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「居場所」は、ない。けど、ある。

「居場所」いう言葉を見ると、ちょっとだけ心がザワっとする。
ずっと、私にはなかった。という過去の私の思いが、舞い戻ってくるから。

「なかった」というのにも語弊があるかな。
今も「ある」とは思っていないし、昔も文字通りの「居場所」というものは、あった。
家族は平和だったし、クラスでいじめにあったわけでもなく、
生徒会やクラブにも所属してたし、習い事もしてた。
オンラインにもオフラインにもお友達はいたし、不満はなかったと思う。
楽しかったと思う。
物理的にどこにも所属していない、という事実はなかったんだから。

だけどどこにいても、ときどき、ちょっとだけ、居心地が悪かった。
どこかで「私」というものを理解してもらえないと思ってた。

心の奥底の、やわらかいところにある本心を、口にだして、態度で、示してしまったら、わがままだと思われるに違いない。いい子だと思われないに違いない。
ちゃんとして正しいいい子の私じゃないと、価値がないんだと思ってた。

だけど傷ついて嫌だと思ってる小さなことがいくつもあって、
それを察知してくれる人が周りに多くなかったんだと、思う。
当時口にだす勇気があれば、世界はもう少し、私に優しかったかもしれない。
だけどその勇気を持つより前に、あきらめてしまった。

だって、きっと、分かってもらえない。

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私の物理的な居場所はどれも「普通に恵まれてる環境」だったけど、
小さな居心地の悪さが堆積して「不安な場所」という感覚があった気がする。
そのことを心の片隅で察していながら、周りへの申し訳なさで、その思いを見ないふりしてきた。
だけどいつも「本当にここにいていい」と信じていたわけじゃない。

だって、私の居心地の悪さを、感じてる心を、見えてる世界を、誰も一緒に見つけてくれないじゃない。
空気を読む私がすてきな私なのか、知ろうとしてくれないじゃない。
みんなの理想に先回りする私って、本当に必要?
1番になれなくても、私はここにいていいと思う?
私はそう信じてないよ?

だから、世界は、私にはちょっとだけ、安全じゃなかった。

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安全じゃなかったのは、私の見えているもの・感じているもの・考えていることを、
周りの人にシェアして、受け止めてもらえると、私が信じてなかったから。

きっと小さいころに、小さな小さな、そういう経験をいくつかしたんだと思う。覚えてないけど。

自分の本質と表層の差が大きくて、私にも周りにも違和感がある。
だけど私が世界を信じてないから、わかってもらえると思えなくて、本質を開示できない。言えない。
言わないから、周りは私の中で何が起きてるかわからない。
気付いてもらえないから私はスネる。
ますます言えない。

そんな、ループ。

共感するか・理解するかは相手のタスクで、私のコントロール外なのに、
私は理解されたくて、なのに口に出す勇気がなくて
何もしなくても分かってくれる人がやってくるのを、生きづらさを抱えながら待ってた
このループから出るための鍵を私が持ってるってことを、大人になっても知らなかった。

私が子供のころ探していた「居場所」は、
弱くて完璧じゃない自分、繊細だったり共感性が強い私の心を、
エスパーのように全部わかってくれて、共感してくれる人がいる理想の世界だったんだと思う。

そんなの存在しないし、したらこわいし、多分そっちが嘘って、今はわかる。
だけど空想大好きな私は、ずっとそういう世界を想像して、探してた。

誰かが与えてくれた世界で、安全になりたいって思ってた。

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願いに反して(?)世界がちょっとだけ安全になり始めたのは
ひた隠してきた弱い私を、ただ受け止めてくれる関係性を見つけてから。

その土台になるものを私はアレクサンダー・テクニークを学ぶ中で見つけたんだけど、
コルクラボのコミュニティのスタンスは親和性が高かった。

アレクサンダーで学んだこと
・教師にも生徒にも安全なレッスン
・安全だから大きな望みを叶える挑戦ができる
・レッスンで起きたことを言語化する
・自分のできること・やっていることに気づく


ラボの行動指針
・自分の安全安心を知る
・自分の言葉を紡ぐ
・好きなことにのめりこむ
・人の頼り方を知る

心の安全が何かを知ってるから、好きなことにもっとチャレンジできて、
それを言語化して自分のできることに気づけるから
人に頼れるし人に頼ってもらえる。
ラボでは自然に、小さな安全のループが出来上がってた。

印象的だったのは、入ったばかりの頃にわからないことをメッセージで聞いてみたら
「質問してくれてありがとう!」って返事が返ってきたこと。
「わからない」「しらない」ことに「ありがとう」なんて返事をもらったのは初めてだったし、
その一言で「ここでは弱い自分も変な自分も、存在していいのかも?」って体感できた。

そのスタンスの中で、私がどういう人間かを知ろうとしてくれつつ
ただ「ふーん。そうなんだねー」って保留してくれる。
変えようとも批判しようともねじ曲げて解釈しようともせず
今の私とこの先のなりたい私に、一緒に目線を合わせてくれる

コルクラボは、そして本来のコミュニティや人間関係は、そういうものなんだなーと、改めて思えた。

人は私のことを、全然理解できないし共感できないし、思ってることも感じてることも違う、かもしれないけど
それは「私 VS. 世界全員」じゃなくて、「あなたと私」という、別の人間の隣に一緒に立つことを知るってことが、居場所への一歩目だったかもしれない。

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私のことを大切にしたい。
だから隠したり闘ったり壁をつくったりしないで
私を受け止めてくれるし相手を受け止められる関係性を、自分の足で見つけにいきたい。
そのために、私を私のまま、世界に差し出そう

そう気づくまでは、
生きづらさに気力を奪われて独りでいようとしたり、コミュニティや関係性に依存してた

気づいたら、
「居場所」は私が決めるものだと思えたし、私が作り続けるものだと思えた。
だって、居場所は安心できる関係のことで、
安心できるのは「ただの私」と「ただのあなた」の存在を受け止める準備があるからだもん。

私が世界とどうお付き合いしたい・しようと決めることが、居場所を形作ってる。

だから(?)(だけど、かな?)、今も安住の地としての居場所は「ない」
私も周りも変化してるから、「ずっとある」という安心感に基づいた居場所は、ないなぁと思う。
ただただ、私が世界を選び続ける。
世界と仲良く手をつなぎ続けるために、選び続ける。
その間はずっと、どこかに私と私と世界が手をつないでる「居場所」が、あるのかもしれないなぁ。

#note #コラム #居場所 #コルクラボ本 #コルクラボ #自己肯定感

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