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知ることで見えた、新しい世界。映像翻訳講義、1回目。

3月14日、木曜日。
韓国語の映像翻訳、オンライン講義初日。

朝からとてもドキドキしていた。
このドキドキが、新たな挑戦へのワクワクなのか、夢に一歩近づいた緊張感なのかはよく分からなかったけれど、今日は人生の新たな扉を開く日だなと思った。

予め印刷しておいたレジュメ。
そこに書かれた映像翻訳の基礎知識。
仕事に取り組む上での心構えや、映像翻訳のルールなど、読んでいるだけで頭がいっぱいになった。

そこでまず思ったのは、この仕事はAIに取って代わられるものでは絶対にないだろうということだ。
例えば、それぞれの言語の直訳であったり、何となくの意訳ぐらいは、今の技術で出来てしまうかもしれない。最近は感情までプログラムされたAIだっている。

けれど、様々な制約とルールに則りながら、言葉を一つ一つ翻訳し、時には切り取り、付け足していく。それも製作者の意図に外れぬように。演じた俳優たちの表情や声と、寸分違わぬように。それはまだAIには出来ないだろうと思った。
言葉と真剣に向き合う、プロだけが出来ることだ。


実際に講義を受けながら、必死にメモをとった。
事前に内容を読んではいたものの、追加されていく情報を逃さぬようにと筆を走らせた。ボールペンの真っ赤なインクで埋まったレジュメを見ると、数年前に受けていた資格試験の日々を思い出した。
(結局難しすぎて、途中で挫折してしまったけれど。)

学校との契約上、講義の中で扱った内容については触れられないけれど、一時間半の講義の中で、”心してかかりたまへ”という気合を、先生から強く感じた。
そして、本当に初回かと疑いたくなるような課題量だった。絶句


ドラマもしくは映画から十五分間を抜き取って、その字幕を一言一句違わず書き写せという課題(媒体は何でも可)。

パソコン二台と向き合いながら、字幕が出てはマウスをクリックして一時停止、ノートパソコンに打ち込む、また再生、そして打ち込む。
相当な文字量を書いたぞと思っても、進んだのはたった四分で気が遠くなった。これを十五分やれと…?

結局十五分の字幕は250文程に及んだ。

疲れた。本当に疲れた。


大変な作業ではあったけれど、授業で学んだ映像翻訳のルールを気にしながら字幕の書き取りをすると、様々な発見があった。

当たり前だが、世に出た作品はきちんとルールに則って作られていて、厳しい制限の中で翻訳者が戦った跡も、初学者ながら少なからず感じた。本当にすごい仕事だ。

新しい知識を得たことで、今まで見ていたものを、全く違う角度から見ることができる。これは私の中で、とても貴重な経験だった。中々出来ない経験でもあるように思う。


韓国語を勉強して長く時が経ったけれど、これはまた違う類の勉強が始まった感じだ。韓国語の勉強をしている訳ではない。日本語の勉強ともまた違うけれど、どちらかと言えば後者に近いと思う。

翻訳者の方々のインタビューを見ると、日本語を多く学ばなければと仰っているのをよく見かけるが、そういうことかと納得した。
言語を理解することは大前提。その上で、それらを私たちの使う母国語に置き換える。言葉を豊富に知っていなければ、出来ない仕事なのだと強く感じる。


一旦課題を終えて、このnoteを書いている。
最近は、自分の言葉を綴ることに悩んでいたけれど、やっぱり私は書くことが好きだ。文章にすることが好きで、言葉に向き合うことが好きだ。

こうして書こうという気持ちになったのも、今日書店で出会った一冊の本がきっかけだ。まだ読みかけなので、読み終わったらその感想をまたここに綴りたい。

明日もほどほどに。
肩の力を抜いて、頑張りすぎずに、頑張りましょう。

それでは。

Thanks to piyosamaさん

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