中高で参加したイギリスのサマースクールが私を変えた
前回の記事で書いた家族で支援していたタイの女の子、アムジェイちゃんが私の進路には大きく影響しました。高校の進路決めで何となく決めた「アムジェイちゃんみたいな環境にいる子を助けたい」という何とも漠然としたゴールの元で、具体的にはどうしたいか、ということを考え始めました。
まずは自分がどのようなスキルを得て、どのような機関で働いたら自分のゴールが達成できるだろうと考えました。
そこで「国際機関で働きたい」という選択肢が出てきたのですが、これは主に3つの経験によって、国際的に働きたいという自分の思いが形成されたように思います。特にその中でも大きな影響を与えたのが、イギリスでのサマースクールの経験です。
1. イギリスのサマースクール
1つ目は中学3年と高校1年の時に約1ヶ月行かせてもらったイギリスのサマースクール。ここでは世界から集まる同い年くらいの子が英語を学びにきていました。ここである意味私は殻をかぶっていた自分から脱皮しました。
大きな変化はこんな感じ。
初めて世界の色々な国から来た同年代の子と友達になった
日本について外から見るきっかけができて日本に興味が出た
英語を話すことに億劫になっていた自分の殻を脱皮し、間違っていても話すという自信が生まれた
フランス人とスペイン人の女の子のクールなファッションに憧れて自分もファッションを変えてみる
色々な国籍の人と一緒に学び、働ける環境に身を置きたいと感じるようになった
世界の問題が身近な問題になった
この時に仲良くなったクロアチア人の友人とは文通を長期に渡って続け、大学時代、そして社会人になってからクロアチアに遊びに行って会いました。
文通していた頃にはクロアチアとセルビアの内戦があり、彼女がセルビア人の彼と付き合っていたため、別れなくてはならずとても悲しいという手紙をくれたのが記憶に残っています。このように世界に友達ができることで、世界の情勢をより身近なものとして捉えられるようになりました。私も色々な国を自分事のように考え、世界の問題解決に貢献したいと思うようになりました。
2. ロールモデルの存在
2つ目は皇后雅子様そして緒方貞子さんの存在。実は私が幼稚園から高校まで通っていた学校は皇后雅子様が卒業されていて、私が小学6年生の頃、ちょうど雅子様が皇室に入られました。
当時あまり学校では、キャリア教育がなかったので、その時に元外交官で国際的に活躍されていた雅子様のことを知り、私はロールモデルのように感じ、将来は雅子様のように国際的に活躍したいと思っていました。
また、当時緒方貞子さんが国連難民高等弁務官事務所で日本人初の高等弁務官になっていました。国連で活躍されている日本人女性の姿を見て、将来緒方さんのように国連で働けたらな、と思っていました。実際私は大学院生の頃に緒方さんにお会いする機会ができ、この頃のロールモデルに会えて嬉しかったことを覚えています。
3. 母の影響
3つ目は昔国際機関で働きたいと思っていた母の影響です。私の家族は両親とも海外嗜好で、英語が割と堪能でした。特に父はイギリスに留学していたり、古美術商の修行としてイギリスの美術館で働いていたり、イギリス人の友人とビジネスをしていたりしたため、家にもイギリスからのゲストが来ることもあり、英語で話す機会もありました。特に母には、国際的に働きたいなら国際機関はどう?と勧められていたこともあり、国際機関で働くというオプションが出てきたように思います。
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