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ひどい目に遭う経験|ITでできないこと

Googleが世間一般に認知されて日常的に使われるようになったあたりから、自分も含めて誰もが一種の万能感のようなものを持った気になった気がしています。

わからないことがあればググる、というのは今では当たり前のことで、大抵のことは検索すれば一定の回答を得ることができます。知識や記憶に限界がある人間でも、検索を利用すれば世界中の情報にアクセスができるのです。

Youtubeが普及したことで、調べものだけではなくエンターテインメントに関する映像も気軽に観ることができるようになりました。勉強をしたい時もYoutubeで解説されているチャンネルがあり、旅行に行きたい時でさえ旅先の映像のまとめを観れば行った気になることができます。

近年はAIによる文章生成や画像生成もできるようになり、できないことを探す方が難しいのではないかと思うほど、なんでも実現できる万能感を持てる時代になってきている気がします。

こうなってくると今まで苦労して得ていた情報や必死に行っていた作業がITの力で簡単に置き換わることになるので、情報はサクッと検索すればいいし、仕事はリモートワークで在宅勤務すればいいし、画像や文章生成はAIにやってもらえばいいと考えるようになります。

いい時代に生まれたものだとよく思うのですが、ITを活用してもどうしてもできないことが実体験であり、その機会をみすみす逃してしまうのはもったいないと思うのです。

例えばインドに旅行に行ったとすると、ニューデリー駅の周辺で現地のタクシーやリキシャが大勢待ち構えており、彼らの偽りの道案内を振り切って宿に辿りつくだけでも相当な判断力と行動力が必要になります。それらに乗ったが最期、法外な値段で質の低いタージマハル周遊ツアーを契約させられ、楽しかったはずの旅行はボッタくられた嫌な思い出に変わってしまいます。

その他にもガンジス河で沐浴したことで体調を崩し病院行きになったり、乗合ジープで移動しようとしたら4人乗りのジープに6人をぎゅうぎゅうに詰め込まれたり、お店で飲んだラッシーに何やら怪しいものが含まれていたり、そういった体験はデジタルではどうしてもできません。

こういった酷い目に遭う経験をすると、自分はまだまだ世の中のことを知らなかったと気づくことになります。複雑な世界を理解していくことは人が生きる目的のひとつでもあるので、体験を持って学んでいく姿勢はどれだけ世の中がデジタルになっても持ち続けた方がいいに決まっています。

酷い目に遭う、つまり困難は人を成長させてくれます。

これからもどんどんデジタルは活用していきたいと思っていますが「自宅やオフィスにいても酷い目に遭うことはできない」ことは肝に銘じておこうと思っています。

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