心が楽になる理屈の話

息子は最近お散歩中、または公園、家の中どんな所でも山や段差を見つけたら喜んで登ることにチャレンジする。

危ないよと声をかけられようと、どこ吹く風。こちらばかりが、ヒヤリとしてばかりだ。

親としては怪我をして欲しくないので、早急に降りてほしい。しかし、公共のルールに反していなければそこはジッと近くで見守ることにしている。

子どもはその時期ごとに「習得したい動きや身体の使い方」があって、それを一定期間繰り返し練習する。

例えば、息子は一時期はセッセとペットボトルのラベル剥がしに勤しんでいた。それはもうすごい執念で、置いてあるペットボトルを目ざとく見つけては全てのラベルを剥がしてくれたものだった。

しかし上手に剥がせるようになり、ゴミ箱に捨てる所までやれるようになった頃、突然その行為は消失した。上述の理屈で言えば、動きを習得したのだろう。

息子は他にも色々なブームがあったが、その中で唯一止めてしまって未だに後悔しているものがある。それは階段を1人で降りるブーム。

1歳3ヶ月頃やりたがり、余りにも危険なのにじっくりと見てあげる時間がなく、散々抑制してしまった。すると、すっかり1人ではやらなくなってしまったのだ。促しても手を繋いで降りるばかりだった。ひたすら励まして、褒めて、あとから習得したが、時期が過ぎてから教える方が労力が必要だとひしひしと感じた。

と、言う訳で親が疑問に感じたり、ヒヤリとする子どものブームも「この動きを習得したいのか…」と思うと、何となく「いまそんな時期なんだね、待ってあげるか☺️」と言う気持ちになる。必要な遊びの場を用意してあげたくもなる。

わたしは時々子育てにおいて、理屈を持ち込むことで心が楽になることがある。この事例が誰かの心を支えてくれれば幸いです。

繰り返し試す時の輝く目、できた時の晴れやかな表情がたくさんの親の心を癒しますように🍀



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