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憎きフリルシャツ

私は人生のほとんどをショートヘアで過ごしている。
パーマボブにしたりウルフにしたり、就職活動の時期には肩までの長さでハーフアップにしたりもした。
しかし人生の中で見ると本当にわずかな期間のことで、最近はもうずっとワンレンショートで定着している。
たまには違う髪型を、と思っても結局ショートヘアに落ち着いてしまうのだ。
両親が共働きだったこともあり、幼少期の大半の時間を兄と過ごした。
服はいつも兄のお下がりだった。
いつも遊び相手は兄だったので、言葉遣いや仕草も兄に似ていたかもしれない。
幼稚園の頃、クラスの女の子がセーラームーンごっこをしている中、
私は男子に混ざってドラゴンボールごっこをしていたし、
女の子たちとおままごとをすることになっても、私は「お兄ちゃん役」や「お婆ちゃん役」だった。
それも、誰かから押し付けられたわけではなく、ママ役でも娘役でもないそれらの役を担当するのが自然だと無意識に思っていて、いつも自らその役を買って出ていたくらいだった。
男子からは「おい!男女!」と揶揄われていたし、前髪をヘアピンで留めていただけで男子たちはお祭り騒ぎで「女みてーな格好しやがって!!!」と大騒ぎだった。
私のことが嫌いなのかというとそうではないようで、
小学生の頃もらった年賀状には「お前と隣の席やとおもしれーわ!俺ら親友やぞ(力こぶのイラスト)」と書かれていた。
恐らく、彼らの中では私が女の子らしくないということがとても重要なことだったのだと思う。
まだ幼かったため、服は母が選んでいた。
当時は母自身もパンツルックが多く、兄のお古以外の服を着せる時もパーカーにキュロットを履かせてくれていた。
どこかで自分は女の子らしくしてはいけないと思っていた私にとって、それはとてもありがたいことだった。

だがある日、事件は起きた。

幼稚園に行くために母が履かせてくれたのは、いつもと変わらぬキュロット。
足元も履きやすいスニーカーだ。問題はトップス。
まるでエリマキトカゲのように大きなフリルのついた襟に、パフスリーブ、
袖口には繊細なレースがたっぷりとあしらわれていて、前身頃にもこれでもか!とレースが散らされている。
おまけに靴下にもフリル。
泣いた。それはもう家が揺れるのではないかというくらいに。

「こんな!!こんな女みてーな格好させやがって!!」

我が家は父の恐怖政治だったので、私も兄も思春期になるまで親にわがままを言ったり、
反抗したりしたことはなかったらしい。
そんな私が、泣いて嫌がったフリルたっぷりのシャツ。

父は激怒し、「そんなに嫌なら素っ裸で行け!!!!!」と怒鳴った。
母は「何がそんな嫌なん、可愛いよ」と必死でなだめていたが、まさに火に油。
それでもやっぱり父には歯向かえなくて、泣く泣く登園する羽目になった。
案の定、クラス中の男子に揶揄われ、
それどころか意地悪な上級生がクラスまで来て「似合わね〜!」と指を指して笑った。
恥ずかしくて、惨めで、いたたまれなかった。
だから、フリルというフリルを全て内側に織り込んで、一日を過ごすことにした。

帰宅後、何かの罰ゲーム中かのような娘の姿を見て絶句した父と母は、
二度と私にフリルの服を着せることはなかった。

大人になって自由に服を選ぶうちに、自分にはフリルなどどこか動きや変化のある服が似合うのだと知った。
クローゼットにはフリルの付いた服がたくさん並んでいる。
今はエリマキトカゲのように大きなフリルのついた襟に、パフスリーブ、
袖口には繊細なレースがたっぷりとあしらわれていて、
前身頃にもこれでもか!とレースが散らされているシャツを探して古着屋を巡る日々。

私がどれだけフリフリの服を着ていても、もう誰も笑わない。



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