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ウォールマリア

「昭和の雷親父」と聞くと、眉間に皺を寄せ、口を一文字に結び、腕を組んで仁王立ち…そんな姿を思い浮かべる人も多いだろう。
皆さんが思い浮かべたその男こそが、私の父である。
何か悪さをすると、雷が落ちたようにピシャリと怒号が落ちてくる。
なんなら悪さをしていなくてもその日の風向きによって雷は落とされる。
反抗期を迎えた兄は何度か父にボコボコにされていた。
兄も負けじと掴みかかるものの、中学生やそこらの体格ではまだ父には敵わない。
私はいつも、それはもうボコボコにされている兄を、
「どうせ勝てないんだから歯向かわなければいいのに」と、どこか冷めた目で見ていた。

我が家は父が絶対で、座る位置はいつも上座。
一番風呂は父の特権で、テレビのリモコンはいつも父の手元に、
そして一言「ビール」と言えば、冷凍庫でキンキンに冷やされたグラスと、ビールと、おつまみが自動で目の前に現れる。
父の機嫌を損ねないように、我が家にはいつもピリピリとした緊張感が漂っていた。

そんな父が、幼い頃から呪文のように「お前は地元の大学に進んで、地元で就職して、地元で結婚するんや。それがお前の幸せなんや」と言うので、
そうか、私の人生はそういう風に決まっているのだなあと、小学生の頃には既にじんわりとした絶望を知っていた。
未来が決まっているなら、私が私として生まれてきて、私として生きていく意味ってなんだろう。



父は、厳しい反面、時々私をじっと見つめては「お前は俺の宝物や」と噛み締めるように呟くことがあった。
私の地元は雪深い盆地で、どこを見渡しても山、山、山。
私のことが大好きで、大切で、だからこの山の内側に私を匿うことで、あらゆる危険から守ろうとしたのかもしれない。
父は、私が大きな夢を持つことをどうにかして阻止したいようだった。

中学生の時、小さな文学賞を受賞した。
夜な夜な執筆活動をしている私に向かって、父は
「文章を書くやつは全員病んでる、おかしい」と吐き捨てた。
私が自分のことを「特別な何者か」だと思い込むことをやめさせたいのか、
お前は凡人で、何かを成し遂げるような才能はないのだと、しきりに言って聞かせた。
高校生になってからも私はいくつかの文学賞を受賞し、ついにはありがたいことに、学校から推薦をもらえることになった。
…ありがたいことに、なんて謙虚ぶって書いたものの、推薦をもらうために片っ端から文学賞に応募していたのが実のところ。
「結果」を残すことで、夢への道筋を父に見せつけたかったのだ。
意外にも、父は「推薦をもらえるなら」と大阪の大学への進学を許し、
新居探しや引越しも、わざわざ大阪まで出てきてついてきてくれた。
自ら送り出すというのに、父はずっと悲しそうだった。

父は学生時代、県内でもトップクラスの学力だったらしい。
でも我が家は祖父の代から自営業で、長男である父は後を継ぐ必要があり、進学は諦めざるを得なかった。
技術を学ぶため、東京の師匠の下で数年間住み込みの修行をしていたそうだ。

山の向こうで、父は何を見たのだろう。

田舎で、黒いスーツのセットアップに、ハットをかぶり、サングラスをかけて歩く父。
どう考えたって、浮いていた。

もし家業を継ぐ必要がなかったら、父は何になりたかったのだろうか。

「『特別な何者か』になりたいと思ったことはあった?」とは、今も聞けずにいる。

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