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あのこは貴族



観てきた。よかった。山内マリコの原作小説を映像化した作品。
主演は門脇麦。準主役に水原希子などがいる。

婚姻制度は地方と都心の限られた地域で同じ働きを見せる。地方では土地や稼業の継承。都心では蓄財(人脈を含む)の継承のために。外から女を家に迎えて、生まれた男にすべてを注ぎ込む。財も、教育も、なにもかもを。全然違うと思っていた二人の人生を「似てるね」と笑った美紀の無邪気な様子が華子を解き放ったのかもしれない。

華子は開業医の家系に産まれて医師と結婚することを望まれている。親族からのプレッシャーは大きい。まだ二十七歳なのに? もう二十七歳だから。自立を望まれない女の旬は短い。知識や経験の蓄積は邪魔になる。高良健吾演じる青木幸一郎の「そういう風に育てられてきたでしょ」というセリフがそのことを端的に表していた。彼も、華子も、望まれる役割に沿った形になるように育てられてきた。本人たちの意識が形成される前に。

華子のパートは見ているだけでこみあげてくる涙がこらえられなかった。彼女の感じているものは言葉になる前の、名前の与えられないものだったから。

状況としては美紀やその親友の状況のほうが悲惨なのに、現代日本ではありふれた状況すぎてあっけらかんと描かれている。美紀は家庭の事情で憧れの大学を中退せざるを得なかったし、里英のように学校を卒業しても、地元に学んだことを活かせる求人はない。それでも彼女たちは失望しない。現実がそんなものだと知っているから。自分たちの取りうる手段をすべてためしおえるまでは、希望を断たれない。

対して華子は自分の要望や希望や可能性についてほとんど知らされないまま生きてきた。彼女に求められているのは現状維持。周りの希望や要望がはっきりと言語化されることは少なく、彼女は自然と周りの期待通りの道を歩かされる。

だけど華子にも自我はあるのだ。ネイリストに男性を紹介されたとき、行きなれない居酒屋の雰囲気に戸惑い逃げ帰った後、彼女は親の勧めるお見合いに以前のようなコンサバティブな服装で挑まなかった。最大限カジュアルな服装で赴き、青木に出会った。彼女の姉は「お見合いでベテラン感出してどうするのよ」と咎める。見合いに赴く女に求められている処女性。変な知恵がついていないこと。華子がジャズが好きだと説明した時に、バイオリニストに紹介された男の「別れた男の趣味でしょ」という決めつけ。

女はなぜか白紙で生まれてきて白紙のまま育ち付き合った男にいくらでも影響されるものだと思われている。青木は華子と会っているときも、過去のお見合い相手たちのような無粋なことは言わない。無駄な会話は極限まで省かれている。彼の言動は常に目的に沿って最短距離で移動できる経路の上をなぞっていた。表面上の品の良さ。だけど葬儀や式典の時に見られる彼らの家族の下世話さをどんな言葉が引き受けてくれるのだろうか。華子の両親や祖父母は「そのこと」を知っている。予感している。親友の逸子でさえ、青木のような男と結婚することが、女の人生をどのように変形させるのか知っていた。華子だけがそのことを知らされていなかった。

青木が祖母のダイヤの指輪を渡して華子にプロポーズした夜、華子は青木のスマホに時岡美紀という女から連絡が入ったところを見てしまう。軽井沢の別荘。大きなクリスマスツリー。美紀の実家では飾られることのなかったというクリスマスツリー。

華子の親友、逸子が青木と美紀の親密な様子に気づき、籍を入れる前に直接話をつける機会を作った。美紀は素直にはしゃぐ。高い場所から東京の街を一望できる景色。美紀は婚約者を前にして、青木と別れることを快諾する。華子はそのまま青木と籍を入れた。

結婚が決まれば妊娠や出産を催促される。個人的な事柄に土足で踏み込まれる閉塞感。夫は家を空けてすることがない。暇を持て余し職を求めるけれども「旦那さんに相談したほうがいいよ」とやんわりと働く許可を取ることを求められる。親友は海外にいて帰ってこない。華子は孤独を募らせ、町で見かけた美紀に声をかける。美紀は自転車で東京の街を疾走していた。

さりげない描写やセリフがひとつひとつ丁寧で、繊細な演技がリアリティを支えていた。場面や時間の移動を知らせるカット。無駄なものが何一つなく、下町の雑多な風景やホテルのレストランから見下ろす小さな東京の景色がコントラストを際立てていた。その場所に座っていること、座り続けることを求められる人たちと、その場所に上っていくことを夢見て、地方と東京の往復を続ける人たち。だけど階層間の移動は起こらない。許されない、ありえないことだから。

「大事な日にはいつも雨が降る」と言っていた青木のセリフを思い出す。でもそれは周囲にとって大事な日で、彼にとってはどうでもいい日だったのではないか。彼はいつも自分のことなどどうでもよさそうに、与えられた役割をたんたんとこなしている。美紀といるときの幼げな態度。華子と実家に赴いたときの、池に石を投げる子供のような様子。華子に別荘の思い出を語った時の、居場所のないこどものような態度。彼は最後まで華子に自分の人生のことをしらせなかった。華子は「もっと聞かせてほしい」「夢のこととか」とふたりの距離を縮めようとする。青木は最後まで「役割」をくずさなかった。華子は離婚を決意する。

最後のシーン、雨は降っていなかった。
青木にとっては政治活動のうちのなんでもない一日。
地域のファミリーコンサートに赴き逸子のマネージャーとして働く華子に再会する。
「このあと時間とれる?」
「うん」
と華子が答えた後の子供のような無邪気な表情。
あの日は青木幸一郎にとって、どんな意味をもつ一日だったんだろう。

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