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とるかとられるかの追いかけっこ。

子供のとき、勝負事が苦手だった。

定期テスト、部活の大会、クラス対抗の球技、席替えじゃんけん、受験。

自分に自信がなくて
ひとと比べられるのが嫌で
ひとより劣っているのを目に見える形で受けとるのが怖くて。

いつもできていることもできなくて
ことごとく
いまひとつな結果を重ねていたように思う。

社会人になってからも勝負事だらけだった。

私生活、仕事、持ち物、ライフイベント…。
多方面からくるマウンティングに身構え、昇進や職場でのポジション取りに傷つき、虚しくなる人も多いと思う。

でもひとよりもいちばんの対戦相手は
自分自身だった。

課題の提出をこの日までには終わらそうとか
22時以降は食べないようにしようとか
何歳までに何をしていようとか

じぶんが決めた目標やルールや
じぶんがじぶんに求めたハードルに
勝つことこそが
相手がある勝負事よりも難しかったりした。

試合に負けて
場の雰囲気に負けて
じぶんがじぶんに提示した理想に負けて
他の人とじぶんを比べて意味も勝敗もないのに勝手に負けた気になったりして…。

ありとあらゆることに
負け続けてわかったことがある。

勝負事や勝負どころは多くても
勝敗があるような出来事は実は少ない。

負けても勝っても
じぶんのモノにできたら
それはじぶんが勝ち獲れたモノで、
じぶんの中に残り、
やがてじぶんそのものになる。

勝てなくても得られればいいのだ。

それでも勝ちたい相手・正念場があったとしたら。



試合も勝負も大会も相手もあることだから

じぶんの不調や不利になるアクシデントも想定し、
負ける場面もつくる。

それに対応した対策を作り、調子を建て直し、
自分が勝つ順番を待つのだ。

勝負事にぜんぶ勝とうと思ったら負ける。

逆にひとつも勝てなかったりする。

だから
あらかじめとられること、とるモノを想定しておく。

時には
喉から手が出るほど欲しいもの、
身から離さず持っていたい大切なもの、
そのものほどあえて手放す。

そしてそれらを迎えに行くイメージで
攻め、勝ち獲りに行く。

勝負事にぜんぶ勝とうと思ったら負ける。
逆にひとつも勝てなかったりする。

ぜんぶを手に入れようと思っても
ひとつも手にはいらないのと同じ。


だから
じぶんが力を出せる機会を出番を
いかに増やすかなのだ。



負けても勝っても
じぶんで得たモノで
じぶんを構築していきたい。

それがきっと
とるか、とられるかの追いかけっこのゴールだ。

時折訪れる、誰かが書いた文章を無性に読みたくなるときに、ご利用いただけたら幸いです。