見出し画像

RIP SLYME論〈二〉/柳田寛登

 今回は、2001年から2010年までのRIP SLYMEが論じる対象となる。この期間は彼らのメジャーデビューから、『GOOD TIMES』と『BAD TIMES』のベスト盤2作が発売されるまでに対応する(註1)。この時期には、「楽園ベイベー」(2002)や「熱帯夜」(2007)など「ヒップホップ」としてのみならず、「J-POP」としても知られているようなヒット曲が発表されている。では、この時期の彼ら、すなわち、広く知られている「RIP SLYME」はどのような世界を描いていたのか。

 当然であるが、『TOKYO CLASSIC』がこの時期においては重要である。これは、日本のヒップホップのアルバムでは最も広く聞かれたであろう作品の一つである。まず、このアルバムはどのような作品なのか確認する。タイトルが指し示すように、このアルバムは、渋谷や新宿といった都内のある地域に限定するのではなく、「東京のクラシック」として、東京にいる人の「声」を立ち上げる作品である。また、RIP SLYMEの作品全体について考えた際、MCの4人それぞれのソロの曲が収録されている面で、『TOKYO CLASSIC』は特異なアルバムである。しかし、『TOKYO CLASSIC』については、この特異さよりも、チャート上で、同日に発売されたSMAPのアルバムを抑えて1位になったというイメージによって想起される方が多いだろう(註2)。ここで一度、『TOKYO CLASSIC』 と同日に発売されたSMAPのアルバム『SMAP 015/Drink! Smap!』に収録された一曲について検討する。この作業により、同時代を代表する作品と比較しつつ、『TOKYO CLASSIC』が何を描いていたかがより明確になると思われる。

 ここで検討するSMAPの曲は「世界に一つだけの花」である(註3)。以下、この曲の歌詞を検討する。


世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 小さい花や 大きな花 一つとして同じものはないから No.1にならなくてもいい もともと特別なonly one

SMAP「世界に一つだけの花」、作詞槇原敬之


この歌詞において「only one」、すなわちただ一つであることは、一番であることより重要なこととして描かれる。「only oneはNo.1よりも重要である」という論の構造、言い換えるならば「only one > No.1」という図式を表す論の作り自体は、No.1を示すために用いるものである。つまり、ここでの「only one」は「No.1」のヒエラルキーの中で示されるのだ。したがって、「世界に一つだけの花」はそれぞれが唯一の存在であることを肯定するための曲のように見えて、この肯定は何かで一番であることを暗に前提とすることでなされるのである。

 ここで、『TOKYO CLASSIC』について検討する。RIP SLYMEはこのアルバムにおいて、どのような人の存在も「一つだけ」であることを示す。それは「楽園ベイベー」において、それぞれの夏の過ごし方が異なることからも読み取れるかもしれない。しかし、むしろ、この曲の後に続く4人それぞれのソロの存在や、「One」が示すものの方が重要である。

「One」においては、確かに、RYO-Zは人々が一つになる世界を提示するが、曲全体は「一人だけ」についての物語を表現する。PESは都会の喧騒の中で共にいる人の存在を、SUは故郷を離れて孤独の中を一人で生きる人の存在を、ILMARIは集団の中でのしがらみから離れて一人で生きようとする人の存在を描く。では、この曲で、「この世界に一つだけ 君は世界に一人だけ」と言われる「君」は誰なのか。当然それはこの曲を聞くリスナーも含まれるだろう。しかし、各MCの展開する物語はそれぞれ異なるので、多様な「君」を見出すことができる。この「君」は、固有名を持たないものの、唯一ではある。「世界に一人だけ」とは言えるが、そうとしか言えない「君」の存在が浮かび上がる。この「君」は花を咲かせるような存在ではないかもしれないし、「No.1」でもないかもしれない。しかし、それぞれが「only one」であるという事実は認められる。ここでは、「No.1」より「only one」というヒエラルキーの下での「一人だけ」ではなく、ただ「only one」であることが語られるのだ。

『TOKYO CLASSIC』では、それぞれの唯一性と、それ故に一つにまとまりきらない様子が各曲、そして、アルバム全体の構成から浮かび上がる。全ての人が一人だけであることが、東京の名の下で示される。一生懸命にオンリーワンを目指すことを、すなわち、教育的かつ道徳的なことを説くのではない。単にそれぞれの存在は一つしかないと示す。東京のような人が密集した土地においても、それぞれ一人だけである。「One」でSUは藤沢市の辻堂から離れて生きる自己と重ねるように、「陸に上がるマーメイドは孤独に暮らす」とラップしていた。また、同じ曲中でPESは、「クラクション雑音だらけの騒々しいドラマ見たくないのに」と、日常をノイズだらけのドラマとして描いていた。都市で適当に生きる日常をラップしていた若者たちは、ばらばらの存在が集まる街として東京を表現した。「RIP SLYME」という名の下に集まっている人々でさえ、それぞれが全く別の人間であり、その周辺には「君」としか言えない、名指すこともできない人々の存在が明らかになる。人が密集しているにもかかわらず、それは時として孤独である。また、どこかにいる「君」の声は「騒々しいドラマ」の中に溶け込み、かき消されるものになることもあろう。それは、例えばPESのラップが届かなかった人からすると、彼のラップでさえ「騒々しいドラマ」の中にある。更に、当然であるが、MC4人全員のラップは「騒々しいドラマ」から引き出され、そこに意味が与えられた物語である。

 都市のノイズの中から、それぞれが一つだけの「声」として物語が立ち現れ、その上、「君」と言うしかない、これもまた唯一の存在が明らかになる。すなわち、「声」に連なって、未だ聞こえない「声」があることがわかる。すなわち、間接的にではあるが、存在は否定できない声が漏れるように聞こえてくる。「One」での「君」としか言い表せないような、不明瞭ではあるが存在することだけが確かな人の存在が明らかになる。その「君」の存在は、不明瞭ではあるが、いることだけは確かな存在に留まることもあろう。『TOKYO CLASSIC』では、「No.1よりonly one」というような呼び名を変えつつも規範を温存したようなものではなく、よりアバウトに、しかし、より根本的なただ一つの声が発見されたのだった。

 また、「One」をSMAPの「世界に一つだけの花」と比較して検討したが、RIP SLYME自体にも花のモチーフと人の存在を重ねた曲がある。それは『Masterpiece』に収録されている、「Dandelion」である。SMAPは花屋に売り物として陳列された花であったのに対し、RIP SLYMEはタイトルの通り、道端に咲くタンポポである。「Everybody is the Sunshine 誰もがみなFlower」という歌詞の通り、花と、タンポポのようにありふれた人々の存在が重ねられる。また、全ての人を日の光と繋げる。ある意味ではかなり素朴に明るいイメージによって誰かを肯定するものである。しかし、SMAPにおいてはあくまで店先に並んだ、すなわち、売り物として選別されたようなものの中の存在を肯定していた。すなわち、ただ美しいものとして売られているものを、そのまま「きれい」と言っていた。しかし、RIP SLYMEにおいては、多くの人々を「花」と接続しつつも、ただ「きれい」である以上に太陽の暖かく明るく、生きることに必要なもののイメージと重ね合わせることで肯定する。ありふれたものを持ちあげることで、SMAPが温存していたNo.1のヒエラルキーの転覆が図られる。ここでも、タンポポはNo.1なわけでもなく、only oneなわけでもない。更に、風に乗った末に、街に舞い降りたという、どこから来たのかもわからない存在である。ある種の孤独の中にいる存在を、道端の花という顧みられにくく、大勢の中に埋もれてしまう存在と繋げつつ、その存在自体を肯定する。RIP SLYMEはただ一人であることをアルバムの構成や、行動においても、歌詞においても示す。それが肯定される際も、純粋に「ただ一つ」であるから肯定される。ここに順位の入る余地は用意されないのだ。



(註1)2005年にもRIP SLYMEはベスト盤である『グッジョブ!』を発表している。しかし、『GOOD TIMES』と『BAD TIMES』の収録曲と曲数、構成を踏まえ、2001年から2005年までではなく、2001年から2010年までを、本稿は一つのまとまった期間として捉える。また、『BAD TIMES』は2001年以後の曲だけでなく、2000年に発表された「完全試合」も収録している。

(註2)例えば以下のインタビューにおいて『TOKYO CLASSIC』について語られる際に、SMAPをチャート上で「差し置いた」ことをメンバーのSUも、インタビュアーも触れている。cf) 小松香里 “祝・10thアルバム完成!リップが選ぶリップのNO.1アルバムとは?” rockin’on.com, 2015-10-01 https://rockinon.com/feat/ripslyme_201510/page:2 最終閲覧日2023年7月17日

(註3)『TOKYO CLASSIC』と『SMAP 015/Drink! Smap!』が発売されたのが2002年の7月24日であるのに対し、「世界に一つだけの花」がシングルカットされる形で発売されたのは2003年の3月5日である。したがって、厳密には、『TOKYO CLASSIC』のヒットは、「世界に一つだけの花」のヒットに先立っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?