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展覧会:『モネ展連作の情景』で感じた違和感。大阪展は2024.5/6[月・休]迄です。ぼちぼち急ぎましょう。

「モネ連作の情景」の展覧会が大阪でやっております。まだまだ間に合います。混み合う前に行くのがおすすめです。

さて今回のこの展覧会、あなたはすでにお気づきでしょうか? ん?はて、と思われるかもしれません。今回のモネの連作の情景、何か違和感があった。そう思われた方もおられるでしょう。

それではまず結論からお伝えします。それは今回のモネ展。「あるモネの絵の前に立った人たちはなぜか少し狂い始める」。それが今回の記事のテーマです。

具体的に言えばその絵の前に立っている、女性、カップルたちを見ていると何故かかれらの行動がおかしくなることに気がついたのです。

それはなぜなのか?モネは絵に何を描いたのか?それでは今回は名画から発せられる魅力のその要因について考察していきたいと思います。

今回少し際どいワードがありますので、引き返す方はこの時点でこの記事を読むのをお控えいただけますと幸いです。

一部写真ok

さてまず今回の絵は印象派展ですが、100%モネというコピー通り、絵画はすべてモネです。モネの初期から晩年までを追う形で構成されています。そこでふとある絵に目がとまりました。それがラ・マンヌポルト。今回の展覧会の目玉のひとつです。広告などでもこの絵が使われています。

ラ・マンヌポルトのうち一枚は初来日
こちらで2枚の絵が見られます。

左側 
ラ・マンヌポルト(エトルタ)1883年|エトルタ 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館、ニューヨーク
The Manneporte (Etretat) 1883| Etretat Oil on canvas  The Metropolitan Museum of Art, New York. 37

右側
ラ・マンヌポルト(エトルタ)1886年|エトルタ 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館、ニューヨーク
The Manneporte (Etretat) 1886| Etretat Oil on canvas  The Metropolitan Museum of Art, New York.
37

パッとたちどまると「うわぁ、すっげえ」と言うワードしか頭に浮かびませんでした。この絵を見た瞬間なぜか感情が一瞬ざわつきました。僕と同じようにこの絵の前には多くの人が立ち止まっていました。名画の前ではよくこうなります。そこで思いました。なぜこの絵の前には多くの女性が集まるのだろうか?と。つまりなぜこの絵は多くの女性にモテるのか?と。

なぜならば他の絵にはこれほどの人だかりは出来ていません。しかもこの「ただの海辺の奇岩」の絵を見た途端、「うわあ、綺麗ーっ!」と感嘆の声をあげる方もおられる。もちろんその気持ちはわかります。しかしなぜこの絵である必要があるのでしょうか?

さらに目の前のカップルは手を取り合い絡まり合わせいちゃつき始める方もおられるではありませんか。いや、別にいいんですよ。ごゆっくりされたら・・・笑。ただ他の絵の前ではこのようなことにはなっていません。偶然だろうか? そして男が女性の耳元にささやくように何かをつぶやいている。一体彼は何を囁いているのでしょうか?

その時点から、ん?何かがおかしいぞと思いました。この名画・・・何かがアル。それは何だろう? それは果たして言語化できる種類のものなのだろうか?

「遠くから見た方がきれいだねー」とギャルっぽい女性が話し出す。たしかに遠くから見たらいい感じだ。そして他の絵の前では女性たちはこのようにおしゃべりになっていたりしませんでした。30分ほどじっと観察していました。岩の絵は2枚ありますが、みんながざわついているのはどうやらこの左側の一枚でした。

これが名画なのは見たらみんなわかると思います。でもそれがなぜなのか?を説明しようとすると意外にもむつかしいです。なぜだろう?

そこでその場を一度離れることにしました。

それでは少し箸休めに、そもそも印象派とは何か?をふりかえってみましょう。

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まず印象派が始まるこの時代はサロン(または官展)と呼ばれる国営の美術展で賞を取るのが画家として歩んでいく登竜門とされていました。小説家が芥川賞を目指すのと似ているのかもしれません。モネも同様にサロンで賞獲得を目指し作品を出品します。1865年にサロンで入選を果たすと先輩格であるマネとも名前も似ていることから話題になったそうです。ちなみに印象派のルーツは元をたどればこのマネであると言われています。

※マネはモネ達にとってイケてるアニキ的存在でした。

※マネは印象派展に出展してません。印象派の父と呼ばれてますが印象派ではありません。ただ「草上の昼食」と「オランピア」という2点が印象派たちに影響を与えたと言われています。

さて、モネは入選後、再出品していきますが、サロンは厳格化し入選が厳しくなっていきます。そこでじゃあ俺らで独自で個展を開こう。そのような流れになり、主要メンバー、モネ、ピサロ、シスレー、ルノワール、ドガたちがサロンではない独自の個展を開き道を開拓していきます。

さて。それから1874年に第一回印象派展が開催されます。しかし批評家のルイルロワにそんなものは印象しか描けていない。ただの「印象主義」だと言われバカにされます。そのことをモネたちが逆におもしろがってじゃあ俺らは印象派と名乗ろうと言い、印象派と言うグループ名が始まります。だいたい印象派はこのような流れです。

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それから絵に戻ると、ハッと気がつきました。この岩の絵、少し言いづらいのですが、情事の際の男女の結合部分の局部に酷似しているのです。そのような気づきがありました。

最初は、いや、それはあまりにも安直なとらえ方過ぎる・・・そう思いました。このことに気がついてから僕は見る対象を絵ではなく、この絵を見る女性の視線を追うことにしました。するとこの絵の前を通る女性はパッと中央の例の岩と荒々しい海の絵を見ると何か嫌なものを見るような顔になり、パッと顔を背けて歩いていく人もいるではありませんか。

そのように考えていくとこの絵の前で何故かイチャつき始めるカップルたちはこの絵に深層心理を刺激されていた可能性が0ではないのではないだろうか?そう思ったのです。何故かこの絵の前で饒舌になり始める女性たち。この絵を見る方たちの顔の表情、視線、しぐさを観察していると何かこの絵に感情を揺さぶられているようです。自分を棚に上げてしまいましたが、もちろん僕の深層心理ももしかしたら激しく揺さぶられているのかもしれません。もちろんこの絵の色彩感、構図が他の絵にくらべて鮮やかなのが感動する理由なのはいうまでもありません。

そしてもろちんこれは僕の勘違いである可能性も大いにあるでしょう。もしお時間があればこの絵をご覧になられて見てください。そしてこの絵を見る人の表情、視線、しぐさ、雰囲気を観察して見てください。そこにいくつかの発見があると思います。これから専門家の方に問い合わせてみようと考えてます。

✴︎内は展覧会の説明とwikipediaを元にして
書いてます。


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