適な暮らしをしているからこそ「贅沢な時間」と思えているのだと思います。

いつか社会人としての役目をある程度果たすことができた時には、その様にのんびりとした風景に自分も紛れ込んで贅沢な時間を過ごしたいと思います。

時間を無駄にした時に、それを「贅沢」だと思えた時が、大人になったということなのでしょうか。

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