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『料理雑記その3:私の信じたステーキ』

「人間は猿との共通祖先から進化した」
1859年にチャールズ・ダーウィンが出版した『種の起源』において語られるこの言葉。
当時のイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国、即ちキリスト教社会における人々への衝撃は如何ほどだったろうか?
 全知全能たる主が造りたもうた全ての生き物の姿。それは初めから完成されたものであり、変化することなどありはしない。まして主が自らの御姿に似せて命の息吹を吹き込んだ、万物の霊長たる我ら人間が、暗い森の木々に紛れて下賎な笑みを浮かべる猿どもと、祖を同じくするなどと!

 正しい教えを汚す考えであると怒りに震える人がいただろう。
 狂人の妄言よ、と歯牙にかけない者もいたかもしれない。
 あるいは、ただ茫然となる人も。

 これまで当たり前に信じられてきた神話を真っ向から否定する異物が、初めから世に歓迎されるはずがないのだ。
 地球を宇宙の中心の座から太陽の数ある惑星の1つへと追いやった地動説もそうだ。人は自分の意志で自らを完全に認識しコントロールすることはできないと告げたフロイトの無意識論もその1つである。
 キリスト教社会における科学的新説だけがその例ではない。
 医療現場での創傷処置も、かつての「消毒して乾燥させる(乾燥療法)」という考え方から、「菌を洗い流して潤いを保つ(湿潤療法)」新たな手法へとシフトしてきた。
 「男は外で働き女は家を守る」「子どもが3歳になるまでは母親は育児に専念する」などの日本昭和的な考え方も、多様な生活観の出現により洗い流されつつある。
 
 いつの時代のどんな分野においても、新たな考えやアイデアは社会に衝撃と困惑を与えるものだ。
 しかしどんなに奇抜で斬新に思える新説でも、そこに確かな正しさや長所があるのならば、長い時間をかけてでも世に受け入れられ、更に変化を遂げて浸透していく。
 観察と推察から得られた仮説に過ぎなかったダーウィンの初期の進化論が、その後多くの議論に揉まれて改良されてきたように。

 古い考えが、必ずしも悪いのではない。
 新しいアイデアが、例外なく正しいのでもない。
 それに直面した人々の戸惑いと選択が、絶え間ない営みが、それまでの神話を、新たな常識へと変えてきたのだ。
 そして数年前、1つの神話が変わるかもしれないターニングポイントを迎えた。
信捧者たちは、いままさに戸惑いと選択の最中にいる。かくいう私もその1人なのだが。

 そう、私たちは選ばねばならない。
「ステーキを焼く時は表面を強火で焼き固めて肉汁を閉じ込める」という神話か。
 それとも「はじめから低温で肉汁を出さずに焼き上げる」という新しい当たり前を受け入れるのかを…

 さてそんなワケで、今回のテーマは『ステーキ』である。
正確にはビーフステーキだ。
また前置きが長くなったのでサクサク進めたい。

ステーキ。
焼いた肉である。
有史以前から存在する料理でありながら、今なおその人気は衰えることはない。
最もシンプルな肉料理であるが故に調理する人口も多い。こだわり始めると、それはそれは大変なことになるのだ。

 肉の種類、部位、質の選び方に始まり、牛種や肉を卸した後の熟成期間、調理に用いる器具、熱源、焼き方、味付け…。
はては付け合わせやカットするステーキナイフの質までもがこだわりポイントになる世界である。

 匿名がために一度熱くなるとブレーキが効かず議論が激しくなる傾向にあるネット界隈においては、ペペロンチーノとともに「場が荒れやすい料理の話題」の2大巨頭となっている。
 
 そんなステーキだが、ほんの10年前くらいまでは焼き方には定説があった。
初めは強火で表面を焼き固めて肉汁が外に出ないようにして、後に弱火で中心部まで温める、というものだ。
 私も長らくこの焼き方に従っていた。
それが最も肉を旨く焼く方法だと信じて。だからこそ4年ほど前に新たな真理を知ったときはショックだった。 
そう、この焼き方は今では否定されているのだ。

 60℃を越える温度で焼かれた肉は、その温度が高いほど肉汁を外に逃がしてしまう。
肉の表面を強火で焼き固めても、肉汁は肉の外に溢れ出てしまうのだ。
 ステーキから肉汁が逃げてしまうとは、それ即ちパサパサの焼き肉になるということである。個人の好みはあれど、万人に受け入れられるとは言い難い。
 では肉汁を中に閉じ込めたジューシーなステーキはどのように焼けばいいのだろうか?
詳しくは山ほどあるステーキの焼き方動画やブログを見てもらえばよいのだが、要は60℃以下の低温で、長時間かけて肉の中心部まで温めればよい。具体的には低温のオーブンで焼いたり、とろ火のフライパンで30秒おきに肉を引っくり返すのを20分ほど続ける、あるいは肉をジップロックに入れて60℃のお湯で湯煎するなどだ。
 湯煎した肉がステーキなのかはやや疑問だが、細かいことは気にしてはいけない。
 ちなみにこのような低温調理では、肉を高温で焼いたときの香ばしさや食欲を誘う褐色への変化(メイラード反応)が少ないため、最後に高温のバーナーなどで表面を炙ることも多い。
そこらへんをよくよく踏まえて調理していきたい。

~ステーキ~
※調理器具はダイソーで500円だったスキレットとガスコンロ。焼き上がりはレアを想定。

①お好みの肉を用意する。厚さは1.5cm以上ほしいところ。
②肉を焼く30分以上前に冷蔵庫から出しておく。中心部まで室温と同じにするのが理想。
その間に付け合わせを用意する(私の定番はマッシュポテトとキノコ類)。
③肉の筋を切り、焼く直前に塩コショウする。
④スキレットを強火で熱し、牛脂とニンニクを入れて香りを出す。
⑤肉をスキレットに投入し強火で1分ほど焼いたら弱火にしてフタをして2分ほど待つ。
⑥フタを外し肉を引っくり返したら強火にして少量の酒を入れてアルコールを飛ばす。酒はブランデーかウイスキーがオススメ。
⑦肉をアルミホイルで包み約5分保温する。
 あとは盛付けて出来上がり。
赤ワインと肉の最強コラボを存分に楽しみたい。

…え?
うん、強火で表面を焼いたけどなにか?
低温調理はどうした?
いやだって正直めんどいというか、ぶっちゃけ肉1枚焼くのに数十分とかやってられないっすよハハハ( ´∀`)
すいませんごめんなさい、石を投げないでください。
 まあ正直なところ、何回か低温調理にもチャレンジしたが、その魅力がイマイチ解らなかったのだ。なので未だに焼き慣れたこのやり方を続けている。そして、美味いステーキを楽しんでいる。
 
 なぜ間違いに近いとされる焼き方の方が、私にとっては魅力的なのだろう。
私の舌が未熟なのもあるが、むしろそれが全てなのかもしれないが、それ以外の理由もある。

信じていたからだ。
強火で表面を焼いた肉は、肉汁をその内に閉じ込められたジューシーなステーキであると、その神話をつよく信じていたからだ。
そう信じ続けて、10年以上肉を焼いて食べてきた。その体験が自分の焼いたステーキの味にプラスアルファされているのだ。

低温調理が嫌なワケではない。
しかし低温調理に対しての思い出や思い入れもまた、ない。
不条理なのは百も承知である。
しかし、受け入れ難いのだ。

そして私はまた肉を焼く。
間違った焼き方で、それでも信じたステーキを。

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