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『父』(超短編)  加藤猿実

解説

オンライン小説投稿サイト「NOVEL DAYS」に投稿して比較的読者の方の評価が高かった2000字短編小説。
実は私の実体験に基づく私小説です。

 父が最初に家を出て行ったのは私が四歳のころ。
 両親が離婚となれば、長男の私は父方に引き取られる約束で、私は父の実家にしばらく預けられた。幼かった私に父の家出の記憶はないが、伯母に手を引かれながら連絡船から眺めた航跡波や海面の泡沫と、言い知れぬ不安が心の奥底に残っている。

 父は気難しい人だった。だから家族はいつも父の顔色を見て過ごしていた。
 そんな父が、浮気をきっかけに二度目の家出を決行したのは私が幼稚園のとき。デスクや身の回りの物をトラックに積み込む後ろ姿を、私は今でもはっきりと思い出すことが出来る。
 そのときも父は帰ってきた。
 あれは家族への罪滅ぼしだったのだろうか? 父は、雨が降る度に買ったばかりの自家用車に家族を乗せ、人形教室に通う母を送り迎えした。カーラジオから流れる「太陽がいっぱい」のテーマ曲のもの悲しいメロディーと、雨を拭うワイパーの音が私にとって思い出の一頁になった。

 私が小学生だった夏、父は大きな交通事故に遭遇した。平静を保てなくなった母の代わりに、支えてくれる人があの頃の父には必要だったのだろう。それ以来、父は週末しか家に帰らなくなった。

「忙しい平日は事務所に寝泊まりしている」という母の言葉をそのまま鵜呑みにしていた私が、父にもう一つ別の家庭があることを偶然知ったのは高校二年の春。
 父の大師匠ル・コルビュジェを嫌悪し、父が堪能だったフランス語や父が愛していたフランスを憎み、父が大好きだったベートーベンやモーツアルト、チャイコフスキーまで恨めしくなった。
 ある日のこと、成績の低下や荒れた生活態度を見かねた父に叱責された私は、生まれて初めて父に悪態をついた。
「誰のおかげで食べられると思ってるんだ!」と父は激怒し、私を罵った。「この豚!」
 殺意を抱いた私は父の頭上に椅子を振り上げ、母はそんな私の足元に必死にしがみつく。その姿が悲しくなった私は振り上げた椅子を床に下ろした。
 今度は私が家出する番だった。しばらく友達の家を泊まり歩いた末、ようやく家に帰ったが、それ以来父は腫れ物に触るように私に接するようになった。

 そんな父と私は、一度だけ二人で日本酒を酌み交わしたことがある。
 母が用意した惣菜をつまみに、ご飯の代わりに日本酒の杯を一人傾ける——それが父の夕げのスタイルで、冷や酒が嫌いな父はいつも母に月桂冠を熱燗あつかんにしてもらっていた。
 それは私が社会人になったばかりの頃。父はいつものように一人で呑んでいた。ふだんなら会釈だけで通り過ぎる私が、その日は「お帰りなさい」と挨拶した。すると父から声を掛けられた。
「たまには一緒に呑まないか?」
 私は黙って頷いた。
「酒をもう一本、それともう一つ杯を持ってきてくれ」と父は母にリクエストした。
 父が注いでくれた月桂冠を口に運ぶと、自分がいつも呑む酒と違って火傷するほど熱い。よくこんな熱い酒が飲めるなと私は思った。
 めずらしく上機嫌だった父と、そのときどんな話をしたのかはよく覚えていない。好きな女性のタイプとかそんな他愛のないことだったように思う。ただ一つだけ、はっきりと思い出せることがある。
「いつもどんな酒を飲んでるんだ?」と父は訊ねた。
「剣菱です」と私は答える。
「剣菱? 飲んだことがないな」と父は言った。「家にもあるのか?」
 私は台所に剣菱の一升瓶を持って行き、「あんまり熱くしないで人肌くらいに」と母に頼んでお燗してもらった。
「スッキリしていてなかなか美味い酒じゃないか」と、杯を傾けながら父は言ってくれた。一所懸命私に合わせてくれている、そんな気がした。それが父子で日本酒を酌み交わした最初で最後の夜になった。
 やがて両親は離婚し、父は二度と家に帰らなくなった。

 長い年月が過ぎ、古希を前に難病に冒された父は潔く仕事を引退することになり、その後は施設と病院を繰り返し往復する。私は妻と三人の子供達を連れて、父のベッドを何度も見舞った。
 傘寿を迎えた二年後の五月、父はホノルルで灯籠流しが行われた翌朝に眠るように旅立っていった。

 通夜葬儀は、親族と父の門下生や事務所の仕事仲間だけで行われた。
「安らかな顔をしていたね」
「あぁ。鬼の先生が仏の顔をしてた」
 冷えたビール片手に妻と二人で列席者にお酌していた私の背後から父の門下生たちの会話が聞こえてきた。
「先生は日本酒が好きだったね」
「そうだね。いつも剣菱だった」
 私の足が止まった。
「そうそう、日本酒は剣菱しか飲まなかったな」
 手に持っていたビール瓶をテーブルに置き、私はそっと涙を拭った。

 間もなく父の十三回忌を迎える今、私はシトロエンを愛車にしている。
 父の命日くらいしか剣菱の杯を傾けることはないが、ラヴェルやドビュッシーをBGMに、コルビュジェや父の作品集を眺めながら想う。
 父のように私も子供たちに何かを残してあげることができるのだろうか——と。

   —— 了 ——

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