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キホンテキジンケンノソンチョウ

もろもろの処理が済み、代車も手に入れ、ようやく自分で病院へ行く頃になると、どっと疲れてあちこち痛みが出てきた。アドレナリンが出ている状態だと、人は痛みなど感じないらしい。

救急外来で事故の件を話すと、当直の先生が「でも保険屋さんが全部やってくれたでしょ?」と言うので、保険屋さんは来てくれなかったので、一人で全部手配したと伝えたら、「あんな寒い中、一人で?立って?」と言われた。そこで初めて、あの時私は気が張っていて気づかなかったけど、ものすごく心細くて、死ぬほど怖かったのだと気づいた。事故を起こした悪者だから、そんなこと思ってはいけないと押し込めていた気持ちが、労りの言葉で一気に溢れ出して、CTを撮っている間ずっと涙が止まらなかった。

幸い大事はなく、優しい医師と看護師さんにお礼を言って病院を出たが、とても運転できる状態ではなかったので先輩に連絡したら飛んできてくれた。なんで早く連絡しなかったの!と言われ、そうか、連絡すればよかったのか、と思った。そしてそのまま先輩のお宅に連れて帰ってくれ、ごはんとお風呂とあたたかい寝床を用意してくれた。疲れきっていたので、ごはんも風呂も今日はなしでいいし、正直もう車中泊でもいいやと思っていたくらいだった。しかし、こうして空腹が満たされ、風呂で身体がぬくまり、安全であたたかい布団で眠れることで、人間ってこんなにも心が穏やかになるのかと思った。

私は、こんな風に大切にしてもらえている。その事実が嬉しくて、ありがたさを噛み締めながら、ようやく長い1日を終えた。

それ以来、マズローの5段階の欲求についてずっと考えている。一番下位にある生理的欲求は「生命維持のために食べたい飲みたい眠りたいなどの根源的な欲求」だ。そして次が、安全の欲求。今まで当たり前だと思っていた生命維持や安全。これが脅かされて初めて、「ふつうの生活のありがたみ」を感じた。私は今まで、さらに上位にある、社会的欲求、承認の欲求、自己実現ばかり見ていたが、正直それって超贅沢だなと思う。

今、私は、人に傷つけて本当の犯罪者にならなかったこと。自分が大きな怪我をせずに生活維持ができていること。こんな私にもこうして優しくして下さる人がいること。それだけで本当に満足だと思う。今まで私は、上ばかり見てどこに向かっていたのだろう。朝起きて、食事をして仕事に出かけ、無事に帰ってこられたらとりあえずそれでいい。それをするだけで、本当にぐったりと疲れてしまってプラスαまで全く頭が働かない。しなければいけないことだけをタスクのようにこなして、あとはゆっくりと休むことにしよう。

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