見出し画像

たとえ自分が損なことばかりしても

いつも読んでいただき
ありがとうございます。
さおりんです。


長崎県五島列島のカトリック神父さんの
お話をご紹介します。


神父は漁師町の貧しい家庭で育ち、
小学校を卒業すると、親元を離れて
神学校に入学し、厳しい修行を
重ねていました。


島に帰り、任された教会はとても古く
1日も早い建て替えが
求められていました。


この村には隠れキリシタンの時代から
先祖代々信仰を守り続けてきた人が
たくさん住んでいます。


重労働や農作業などの行きかえりに
欠かさず教会に立ち寄る人達もいます。


それを思うと、たとえ反対を押し切って
でも新しい教会を立てなくてはいけない
という強い使命感に駆られたのです。


神父は島の街角に立って1人で募金活動
を始めました。真夏に立っているだけで
汗がしたたり落ちてきます。


そういう時、
どこからともなく見ず知らずの粗末な服
を纏った腰の曲がったお婆さんが現れ、
「これで汗をぬぐう手ぬぐいでも
買ってください。」と献金とは別に
2000円をちり紙に包んで渡してくれた
のだそう。


このお金もまた、身を削るように自分に
与えて下さったものです。
どんなに慎ましい生活をしていても
自分たちの教会を建てるために身を削る
思いで献金をする信仰心のあつい人が
たくさんいるということを
彼は身に沁みて感じたそうです。


このような真心がいくつも積み重ねが
あり、ついに新しい教会が建設される
ことになりました。


聖書にはこのようなストーリーが
あります。
イエスは目を上げて、金持ちたちが
賽銭箱に献金を入れるのを
見ておられました。


ある貧しいやもめがレプトン銅貨2枚
を入れるのを見て、言われました。
「この貧しいやもめは、だれよりも
たくさん入れた。あの金持ちたちは皆、
有り余る中から献金したが、この人は、
乏しい中から持っている生活費を全部
入れたからである。」
(ルカによる福音書21章1-4節)


自分がいかに辛い思いをしたとしても
誰かの幸せを願って何かを実践して
いった時に、人間の本当の尊さが
表れます。


何気ない小さな行動の中に、キラリと
光る素晴らしい人間性が表れるという
教えなのです。


神父は日々の生活を振り返りながら、
信仰に生きる五島の人たちには3つの
特徴があると話してくださったそう。


①たとえ辛いことがあってもカラカラと
笑い飛ばす明るさがあること
②「他人のために尽くし、いつも損な
ことばかりして、バカな人だね」と周囲
から笑われようと、そういう話は
歯牙にもかけずに平気で生きていること


2000年前、
イエス・キリストはユダヤ教徒に
神の福音を伝え、最期には反逆者として
十字架の死を遂げました。


しかも十字架にあってもなお、
人々の幸せを祈り続けてきました。
この割に合わないことを実践し、
人々の幸せのために生きたキリストこそ
が人々の人生の指針なのです。


よか方(神様)が必ず自分たちをよくして
くれる
どのような厳しい状況に置かれても
そういう信念があるのです。


③どのように他人から蔑まれようとも
人の幸せのため、キリストのために
自分の身を捧げようという気持ちが
あること


意識しているかどうかは別として
小さなことでも人の役に立つことを
やって自分もそこに喜びを感じる風土が
息づいているのです。


地位や名誉、財力はなくとも、神を信じ
静かに誇り高く生きている人々は
少なからずいます。
私もまたそこに本当の人間の尊さを
見るような気がしました。


毎日、誰かの幸せを願うことが
世界平和になると私は信じています。


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
さおりんでした。


今回ご紹介したのは、
シスターの鈴木秀子さんの著書
「自分を生き抜く聖書のことば」
について、ジェンダーのLGBTQ種族や
ADHD・HSPなどの繊細敏感種族、
いわゆる繊細感覚派が
生きづらい世の中から生きやすくなる
ために感銘を受けた思想を
私の主張も絡めながらご紹介しています。
ぜひ一度、読んでみてくださいね。

【中古】 自分を生き抜く聖書のことば /鈴木秀子【著】 【中古】afb
価格:500円(税込、送料別) (2023/5/14時点)


楽天で購入



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?