充満する朝

「目覚ましをかけなくても良い。」ことが、休日というモノを構成する最も初歩的な特性だと僕はかねがね感じている。けれどもその割にはすんなり、あまりに潔く目覚める日もあるから不思議だなと、また、ある種張り合いが無いなと、思うのだ。
今朝もそういう朝であった。
ニトリで買ったオーソドックスという言葉がぴったりな時計を掛けてある壁の色と、朝の空の色とが同じような乳白色で、僕は、まぁいいかと起きた。深い意味なんてまったく無い。

だから、起きたからといって何かするわけではない。それはもちろん身体が微睡みの中にいることと、休みの日でありつつも予定が無いことに由来している。

起きたてホヤホヤのマヌケな顔を洗ってシャキリとするような気はないのだけど、僕の頭だけは妙チクリンに冴えてて、若干の朝靄が掛かったベランダからの風景とは相反している。

このまま放っておけば、きっと確信めいた朝になる。僕は、あと数時間後に迫った朝ごはんを何にしようか考える。それが左脳の働きであるなら、きっと右脳の方では「お昼ご飯何にしようか。」「よし、うどんにしよう。」と1つの解を導き出していた。(ような気がする。)
僕は四六時中何を食うか考えているらしい。
お出汁は昆布でとろう。やや柔らかく茹でて、薬味は生姜と葱。七味も撒いて。うめぇうめぇ。

だらしのない朝は決まって、実に幸せだ。
「お母さん」が「ちょっとアナタご飯よ」と、はたまた「良太〜部活でしょ」と呼び起こすように、キッチンからはお味噌汁を煮立たせ過ぎた出汁っぽい香りだとか、水道から果敢に流れる弾く音、リビングには少し懐かしい音楽が、パタパタと鳴る「お母さん」のスリッパなんかが、香り、色、音となって、朝という時間に充満し、密度を高め次第に実存しゆる様に、
日々を散漫している思考の中でも上等なものだけをかき集めてくれる。
ギュッと、自分というモノが凝縮されゆく気分すらある。

もしかしたら都会の人は今頃寝るのかもしれないとか、ベランダの向こうの田んぼの持ち主はせっせと朝仕事しているかもしれないとか、
やはりお昼ご飯は、うどんじゃなくてパスタにしようかとか、「ダメだ、バターを切らしているんだ」なんてことを思い出したり、ほんの少しも社会が平和にならないことをただただ思いながら朝を待つ今という時が、喜びなのだ。

向かいの田んぼでは相変わらずカエルがゲコゲコよく鳴いている。
たった今、2羽なにかしらの鳥がやってきた。
アヒルも鴨も僕には見分けがつかないのだけど、まったくもって綺麗に田植えされた苗と苗との間を進んで行く。

その2羽と今の僕の考え事は間違いなく同じだろうな。
3羽とも朝ごはんのことしか、頭に無いのだ。
お昼ご飯が決まっている分、僕に分がありそうではある。

#エッセイ #朝 #随筆 #朝ごはん #休みの日


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久保田真司

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