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ほんとうに研究者になっていいのかという葛藤と、自分に合った研究分野を見つけるまで(1)

私は昔から研究がしたいと思い続けてきたものの、どの分野の研究がしたいかなど全くわかりませんでした。現在いわゆる遺伝学の解析の博士号をしているわけですが、やっとやりたい分野が見つかったという気がしています。今回はここに行きつくまでの経緯を書いてみたいと思います。

私は高校のころからずっと研究にあこがれていて、でも具体的に何の研究といわれるとわかりませんでした。どれも面白いけれど、どれが特に面白いかといわれてもよくわからないといった感覚でした。東京大学に入って研究者になろうと思っていましたが、入ってみて圧倒的に特定分野に対するパッションに欠けていることに気づき、そんな中、介護のボランティアなどを通じて患者さんを助けるという実践的な活動に深い満足感を得ることに気づいたため、医師になるという選択をしました。

結果的にイギリスの医学部にはいることになったのですが、研究をしたいという思いが消えたわけではありませんでした。学部1年の時にMBPhDという、医学部の途中に博士号を取得させてもらえるコースのことを聞いた時は自分のためのコースかと思いました。


イギリスでは、自分の専門をもって責任の重い医師のポストを得るには、大抵博士号が必要とされます。なので、研究にそこまで興味のない医師も、出世するためにはなんらかの研究に携わり、ひいては博士号を取得します。医師としての訓練は卒業後も続くわけですが、その合間に博士号を取れる役職がアカデミックコースとして用意されています。これらのコースはエリートコースのような認識をされており、かなり難関です。MBPhDはその中でキャリアの一番早い段階で研究を始められるという特異なコースで、一学年300人のなかからおよそ6人が選出されます。想像の通りものすごく倍率が高いものでした。

ケンブリッジ大学の医学部は前期3年と後期3年に分かれており、1-2年は解剖学や生理学、薬学などの必修ですが、3年はなんと学内の学部のどこからでも自由に取ることができます。要はそれぞれの学部の最終学年に編入させてもらえるのです。たいていの人は薬学や生理学、神経科学などなじみのある分野を専攻しますが、極端な話試験に合格できるなら、工学部などに通ってもいいわけです。その1年の終わりに試験があって、その試験に合格するとなんとその時点でその3年時に選択した学部の学位がもらえます。その成績をもってMBPhDコースに志願するというわけです。

学部は自由に選択できるとはいえ、2年の終わりに2年までの成績をもって志願することになり、もちろん人気のある学科には成績が良くないと入れません。また、各学部には実際に研究室で実験をしてそれを卒論として書き上げるコースと、literature reviewだけをするコースがあり、前者のほうが圧倒的に倍率が高いことで知られていました。3年時にその卒論を自分の行った実験で書かせてくれるコースに所属していないと、MBPhDへの受け入れが絶望的になります。そのほか、夏休みなどを利用して研究室でインターンなどを行った履歴がないと研究に対する熱意が不十分とみなされます。私がこれらの暗黙の志願条件を知ったのは遅く、2年の冬に差し掛かったころでした。


ケンブリッジの試験は普通の正誤問題や一問一答、薬学の計算問題などの他に、エッセイというのがあります。正誤や一問一答などはほぼ合否にのみ関わってきており、エッセイが成績の良しあしの判断材料です。このエッセイは、簡単に言えば小論文を3本、テーマを6つの中から3個選び、1本1時間で書き上げるというものです。もちろん何も見ずにです。なので学生は小論に引用できる事柄を覚えて試験に臨み、制限時間内に意味の通った議論を紙面に繰り広げる必要があります。授業内容だけで書いた小論はいくらうまくかけていても平均点で、それ以上を取るためには自分で論文を読んだりテキストを読んで広大な知の海から知識を身につけなければなりません。正直学部の1年はこの試験制度とエッセイになれるのに必死でした。暗記も苦手なので、落ちるかぎりぎりのところで常に戦っているような感じでした。なので成績の良しあしを気にしている余裕はまるでなく、1年の夏休みはインターンどころか、2年に同じようなつらい思いをしないために前倒しの予習に使うしかありませんでした。

将来研究をしたいなら2年の夏休みに向けていよいよインターンを探さなければいけないとなって、でも気づくのが遅すぎた私はかなり苦労することとなりました。インターンの給料はラボが出してくれるのはまれで、大抵はラボに志願した後にそのラボの先生に推薦書をもらってscholarshipに志願するのが一般的です。Scholarshipなしでは取ってくれるところはありません。大手のscholarhipは12月、1月ごろにはもう締め切りがすぎていて、1月ごろから研究室を探し始めた私は途方にくれました。

ここでやっとタイトルに戻るのですが、私はしたい研究分野も定かではありませんでした。ただ、「遺伝はどの分野に行っても大切だし、これからもっと重要度が増してくるトピックだ」という感じがしていました。ただ、私の遺伝学の知識と成績は地を這っていたので、いくつか面接にはいったものの断られました。それとは別に、神経科学、心理学は2年の必修で、授業を面白いと感じていました。10個ほどその分野のラボにアポイントを取ってみて、1つだけ面接までこぎつけたものの、奨学金の空きが一つしかないことがわかり、もうすでに一人取っていたから、という理由で断られました。合計30通ほどメールを送り、20通ほど無視、7通ほど断りのメールがあり、のこりの3通は面接に行ったものの断られるといった感じだったかと思います。

ほぼあきらめかけていた時、神経科学の講義でものすごく面白いものがありました。それは認知行動学の授業で、報酬系などのサルのモデルを使った研究などが紹介されていました。教壇に立つ教授自身のの研究室で行われた実験も紹介されていました。講義が終わって、私は真っ先に教壇に向かい、すごく面白かったので、研究室で夏に働きたいという旨を伝えました。返事はNOでした。動物実験をしている人はご存知かと思いますが、サルを使った実験はマウスやラットよりもさらに時間がかかるので、夏の数か月では何もできないからインターンは取っていない、ということでした。

どうしてもあきらめきれなかった私は食い下がりました。すると教授は、少し困り顔で考えた後で、3年の選択学部でうちのラボに来て続きをするならいいよ、と言いました。私にとってそれは非常な賭けでした。私は正直そのころ成績的に、3年時に神経科学という結構競争率の高い学部の、しかもプロジェクトができるコースを得られる自信がなかったからです。ただ、教授の前でそんなことは言えないので、そうします、といったのでした。そして一方的に「あとで履歴書を送ります」と言って帰ってきたのでした。

正直、それまでの経験から、メールを送ったところで返ってくるか半信半疑だったのですが、驚いたことにそこからはとんとん拍子に話が進み、奨学金も神経科学分野専門の志願できるものを教えてもらって無事にもらえることになりました。あとは3年時の学部振り分けに必要な成績を取るだけということで、とりあえず死に物狂いで頑張りました。結果、無事なんとか3年時の神経科学のプロジェクトコースに進学することができ、サマーインターンも同研究室でお世話になることになりました。

こちらに続きます。

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