選択してコミュニティを作る・属するということ

ずっと読んでいたサクちゃんさんのエントリにヒントを得て、だんだん考えが自分のものになった気がしたので、
コミュニティについての思いを、まとめてみました。


さっきふと腑に落ちて、すごくいい感じに自分では理解できたこと。

先日会社で「私、だいぶ人間社会に迎合できてるわー」って言ったら
「それっぽく見えてるだけで全然迎合してないよ?」って言われて
一瞬「まじ?!こんな譲歩してんのに!うけるー」って思って、なんだか見え方のズレが新鮮で面白かった。

でも、ふとそこで私の思考が立ち止まったんです。

多分、相手のさしてる人間社会は、弊社もしくは相手の属している、見えている、社会でしかないんだってこと。
そしてそれは自分で選択して属していると思っていないであろうこと。

私は、私が選択して、私のコミュニティをつくっていく側になりたくて、これからなろうとしていて、
それが実際に作れるかは別として、相手の視点からの「社会」に私が迎合する必要というか、迎合して見える必要はこれっぽっちもないんです。

広い意味で地域や国や地球規模のコミュニティがあって、
だけどもっともっと細かい単位で形成されているコミュニティの集合としてそれらがあるのであって。
家族や友人、会社、趣味のお友達、勉強仲間、学校、飲み友達、親戚etc..
グラデーションのある色んなレイヤーが重なって、その中に誰しも複数属していて、
だから世界は統一見解じゃないわけで。

なので、自分がどのコミュニティに属していたくてどう考えていてどんなコミュニティを作っているかってことはすごく重要で
実は狭い範囲での「社会」しか認識していないのにそれを「一般論」に落としこむと、
恐らく閉塞感が大きくなってしまうと思うのね。

コミュニティは複数かつ多層で属しているという前提に立つと、
自分の視界の中で選んでそのコミュニティに所属しているという意識とか認識がある方が
絶対に生きやすいし今後の自分の選択に自由があって、かつ責任が持てる。

私がずっと生きづらかったのは、
あまり周りと思考の方向性が合致しないのにそこに無理に押し込んでいたから(押し込まれていると思い込んで別のものを選択していなかったから)で、
私が責任をもって私の選択をする、そこから進んで、コミュニティは自分が主体的に形成しているってわかったら
かなり生き方が変わってくるっていう、予測と実感が今はあるの。

だから現時点では、生きづらいコミュニティにも選択して所属しているという認識でいるから、(そういう意味で割り切れている)
その中で他にも選べる自由があるって思えていることで自分の生きづらさの層が変わっていくと信じてる。
そして更に、生きやすいコミュニティを自分で作り続けていくことで、
生きづらい場があってもバランスがとれる!という点も重要だったりすると思う。

この視点は今後の生き方とか(広範での)職業てきな意味で、
すごくポイントが大きそうだなーって、今の私の立ち位置からは見えているよ。

とてもたのしい。

#コラム #コミュニティ #生きやすさ

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さら
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