夏におしぼり敗北記
今朝の、パン作り修行に向かう途中だった。
家から30分くらい車を走らせ、「さぁ今日も、後15分で到着するぞ」と言う様な時に、田舎によくあるJAフルーツ協選所の駐車場で、そうだなぁ30人くらいが集まって、ラジオ体操をしていた。
交差点を直進すると、夏の朝のさわやかな風を通す為に開けていた車窓から、聞き馴染みのある、なにか、聞くだけで、急に初々しくって懐かしくって、少し眠たくなるような、ラジオ体操の「腕を伸ばして脚を曲げる運動」が、車の中に飛び込んできた。
交差点を過ぎてすぐのJAで、だる着のオトナが10人くらい、それと半そで短パンの子供が20人くらい集まって、皆同じように、でも皆がそれぞれのやり方で体操する、夏の景色が飛び込んできた。そうして気がつくのだ。
あぁ、そうか、もう夏休み、か。ってね。
これには、まったくもって新鮮な気持ちになった。
多分、この夏、最初で最後の機微だから。
「あぁ、そうか夏休み、か。」って思うのは、今夏の内でも今日が最後であると、決まっているから。もう1つ言うなら、今日のあの、ラジオ体操で、私の夏は、どうにも始まったらしい。
6月の終わりから、なんだからしくもない梅雨と、ぬるっと始まった夏の気温に、「あれ?夏ってのは、いつからだい?」なんて困っていた。
でも、今日、なんだか始まったんだよなぁ。明らかに、私の中で、夏が始まったのだ。
これは今日のパン作り修行の帰りに寄ったラーメン屋さんでの話し。
私はそうだな、たとえば居酒屋なんかで手渡しでもらうおしぼりなんかよりは、プラの袋に入ったままのおしぼりをもらう方が好きだな。いや、もちろん、タオルのキリリと冷えたおしぼりだよ。
筒状に丸められたおしぼりの入ったプラ袋を、「プシッ」っとあけて、今開けたばかりの反対を持って、逆さにして、さっとおしぼりを出し拡げてさ、「あぁ冷たい」なんて手を拭いて、「じゃぁ、そうだな長浜ラーメン、高菜も付けてください。」なんて言って頼むのが、私のいつもなのだ。
まだ21歳だし、瞼は二重だし、案外かわいい顔していると思うんだ。
でも今日のラーメン屋さんは、悔しかったなぁ。
プラ袋をいつものようにプシッと開けて、気がついたときにはもう遅かった、「しまった」って、声に出そうになったね。
いや、だって顔を拭いていたからね。
無意識だったのだよ。気が付いたらタオルでゴシゴシ顔を拭いていたということは、夏の暑さ、冷えたおしぼりに、さらには「ぼくの」自制心にだって負けたってことだ。
まだ21歳だよ、おしぼりで顔を拭いてはイケナイと、そういう風に決まっていたのだ。いやぁアレは恥ずかしかった。
カウンターで顔をゴシゴシ拭く私を、店主なんかは、真剣に面を茹でるフリして横目で見ていたに違いない。
「あぁ、まだ若いのに」なんて、哀れみの心で見ていたに違いない。
私が、「長浜ラーメン、固めで。」なんて言う時だって、「なーにが固めだよ。」なんて思っていたに違いない、いやもう絶対そうだ。顔拭く私を嘲笑うように、絶対少し、固めの茹で時間が2分15秒なら、それより柔らかく、そうだなぁ普通の3分でも、2分15秒でもない2分40秒茹でたに違いない。
いやぁ、参った。始まったのだな、夏。
貰いたて、プシッと開けたてのおしぼりで顔など拭く21歳の夏が、いやはや、しかと始まってしまった。と言う方が、正しいかもしれない。
ラジオ体操がどうにも懐かしいことも、なにか合点がいった気がする。
いやぁ、本当に、参ったなあ。ほら、平成だって、終わるらしいじゃないか。もう、オトナじゃないか。
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