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69行の憂鬱

どうして抱いたの なんて、そんな問いは
無意味だ。だから君、もう僕にこれ以上
繰り返すのはやめてくれ。僕がここにい
た君がそこにいた、僕と君その時それぞ
れにここにいた、それより他に何がある
というのか。夜は僕と君との境界線を曖
昧にする。夜という闇が境界線を曖昧に
する。曖昧になった僕と君の境界線を、
僕が君の方へ、君が僕の方へ、それぞれ
に一歩二歩踏み込んでみただけの話だ。
それを君はまるで僕が一方的に踏み込ん
だかのような言い方をする。君がそうやっ
て僕に自分の分までなすりつけるのは君
の自由だけれど、そのうえさらにどうし
て抱いたのなんて問いは無意味過ぎる。
君は僕に抱かれたのか? 君も僕を抱い
たんだろう? 僕は君を抱き、君は僕を
抱き、僕は君に抱かれ、君は僕に抱かれ
た。そして夜が明ければ再び輪郭線は浮
かび上がり、僕と君の境界も僕と君の輪
郭も明瞭にこの網膜へと映り込み、君と
僕との輪郭がもはや重なり合いようがな
いものであることを明確にふたりに知ら
しめる。そうなってからそんな問いを君
は僕に投げかける。今更何を言っても無
駄だ。ただ抱いた、ただ抱かれた、それ
以上でもそれ以下でもなく。そのことに
どうしてなんて問いは無意味だ。なのに
君は繰り返す。どうして抱いたの。どう
して私を抱いたの。どうして。君はどう
してというその問いに僕が満足に答えな
ければ、互いに抱き抱かれあった夜に押
し潰されるとでもいうのか。だったら押
し潰されてしまうといい。僕は君が満足
するような答えなど欠片も持ち合わせて
はいない。無理矢理にでも互いの行為に
意味付けをしなければ自分が穢れたとで
も思えてしまうのだろうか。ならばそう
思うといい。そうやって今日も明日も明
後日も、君は自分の身に起きた出来事、
自分が引き起こした出来事に何かしらの
理由をこしらえてゆかなければ生きてゆ
けないとでも言うのだろうか。それが君
ならそれはそれで。そうしていけばいい、
けれど、僕はそんなことでは何も救われ
ない。何一つ救われない。無意味な意味
付けで自分を囲い守らなければならない
ほど僕は、強くもなければ弱くもなれな
い。そもそも僕と君との間には何の繋が
りもない。僕と君はただ、君がここにい
て、僕がここにいて、君と僕が今ここに
こうしてそれぞれにいるというだけの話
だ。それより他には何もない。君が僕に
縛られる必要もなければ僕が君に縛られ
る謂れもない。君が僕を抱き抱かれたこ
とに何かしら意味を見出そうとしても、
そんな君と僕との間に何を見出せるとい
うのだろう。そこに君がいて、そこに僕
がいて、そして僕が君を抱いた、君が僕
を抱いた、という以外にははじめから何
もないんだ。こうしているうちにも僕と
君との境界は僕と君の輪郭はますますそ
の濃度を露わにしてゆく。決して交じり
合わない僕と君のそれぞれの輪郭線は。

扉は目の前に在る。手を伸ばせばすぐに
でもノブに手は届く。だから君はこの部
屋から出たければいつでも出てゆくこと
ができる。君も僕も、いつでも。そう、
扉は僕と君の目の前に、すぐそこに在る。

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