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寝落ちするけど意地はある。

仮に長電話を定義するなら2時間以上の通話をした時それを長電話だとする。

この2時間、あるいはそれ以上の時間のうち
一体、何分、意味のある会話をしてるのだろうか。

私の経験上、3分だと思う。

ただまぁそれは私に限った、
もしくは、私と、私の相手に限った話であるのかもしれない。

存外、長電話以外にも、無駄に長いものはあるわけで、大学の授業なんかもそれにあたるんじゃないかと、なんだか物騒なことを言いたい気になる。

大学の授業へは極力行かないようになった大学3年の春、今からちょうど1年前なのだけど、
去年の春は一体何していたのかと思うと、
お酒を覚えたころである。

当時、趣味旅行を名乗るイキッた大学生真っ只中であった私は、単身、福岡へ4泊5日で旅をした。

あてもなく歩き、中洲だか天神だかの屋台に
酒も飲めないのに入った。

隣にいた広島から来たというおばさんとおねえさんが、執拗に話しかけてくるし、お酒も勧めてくるので生まれて初めて自分のお金を払って飲酒した。

「案外飲めるもんですねぇ」なんて上機嫌になった私は、箸を持つ方に広島のおねえさんたちがいるとしたなら焼酎グラスをもつ左手にいる
新潟のカップルに話しかけた。

「あっちのおねえさんとおばさん、親子なんですって。」

「そ、そうなんですかぁ。」

なんて、しょうもない会話を繰り返すうちに
5人は「皆、旅人。」である共通点を見つけて意気投合。

皆、なんとなく入った屋台を出て、近くの鳥わさが美味しいお店に入った。

おばさんからカップルまで、おねえさんかと思ってたら40過ぎのおばさんだったことも含めて、若輩者の私に優しく「人生たるや」な話をしてくれた。

どんな話か忘れたけど、心地の良い長電話みたいな時間であったことは、覚えている。

2時間以上も共にして、「有意義だなぁ。」なんて感じたのは、おねえさんかと思ってたら40過ぎのおばさんだった瞬間くらいのものだ。

「中にはこんな若作りがうまい人がいるんだなぁ」と人生で4番目に大事なことを知っただけで、他は右から左へ抜けさって行くような話であった。

ちなみに人生で1番大事なことは、「お母さんの機嫌が世界の全て」であることだ。

少なくとも、我が家はそうなのだ。
それと同様に、無駄であることが、
無駄ではない作用を及ぼすことがある。

長電話がそれにあたる。

いつでも切れる電話をお互い切らない。

案外、人付き合いなんて簡単なことなんだと、
私は思う。

「あぁ、寝落ちしてたぁ。」

「ふふ、イビキ聞こえてたよ。」

こんな会話に何の意味があろうか。

知ったことではないけど、
たまには、そーゆーのも、良いじゃんね。


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