七川 標

よく笑い、よく食べ、よく遊び、えっさほいさと目まぐるしい生活を送っています。 Note…

七川 標

よく笑い、よく食べ、よく遊び、えっさほいさと目まぐるしい生活を送っています。 Noteにはそんな日々の感じたことを綴っています。

最近の記事

赤ん坊を抱くように、猫を抱くように、鍋を抱きしめる。

「まだ温かい鍋を抱いておやすみ」  著:彩瀬まる どうしようもなく虚しい気持ちで退勤した日、 私は最寄り駅の2つ前の駅構内の立ち食い寿司屋で、雲丹を食べ、生ビールを飲んだ。 居ても立ってもいられないほどお腹が空いていたのでなくて、自分を労わるための小休止のような、食事。 外で闘った物々しい雰囲気を家に持ち込まないための禊のような、 興奮して全身が毛羽立っている自分をブラッシングするような、 パリパリに乾いた心の皮膚を粘膜を細胞を保湿するような、そんな時間。 途絶

    • 甘さも苦さも、それは自分を満たす栄養。

      「バニラな毎日」 著:賀十つばさ 今日はもう何も食べたくない。 何を食べても同じだから食べても食べなくても同じ。 仕事も恋愛も上手くいっていなくて、不安で怖くて眠れない時期があり、そういう風にしか思えなくなっていた。 この頃、“好き嫌いがないから” “こだわりはないから”と相手に合わせてばかりで、自分が何を食べたいのかも分からなくなっていた。 料理をする気力も体力もなく、コンビニで生存維持目的だけの食事をしているだけ。 混沌とした日が続いている時、スーパーで美味

      • 土曜日のステーキ

        いつもの時間に目が覚めた。 目覚ましは鳴っていないことを確認して、目覚ましが設定されていないことを確認して、私はまたタオルケットに顔を寄せた。 二度寝は罪の味だ。肌に当たるシーツの心地よさや瞼を閉じていてもわかる差し込む日光をやり過ごしながら、また眠りに落ちることができる幸福感は格別だ。 3時間後、私は遅めの朝食にヨーグルトを食べた。 最近ハマっている足つぼマッサージを昨晩眠る前に行なった効果か、だるさがなく、身体は軽かった。それだけで得した気分になる。足つぼ、恐るべ

        • My7days.

          1週間が経つのは長いようで、でも瞬く間に朝がきて夜がきて、また次の日を迎える。あっという間な気もする。 似たような日々の繰り返しでも同じ日はなく、それは過ぎ去ってから気づくことが多い。 もうこのまま誰にも気づかれず沈み込みたいと感じる深い夜もある。悲しみと苦しみで溺れる夜もある。 延々と闇の中でうずくまっている、そんな長い長い時間もやがて日が昇り、必ず朝がくる。 光が、眩しさが、夏の湿気と暑さが、風の心地よさが、うっとおしく窓を閉じ、カーテンを閉めて、エアコンをつけて

        赤ん坊を抱くように、猫を抱くように、鍋を抱きしめる。

          自分だけの森を育てる

          暮らしの中に、 人間以外の生き物を招き入れて1年半。 自分の生活だけでアップアップしている中で 植物のちょっとした変化に癒されたり、ハッと我に返らせられたりしている。 植物への水やりや間引き、土の入れ換え。 手入れをしているささやかな時間が生活のリズムを作っていたりする。 私たちは曖昧に過ぎていく日々の中で 成長したり、停滞したり、老化したりしながら、 時を重ねている。 ちょうど植物を育てていたとき、 私は成長していなきゃいけない病にかかっていた。 苦しかった。 先

          自分だけの森を育てる

          過ごしたことがないはじめての時間

          いま、世界中の人々がこれまで過ごしたことがない、 はじめての時間を過ごしている。 Stay home. ひとりひとり置かれている場所や時間、役割が異なるから、stayできない人もhomeにいられない人もいるだろう。 どうかめまぐるしい日々の中でも 一時だけでも 自分の心の中のhomeに戻って ホッと一息つけますように。 home、 そこはおうちじゃなくていい。 身を潜める秘密基地であり、愚痴を吐き出す道端であり、 深夜のネット上であり、昼間からビールを飲む縁側でもい

          過ごしたことがないはじめての時間

          とるかとられるかの追いかけっこ。

          子供のとき、勝負事が苦手だった。 定期テスト、部活の大会、クラス対抗の球技、席替えじゃんけん、受験。 自分に自信がなくて ひとと比べられるのが嫌で ひとより劣っているのを目に見える形で受けとるのが怖くて。 いつもできていることもできなくて ことごとく いまひとつな結果を重ねていたように思う。 社会人になってからも勝負事だらけだった。 私生活、仕事、持ち物、ライフイベント…。 多方面からくるマウンティングに身構え、昇進や職場でのポジション取りに傷つき、虚しくなる人も多

          とるかとられるかの追いかけっこ。

          溢れるいいね!に問いかける。

          いま、いいね!が周りに溢れてる。 美味しいご飯 綺麗な街並の風景 おしゃれなお店 楽しそうな友人との姿 ふと考えたことの呟き 映画の感想 自分の価値観や感性や生活で感じたことを 文字や写真などのかたちあるものにして 世界に問いかけ、共感を得られる時代だ。 例えそれらが日常のいいところ、見られてもいいところ、見せたいところ、だけを切り取っていたとしても、 垣間見えるその人らしさに興味が惹かれ、 「素敵だなあ」「いいなあ」と思う。 私もここに行ってみたいなあ。 今度私もこ

          溢れるいいね!に問いかける。

          光と灯り。

          素敵だな、いいな、と思う人がいて、 でもその理由が言葉にならないときはないだろうか? 私は結構そういうことがあって、 ずっとなんでだろうと不思議だった。 よく行く喫茶店の店主 あまり話したことはない職場の他部署の先輩 初めて行った花屋さんのスタッフさん 外見が好みだとか会話が盛り上がったとか とはまた違って 言葉を交わさなくても その人が取り巻く雰囲気にぐーっと引き寄せられる感じ。 私にはその人がいる場所が 暖かったり明るかったりしてみえるのだ。 私が人に惹かれると

          光と灯り。

          既読スルーにノックする。

          私が小学生の頃、交換日記全盛期だった。 あの子とあの子と3人で回すノートと、また別の子とふたりで回すノートと…、一体何冊あったのか思い出せない。 順番が回ってきたら書いて、書いたらまた次の子に回して。 中学生に入ると手紙と家電と少ししてからメールのやりとりが始まった。 憧れの先輩との手紙のやりとり。仲良しの先輩が間に入って届けてくれたのだけど、ちゃんと手に渡ったのかドキドキし、返事がくるまでの時間も楽しかった。 家電での会話は一層ドキドキした。 息継ぎさえも聴こえるような

          既読スルーにノックする。

          めそめそをもぐもぐ、ごっくんと。

          疲れているとき、なんだか元気が出ないとき、悲しいことがあったとき。 お腹が減っていることに気づかないし、食欲も感じないことが多い。 無理に食べなくてもいいのだけれど、食べずにただ眠ってみても、なかなか思考をダウンできず、頭の中でぐるぐるもやもや考えて、くよくよめそめそサイクルに入りやすい。 以前は、そのうち調子良くなるだろうと適当なものを食べたり食べなかったりして、さらに調子を崩し食べられなくなる…悪循環になることもあった。 疲れが抜けず、元気もなんでか出ない。 そんな

          めそめそをもぐもぐ、ごっくんと。

          がっかりとどっきりと。

          私は、何気なく目にとまって買った本がそれほど面白くなくても「そっか!」で終わるけど、それが同じくなんとなく気になって買った音楽だと「えぇ…残念…」って思う。 このちがいは本に対する期待値と音楽に対する期待値がちがうからだと思う。 好きなんだけど、知識にもセンスにも流行にも自信がないから、音楽の方が恐怖心が多めで、だからがっかりに弱い。 本や音楽に限らず、 ふとつけたTV番組や初めて入るお店、勧められて買った化粧品、たまたま訪れた土地、人との出会い。 それぞれ、 がっか

          がっかりとどっきりと。

          はじめましての回。

          はじめまして。七川 標です。 私は子供の頃から本を読んだり、文章を書いたりするのが好きでした。 小学生の時は交換日記、中学生からは手紙とメール…と普段も話しているのに何をそんなに話したいことがあるのかと思うくらい、勉強そっちのけで友人とやりとりしていたのは今となっては懐かしい思い出です。 携帯を持ち始めてからは各種のSNSを覗いていました。 情報量の多さ・情報域の深さが進んでいく様子にわくわくする半面、恐々ともしました。 そんな情報リテラシー文化の中で私はどう過ごしたい

          はじめましての回。