未来猫

第四章 雨宮陽子

 ようやく梅雨が終わったものだと思っていた。そこに、この雨だ。無人の野菜販売所の中に逃げ込む。私の先に、買い物袋を持った女性が一人、困ったように立っていた。私と同じく、雨でびしょぬれだ。
「あら、ピンクの猫なんて珍しい」
 私はこの町をそろそろ後にしようと思っていたから、彼女の言葉には応じなかった。最近、家や土地に居座るのが癖になりつつある。
早く、彼女を探し出さねばならないというのに。できるだけ、端に行き、女性にも野菜にもかからないように、ぶるぶると水を払う。
「私、子どもの頃、あなたのような生き物に会ったことがあるの」
 ぴく、と私の耳が動く。
「猫じゃなくて、白黒の蛙だったんだけどね。
その子は、話すことはできなかったんだけど、
心の中に直接語りかけてくれたの。あなたは話すことができるの?」
 じっと私を見ている。明らかに私に話しかけている。
「あなたは魔力が分かるのか?」
 にこっと、女性が笑う。細かい笑いじわができる。
「いいえ、分かるって言うほど、確かな感じじゃないんだけど。たまにね、なんかちょっと違うなぁって感じることがあるのよね」
「そうか」
 思わず、話に応じてしまった。ちら、と隣を見る。少し近づいている。
「私、雨宮陽子。39歳の専業主婦よ。あなたの名前を聞かせて?」
 期待を持った瞳が浮かんでいる。

 体を乾かすという理由で、陽子の家に行くことにした。そうして、三日が経った。雨が止まない。「私たち一家は雨女、雨男ばっかりだからなぁ。みんな、みらいに去ってほしくないのかも」と陽子が笑う。それは困る。困るが、この雨の中、出ていくのがつらいのも確かだ。
 雨宮家は六人家族だ。陽子の夫、海斗は優しいが気弱なサラリーマンだ。たいがい、子どもたちの迫力に負けている。二人の子供たちは、上から順に、中学二年生の樹、小学六年生の陸、四年生の海となる。樹は海斗の性格を受け継いだのか、本好きでした二人に比べると大人しい。陸は元気を塊にしたようなものである。海はちゃっかりもので、うっかり未来が見えることを話してしまったために私を頼ろうとしてくる。そして、今は入院中だが、海斗の父和彦を合わせて、雨宮家となる。
 子供は苦手である。子猫であればまだ相手をできるが、人間の子供は苦手だ。私と彼女の暮らしていた街は年々高齢化が進み、子どもと接する機会は少なかった。彼女も子供のできる体ではなかったため、子どもと暮らす生活など、考えたこともない。樹は大人しいからいいが、やっかいなのは陸と海である。陸は学校から帰ってくると、私を外で遊ぼうと誘ってくる。当然、雨に濡れるのは勘弁なので、断る。すると、家の中を駆け回る。雨宮家は古いが大きな家である。私はなぜか強制的に鬼ごっこに参加させられているのだ。尻尾などを掴まれたときは最悪である。
海は駆けまわることはないが、次の日、抜き打ちテストがないか、給食のメニューは何か、などなどくだらないことの未来を見るようにせがんでくる。悪い子たちではないと思うが、とにかく苦手である。陽子と海斗は子育てに関しては自由放任主義のようだ。もしくは、子どもたちの迫力に負けているのかもしれない。
 雨宮家に来て四日目、陽子が買い物に誘ってくれたときは助かったと思った。陸と海の相手をしなくてもいいと思うとほっとする。買い物には私と陽子、樹で行くことになった。
「肩に失礼してもいいだろうか」
「どうぞ」
 私は陽子の肩に乗る。濡れた地面を歩くには好きじゃない。雨の中、水色の傘と黄色の傘が商店街へ向かう。
「ねえ、みらい、聞いてもいい、何で旅をしてるのか」
 下から、声が聞こえたので、おや、と思うと、話しかけてきたのは樹だと気付いた。そう言えば、樹の声をまともに聞いたのは初めてかもしれない。隠すことではないが、少しためらって、私が黙っていると、樹が再び口を開いた。
「あのね、私、小説家を目指してて、お母さんにしか言ってないんだけど、魔法の猫に会える機会なんてもうないかもしれないから、話を聞きたくて。嫌だったら、いいんだけど、陸と海に邪魔されて、なかなか聞く機会がなくて」
 私は話すことにした。
「私は人探しをしているんだ。世界で最後の魔女だ」
「あれ、魔女ってもう絶滅したんじゃ……」
「本当の最後の魔女なんだ」
「どうして探してるの」
「……よく分からない。彼女とはずっと一緒に暮らしていて、ある日突然いなくなって、何も考えずに屋敷を飛び出して、彼女を探しに出かけた」
「何年くらい探してるの」
「何年ではなく、何十年になるな」
 樹ははっと息をのんだ。
「……そうなんだ」
 それきり、樹は口を開かなかった。
 商店街で買い物を終えた後、和彦の入院する病院へ向かう。海斗の気弱な性格は和彦から受け継がれたのではないかと思う。医者の説明によると、和彦はがんであるが、早期発見であったため、二日後の手術は高確率で成功するという。しかし、和彦は陽子に泣き言ばかり言う。もし、失敗したら、ばあさんのところに行ける、孫の成長をもっと見たかった、葬式には誰それを呼んでくれ、もはや手術の失敗前提で話を進めている。陽子はそれを必死に励ましている。無理をして、明るい声を出しているように見えたので、病院の帰りに陽子に言った。
「陽子、和彦の未来を見たんだが、手術は無事に成功する。一ヶ月後には無事退院して、家に帰っているぞ」
 私の声を聞いて、陽子は少し表情を和ませる。
「そう、ありがとうね、みらい」
 陽子の不安そうな表情は完全には消えない。

 雨宮家に来て六日目、雨は降り続く。梅雨は終わりではなかったのか。
「私ね、旧姓が日向っていうの。日向陽子ですごく晴れっぽい名前でしょ。結婚する前は晴れ女言われてたんだけど、晴れ女の私を雨女に変えるくらい、雨宮家のブランドはすごいのよ」
 病院に向かう少し前に陽子が話してくれた。手術は夕方からだそうだが、早めに行って、和彦を元気づけるのだとか。海斗も今日は早めに仕事からあがり、病院に向かうそうだ。和彦を元気づける前に自分自身を元気づけるかのように、陽子はそんな話をした。
「そんなすごい雨宮家の当主ががんなんかに負けるはずないもんね。じゃあ、みらい、みんなとお留守番、よろしくね」
 そう言って、陽子は出かけていった。みんなとは当然、子供たちである。不幸なことに今日は土曜日、学校は休みである。朝からあの二人の相手をしなければいけないのは、実に憂鬱だ。いつもより元気にどたどた走りまわる陸から逃げていたところ、樹にひょいと抱きあげられた。
「みらい、静かなところに逃げよう」
 抱き上げられるのは好きではないが、助かった。陸から逃げて、客室に入った。
「陸、今日はおじいちゃんの手術があるんだから、静かにしてようよ」
 姉に言われて、陸はしょんぼりして、自分の部屋に戻っていく。
「みらい、ごめんね。たぶん、陸も海も手術があるから、いつもより落ち着かないんだと思う」
 そうなのか。ただいつもより騒がしい気はしていた。
「ねえ、私、まだみらいから聞きたいことがあるの。聞いてもいい?」
「私に話せることなら」
「こないだ、みらいは彼女を探す理由がよく分からないって言ってたけど、探している理由手やっぱり大事だと思うの。私、いつか、みらいの旅を基にした小説書きたいなって思って、あ、もちろん、みらいの許可を得られたらなんだけど。だから、みらいが旅に出た日のことを詳しく聞きたいの」
 雨の音が響く客室で樹は静かに興奮していた。樹も今日は落ち着かないようだ。私を題材に小説? 考えたこともないが、もし、と私は考える。もし、数年後、本当に小説として世に出て、彼女がその本を手に取れば、私に気づいてくれるかもしれない。そう思い、私はその日のことを話し始めた。

 その日も雨だった。前日から降り続いていた。秋であったから、冷たい雨だった。前日の彼女に変わりはなかった。長い間そうしていたように、私におやすみと言って、寝室に向かった。それはもはや、習慣と言うよりも機械的と言っていいほど、毎日同じことを繰り返していた。彼女と暮し始めた頃は、いろいろと変化をつけようと努力したものだが、誕生日を祝うことも季節を喜ぶことも、年をとらない彼女を傷つけるだけではないかと考え始めたら、彼女を傷つけない毎日を過ごすようになってしまった。
 その日、起きると静かだったのを覚えている。いつも、早起きの彼女が私を起こしに来るのに、その日は起こしに来なかった。昼近かったと思う。嫌な予感がした。寝室に向かう。いない。家の中を探しまわる。いない。二階の窓から、庭の方を眺める。いない。地下の倉庫に降りる。いない。
最初に溢れてきた感情は恐怖だった。私は彼女に捨てられたのではないか。どうして、私を置いて、どこかへ行ってしまったのか。
はっと気付いて、中庭に向かう。中庭の魔法陣を見れば、彼女がこの街にいるかどうか分かるはずだった。魔法陣は消えていた。彼女はこの街にいない。その瞬間、私は思考停止を起こしたと思う。
嫌がる私に構わず、尾をなでてきた彼女はいなくなってしまった。
あなたは猫らしくないのね、と笑う彼女はいなくなってしまった。
最後の魔女にして、私の最初の恋の相手であった彼女はいなくなってしまった。
 彼女がいることが当たり前になっていた、私の日常が崩れた。どれくらい時間が経ったか分からないが、ずいぶん暗くなってから、私は我に返った。そして、気付いたら、駆けだしていた。
 雨はまだ降りやまない。濡れるのは嫌いだった。そんなことは構わなかった。とにかく、一刻も早く、彼女を見つけなければ、と思った。三日三晩歩き続け、空腹で倒れたときは死ぬかと思ったが、人に助けられ、それから、数十年彼女を探し続けている。

 話を終えて、再び部屋は静まり返る。いつの間にか、昼過ぎの時間となっている。
「……うまく言えないけど、そういうのって素敵だと思う」
「雨の中、空腹で倒れることが?」
「そうじゃなくて、好きな人のために、雨の中走るっていうのが、すごくかっこいい。本の読み過ぎって言われるかもしれないけど、私、そういう恋愛にあこがれているの」
「れんあい……?」
 そうだった。私が彼女に抱いている感情は恋だった。長らく忘れていた感情だった。そのとき、電話の音がけたたましく鳴り響いた。樹が慌てて、電話をとりに行く。どうしたのだろう。しばらくして、樹が戻ってきた。
「どうしよう。風が強くて、電車が動かないんだって。お父さん、手術までに帰ってこれるか分からないみたい」
「樹、しかし、手術は成功する」
 私は未来を見たので、安心するように言った。
「でも、お母さん、一人ぼっちで心細いと思う。こんなときに限って、携帯忘れていくし」
 樹が不安そうにおろおろしていると、陸と海までさっきまでの元気は嘘のように不安そうな表情をする。弟たちを見て、樹は落ち着くようになだめた。そして、何かを決意するように立ち上がった。
「私、病院まで行ってくる。陸と海は家で待ってて」
 病院へ行く準備を始める樹に私は言った。
「樹、私では二人をなだめることができない。私が病院に行ってくるから、家で待ってくれないか」
「でも……」
 その申し出は、陸と海と共に家で待ってるのが嫌だったのが主な理由だが、樹たちの不安が私にもうつったようである。陽子に会いに行きたくなった。
「大丈夫。手術は成功する」
 そう言い残して、私は家を飛び出した。雨脚は遅くなったが、風はまだ強い。彼女のいなくなった日のことを再び思い出す。雨の日だった。彼女は傘を持っていったのだろうか。

 病院に着くと、玄関で水を払った。マットで足もよく拭く。病院関係者にばれると、やっかいなことになるので、慎重に病院内を探っていく。幸い、人は少ないようである。しばらく歩きまわり、陽子を見つけた。手術室らしき部屋の前で不安そうに座っている。
「陽子」
 声をかけると、我に返ったように驚く。
「あれ、みらい、どうしたの」
「電車が止まったようで、海斗が手術に間に合わないかもしれないそうだ。樹が来ると言ったんだが、海と陸を任されるのは面倒だったから、私が来た」
「そう、だったんだ。不安だったから、来てくれてうれしい」
「手術は成功する。私が見た未来を信じることができないだろうか」
 困ったように笑って、陽子は言う。
「海からみらいはすごいって、話を聞いてるから、信じてないわけではないの。あの子、抜き打ちテストで、満点をとったって喜んでたわ」
「それじゃあ、何でそこまで不安そうな顔をするのだ」
「人間はね、未来が分かっててもあたふたする生き物なのよ」
 私は首をかしげる。そうなんだろうか。じゃあ、彼女も変わらない毎日にあたふたしていたんだろうか。変わることのない日常に不安を感じていたんだろうか。
「みらい、天気予報でね、明日晴れるって言ってたの。明日を逃せばまだ当分雨らしいわ。なんだか、家族が一人増えたみたいで楽しかったけど、彼女を探す旅を続けるなら、出ていってもいいよ」
 そうか。明日は晴れるのか。陽子と二人で手術が終わるのを待ち続け、終わる少し前に海斗がぎりぎり間に合った。海斗は万が一のために病院に泊まり、陽子と二人で、家に帰った。手術は無事成功した。

 翌日、雨音で目が覚めた。
「陽子、雨だが?」
「天気予報って、当てにならないのね」
 陽子はくすくす笑う。
「出発は延期する?」
 子供たちは期待の目で私を見る。私に家にいて欲しいらしい。
「いや、今日、この街を出てしまおうと思う」
「出ていくんだ?」
「初心を思い出してみるのも悪くないかと思って」
 私は雨の中に飛び出す。走って彼女に会いに行く。

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