見出し画像

ゴジラ-1.0-23=ジュブナイル

山崎貴監督『ゴジラ-1.0』アカデミー賞視覚効果賞を受賞したことは、日本国内でも大きな話題になったが、我が家にとってもまるで親戚が栄誉を受けたような喜びだった。

19年前、山崎監督の3作目になる『ALWAYS 三丁目の夕日』日本アカデミー賞を総ナメにしたときは、「アルジャーノン一家より」と書いた家族全員の寄せ書きを白組の監督宛にファックスした。

「アルジャーノン」というのはその頃の私が使っていたHN(ハンドルネーム=スクリーンネーム)だ。

ちょうど四半世紀前の1999年のこと。
日本の若いVFXアーティスト『スターウォーズ』に触発され『鵺/NUE』という長編映画を企画していることを私はインターネットで知った。それが山崎貴さんだった。
『白組』伊丹十三作品など映画のVFXを務めていた彼は、当時の制作費でも30億円は下らないというスケール故に映画化を諦めたようだった。

しかし20世紀最後の年である2000年に、山崎貴さんは『ジュブナイル』で華々しく映画監督としてのデビューを果たし、山崎貴監督になった。

『ジュブナイル』はこんな話だ。
2000年の夏休み、港町(飯岡漁港)に住む祐介(遠藤雄弥)や岬(鈴木杏)たち4人の子供たちは、キャンプ場で「テトラ」という球体のロボットに出会う。テトラは自分でその身体を改造して歩行出来るようになり、やがて祐介はテトラとともに宇宙から地球の海を盗みに来た宇宙人と戦うことになる……。
ストーリーを端折って書くと荒唐無稽に聞こえるかもしれない。また、ストーリーの一部が当時一人のファンが書いたという『ドラえもん最終回』に似すぎているという批判もあったが、監督自身も実際にその話をヒントにしたと語っていたし、確か書いた方に名乗り出て欲しいとどこかで言われていた気がする。

『朝日新聞』の一面を使ったテトラのペーパークラフトや、「神崎ラヂオ商会」の店長役で香取慎吾が出演していたこともあって、公開当時はかなり話題になっていた。

我が家は子供が成人するまでよく家族揃って映画を観に行ったが、当時子供達はみんな小学生だった。
当然、夏休みには劇場に足を運ぶつもりだったが、残念ながらその夏の私は忙しすぎて、気づいたらロードショーは終わっていた。

レンタルビデオショップで『ジュブナイル』が新作の棚に並んだ時に真っ先に手に取り、我が家のプロジェクターで上映した。
誰ともなく「映画館に観に行けば良かったね」と漏らした。

『2001年宇宙の旅』ダグラス・トランブルリチャード・エドランドのファンになり、映画の特殊効果に強い関心を持っていた私も、低予算ながらも凝りに凝ったVFXの完成度や作品の随所に見られるデザインセンスに感心した。

「神は細部に宿る」は建築やデザインの巨匠ミース・ファン・デルローエの名言と言われるが、作品の隅々に山崎監督の拘りが見えた。
予算は限られていても絶対に手は抜かない——そんな監督や白組の姿勢がスクリーンの向こう側に見え隠れしていた。

妻も一言「日本の映画にしてはすごくセンスが良いし、垢抜けてるね」と感想を漏らしていた。

我が家の子供達は愛らしいテトラに魅せられ、映画の主人公たちにすっかり感情移入したようで、一家で『ジュブナイル』の大ファンになった。
DVDを購入し、メイキング映像に影響を受けてメイキング本も入手した。

公開当時は気づかなかったが、まだSNSなどない時代に『ジュブナイル』ファンの一人がインターネット上にファンの交流サイトを立ち上げ、「ジュブナー」と自らを呼ぶファンたちは掲示板にそれぞれの思いを書き込んで盛り上がっていた。
私も何度か書き込んだが、その掲示板には驚いたことに山崎監督自身がまめに返信してくれていたのだ。

作品公開から凡そ一年後の2001年7月1日のこと。
ジュブナー(ジュブナイルファン)による『白組見学会』が実現した。
参加者24名は、山崎監督の職場である調布スタジオ、そして杉並スタジオ、最後に青山にある白組本社に招いていただき、夜は渋谷で打ち上げという、まる一日がかりのイベントになった。

VFXに使用するワークステーション、ミニチュア撮影用のモーションコントロールカメラ、山崎監督がVFXアーティストとして仕事をしていた作業場。更にマル秘の某ゲームの開発現場まで、その日は白組の隅々まで見せていただいた。

調布スタジオでは、山崎監督自身も集まったファンたちと親しく交流。
イタリアジフォーニ映画祭子供映画部門でグランプリを受賞したトロフィーを持ってきて(ちょうどテレビの情報番組でゴジラとオスカー像を持って話してくれたように)詳しく説明してくれたし、子供達から浴びせられた難問や珍問にも真摯に応えてくれた。

夜の打ち上げにも監督は駆けつけてくれて、次回作やこれからの夢を語ってくれた。
確かその夜、監督は「ゴジラを作りたい」と言われていたように記憶しているが、まさか自身がオスカーを手にする光景までは想像していなかっただろう。

私たち一家にとっては当に夢のような一日で、当時小6、小4、小2だった子供達にとっては終生忘れ得ぬ原体験となった。
長女はともかく、後にアフレコスタジオのスタッフになった次女と、サラリーマンを辞めて声優・俳優になった末っ子の長男は、「あの日の経験がその先の人生を変えた」と口を揃えて語っている。

もちろん、2作目『リターナー』は家族で観に行ったし、祖父母も連れて7人で観に行った『ALWAYS 三丁目の夕日』にCGのゴジラが登場したときは、思わず拍手を送りたくなった。

だから『ゴジラ-1.0』を観たときには「夢が叶った」と嬉しくなったし、目を見張るほどのVFXには心が震えた。
それでも、上映中の高揚感の余韻を噛み締めながら劇場を後にしたときには、まさかアカデミー賞を受賞するとまでは思っていなかった。

妻と二人、テレビ画面の向こうで金色のゴジラとオスカー像を手にする監督の姿を見ながら涙を拭った。
「ほんとによかったね」
「山崎監督、全然変わってないね」

今や世界中の映画ファンが山崎貴に注目している。
でも彼の笑顔は23年前と何も変わらない。
トレードマークの顎髭は白くなったが、気持ちはずっと少年のままなのだろう。

努力を重ねれば自然に結果はついてくる。
誰もがそれを分かっていても、努力を重ねることは難しい。
もし努力を重ねることは出来ても、たいていの人は時を重ねるうちに、老いとともにその心や夢も変化していく。
だから、いつまでも少年の心を持ち続け、夢を追い求めることは……とてもとても難しい。

ゴジラ-1.0-23年=ジュブナイル

『ジュブナイル』というタイトルが象徴的に思える。
"Juvenile"の意味は「少年期」。
そして、映画『ジュブナイル』のキャッチコピーは「夢は、死なない。」だ。

山崎貴監督は『スターウォーズ』『未知との遭遇』に憧れて映画の世界に進んだという。
きっとこれからは『ゴジラ-1.0』に憧れて映画の世界を目指す少年少女が世界中から現れてくるだろう。

その23年前、山崎監督の処女作に導かれて我が家の子供達は映像の世界に足を踏み入れた。
レンタルビデオで観た『ジュブナイル』は私たち家族、とくに子供達にとっては「人生を変えた映画」なのだ。

#映画にまつわる思い出


サポートして頂けるなんて、この上なき幸せです! これからも頑張ります!!