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【お花とエッセイ】ご近所の魔女たち

この企画に応募しようとして、あまりにも自分に「お花」の思い出がないのに気づいた。

私とて、女子力はさほど強くはないが50年近く生きている。結婚や退職など、節目にはお花をあげたりもらったり何度もしているはずだ。

そこで、はた、と気づく。

そうか。たぶんわたしは「花束」とだけ認識していてそれが何のお花で構成されているのか、まったく興味を持っていなかったのだなあと。

そこで、なにかお花単体の名前が記憶に残っているものがないかと今回かなり考えた。


ひとつだけ、あった。

「鳳仙花」の思い出だ。


まだ私が幼稚園くらいのころ、父とバイクで高校野球の予選を地元の球場に見に行った。

私から見に行きたいと願ったわけではなかったので、おそらく父が行きたかったのだろう。

バイクで、父の後ろにぎゅっとくっついて走るのは当時私も好きだった。当時はまた罰則もゆるく、こういう乗り方をしてても捕まることもなかったと思う。

夏。カンカン照りの夏。

私は半袖シャツにショートパンツ、サンダルという出で立ちだったと思う。


そして、球場にむかう途中で事件は起きた。

私のむき出しの脛が、バイクのマフラー部分に接触し、火傷を負ったのだ。かなりいたくて、皮がはがれ、水ぶくれがひどい火傷だったと記憶している。

おそらく、私もわんわん泣いて痛がったのだろうと思うのだが、父はどうしても野球を見たかったのだろう。

球場に売ってあった氷嚢を私の足にあてがわせ、しっかり最後まで見物して帰った。(今考えるとこれはヒドイですね)

私は厳しくも愛情をかけてもらって育ったと思っているので、ネグレクトみたいなことではないのだが

昭和一桁生まれの父にとっては、火傷なんか大騒ぎするようなケガにはいらなかったのかもしれない。


家に帰ると、母が慌てた。

そりゃそうだ。真っ赤に水ぶくれした私の脛は、おそらく痛々しかったしその状態からたっぷり3時間はたっていた。

父に従順だった母が、このときばかりは父を責めて強い言葉でなじっていたのを覚えている。

そこで、普通なら病院へ行くと思うのだけど、なぜか母は病院へはいかなかった。

町内の長老みたいなおばあちゃんたちを何人かつれてきて、(子供心に魔女かと思った)「やけどには白い鳳仙花の花びらをお酒につけて腐らせたものを貼り付けるとすぐなおる」的なことを言われ、アタフタと実践しだしたのだ。

いわゆる民間療法というやつだ。

これを母はかなり真面目にやった。

私は幼心に「オイオイ、病院!病院はどうした!?」と思っていたのだが

母が白の鳳仙花を毎日毎日どこからか調達してきて、茶色になるまで漬け込み、そして患部に貼るのを繰り返してくれた。

結果的にはひどい水ぶくれが、短期間であとにものこらずキレイに治ったのだ。

これには私も父もびっくり。

民間療法はもちろん、万能ではないし却って炎症がひどくなることもあるからあまりお薦めはしないが、その時の私には効いた。

このとき、町内の薬草魔女すげえ、と私も感嘆したのを覚えている。


これが私の、お花にまつわるいちばん強い思い出だ。

ネットで「鳳仙花、火傷」と検索したらちゃんと出てくるので、それなりに由緒のある民間療法のようである。

だが、いわゆるインターネットもない時代だ。テレビも、いわゆる情報番組はまだまだ少なかったころ。

母たちの世代の女性たちは、こうやって近所の魔女たちの力を借りながら、
また時には自分も魔女になりながら、日常の様々なトラブルに対処していたのだろう。

それはそれで、すごいことだと感心する。

私は誰かの魔女になれているだろうか。ふと、そんなことを考えた。


でもまあ、病院になぜいかなかったのだろうと今でも疑問ではあるのだが。







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