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ダビデ像ではない要素

フィレンツェのアカデミア美術館に
ミケランジェロが彫刻したダビデ像がある。
以前読んだ本でどの本だったか忘れたが
ミケランジェロはダビデ像を彫刻する時、
ダビデ像である要素をくり抜こうと
するのではなく、ダビデ像ではない
要素を削ぎ落とす、ということに
意識を向けていたという。

これは結構日常のヒントになる考え方
なんじゃないかなと思う。会社の製品、
サービス、コンテンツ、小説、漫画、企画、
なんでもいいと思うんですけれど、ついつい
人って「ダビデ像である要素」をくり抜こうと
しがちではないでしょうか。そうした時に以外と、ダビデ像である要素を逆に削ぎ落としてしまう可能性はないでしょうか。

というのも最近読んだ土井善晴さんの著書の中に料理はまずくならないように作る方が大事。
みたいなことを仰られていて、なにか通じる
ものを感じました。

「ダビデ像ではない要素」を削いでいった
結果そこに「ダビデ像でしかない要素」
が残されていく。なんとなく、これ
アイデアとしては結構いろいろな場面に
使えそうだなあと思いました。

「僕」である要素を人って
ついついくり抜こうとしがち
だと思います。けど、そうではなく、
「僕」ではない要素を削いでいった
方が結果的に「まあまあ
オリジナルなナニカ」が
生まれやすいんじゃないかなあと、
なぜか、今日歯医者さんで、
治療してもらいながら天井の壁を眺めて
いるとふと、思い浮かびました。
たしかダビデ像真っ白だったからなあ。
つるつるぴかぴかで、脳って以外と単純
ですね・・・。

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