お札になりたい
「お札になりたい」
これは私が中学校卒業の文集か卒業アルバムに書いた言葉だと思う。
思うと書いているのは、はっきりと覚えていないからだ。
確かめようにも手元にそれらはない。
しかし、お札になりたいと書いたような、書こうとして止められたような、いや、やっぱり書いたような気がしている。
突然このことを思い出すくらいなので、書いたのかもしれない。
どっちやねんと独りごちながら、私は今noteを書いている。
中学卒業時、一人一言、何かメッセージを書くというのがあったんだと思う。
それぞれ夢や思い出、ウケ狙いの何かを書いたんだろう。
私は当時15歳の女子である。
もう少し他に何か書くべきことががあったのではないかと、今は思う。
「お札になりたい」
なれるわけがない。
紙幣の肖像画に選ばれる人物というのは、何か素晴らしい功績を残した人物である。紙幣の人物選定には条件がある。
なんと壮大な夢であろうか。
自分の価値を完全に見誤っている。
最近では43歳にもなって、うんこを連発する記事を書いているし、小説家になりたいだのという大それた夢を語ったりもしている。
私は一体いつから成長が止まっているのだろうかと、甚だ自分の精神面に疑念を抱かずにはいられない。
ああ、お恥ずかしい。
完全に厨二病を患ったまま成長してしまった大人である。
「お札になりたい」
私は中学3年生だった私に言ってやりたい。
「お札にはなれない」
なぜなら、私たちは
紙幣になんかなれっこないのだ。
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