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#110 「ありがとう」の言語学

感謝の言葉は何語でも素敵だ。その国に行く時に最初に覚える言葉でもある。

Thank you(英語)、Danke(ドイツ語)、Dankjewel(オランダ語)、Ta(オーストラリア英語)、Tak(デンマーク語)、Takk(アイスランド語)、Tack(スウェーデン語)、Kiitos(フィンランド語)、Gracias(スペイン語)、Grazie(イタリア語)、Merci(フランス語)など、子音で始まる語がほとんどだ。

日本語の「ありがとう」のように母音で始まる語は、Obrigado/Obrigada(ポルトガル語)など非常に少数派だ。Ta-Tak-Takk と揃っているのは楽しい!今日は、英語の Thank you と日本語の「ありがとう」を取り上げて、背後の文化をのぞいてみたい。下のサイトでは、45ヶ国語の「ありがとう」が紹介されている。



翻訳はどこまであてになる?

通訳学・翻訳学の先生にはいろいろとお世話になっているので、少し心苦しいところはあるのだが、僕は基本的に「翻訳」をあまり信用していない。さらに、言語は基本的に「翻訳不可能」だと思っている。学術論文を英文で書いて提出するのに、「日本語で書いてから翻訳する」という話を聞くことがあるが、すごい特殊能力だと思う。僕にはとてもできない。言語固有の「主語の立て方」「論理展開の個性」があるので、基本的にどんな文章でも最初に書かれた言語以外には移せないと考えている。完璧な翻訳でも、「外国語から訳した文章っぽさが抜けない」状態は、多くの人が経験していると思う。

しかし、翻訳はどうしても必要だ。ここで懐かしく思い出すのは、映画字幕翻訳の大家、戸田奈津子さんの講演で聞いた話だ。2021年の第50回で残念ながら終了してしまったが、ECC主催の全日本青少年英語弁論大会の全国大会高校生の部に当時指導していた生徒が選抜されて引率した際に、ゲストスピーカーとしていらっしゃっていた。字幕翻訳の世界について、とても面白い話を聞かせてくださった。中でも覚えているのが、映画のタイトルは忘れたが、ギャング映画で悪者が車からガソリンを盗むシーンのセリフをどう訳すか、という話だった。

その悪者は、ガソリンタンクのキャップについたガソリンを少し舐めてみて、

「エクソンだ!」

この映画ご存知の方がいらっしゃれば、教えてください!

と言う。この「エクソン」は石油会社の名前で、少し舐めただけでガソリンのブランドが分かるなんて!というシーンなのだが、日本では「エクソン」といっても通じない。さて、どう訳すか?

翻訳における動的等価性

当時の訳はなんと、「シェルだ!」だった。エクソンとシェルは全く異なる会社だが、この映画のシーンで重要なのは「少し舐めただけでガソリンのブランドが分かるなんて!」を伝えることで、石油会社名を正しく伝えることではない。日本人が馴染みのない「エクソン」という名前を出すのではなく、大抵の日本人が知っている「シェルだ!」とすることにより、「そのシーンを見た時に、頭の中にほぼ同じ状態(=等価)が生じること」を目的とした翻訳だ。

これは翻訳学で、「動的等価性」と呼ばれる。最近ある場で翻訳学の先生が話してくれた例だと、ありきたりの名前だとばかにする意味で、「あいつの名前、ジョン・スミスなんだぜ!」というセリフが出てきたとする。日本人は「ジョン・スミス」(米国で最もよくある名前の一つ)のその意味をあまり知らないので、むしろ「あいつの名前、山田太郎なんだぜ」と訳した方が伝わる、とのことだった(山田太郎さんごめんなさい💦素晴らしい名前だからよくあるのだと思います)。なるほど、「聞いた時に頭の中に同じ状態が再現される翻訳」なのだ。

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Thank you と 「ありがとう」

さて、本題の「ありがとう」に戻ろう。上で書いた「動的等価」の発想では、日本語の「ありがとう」と、英語の「Thank you」は同じ意味だ。でも僕は翻訳はあまり信用しない。なぜなら、この二つはかなり違うことを意味しているからだ。翻訳学的視点ではなく、もっと形式的(「メカニカルに」だ!)な点に注目して、「ありがとう」と「Thank you」を見てみよう。

Thank you には、主語の I が省略されているので、補って I thank you. として考えよう。これはいわゆる SVO の第3文型で、I「わたし」が動作主となり、you「あなた」に対して、thank「感謝する」という動作をするという構造だ。明確な主体と客体の間に動作が入るという、とても欧米的な概念だといえる。簡潔に言うと、Thank you は「(心的)動作」だ。

一方の「ありがとう」はどうだろうか。漢字で「有り難う」あるいは「有り難い」と書くと分かりやすくなるが、これは「今目の前で起きているような(嬉しい・好ましい)ことが起きるのは、なかなかない(有り難い)ことですね」という意味だ。英語に訳すならば、It is rare to happen. といったところだろう。
 そして同じ英語で比較すると、こちらは SVC の第2文型で、「わたし」も「あなた」も登場せず、「目の前の状態」=「まれである」と述べている。簡潔に言うと、「ありがとう」は「状態」だ。

つまり、Thank you が一種の行動であるのに対して、「ありがとう」は状況の説明になっている。この違いは何を示唆するのだろうか?

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何に感謝するのか

では、Thank you と「ありがとう」で感謝している対象を考えてみよう。Thank you では感謝の対象は明らかに「あなた」だ。Thank you と言いながら相手をハグして、背中をポンポン叩く仕草などは、Thank you という心的動作がそのまま身体的動作に発展した感じで、分かりやすい。

一方「ありがとう」の感謝の対象は、簡潔に言うなら目の前の人を含めた「八百万やおよろずの神」だ。例えば、電車から降りる時に誰かが重い荷物を持ってくれた時の「ありがとう」は、おそらくその相手だけではなく、「優しい人がちょうど居合わせた偶然」「乗客が自分だけではなかった偶然」「相手の両手がすでにその人の荷物でふさがっていなかった偶然」など「すべての巡り合わせ」に感謝しているはずだ。意識している、していないに関わらず、これはとても神道的な物事の見方(おかげさまの精神)で、日本文化特有と言えるだろう。

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言霊を信じるならば

日本には口にした言葉が魂を帯びるという「言霊」の発想がある。その精神によるならば、おそらく Thank you と「ありがとう」は言葉の持つパワーの性質が全く異なると思う。相手に感謝のボールを渡すイメージの Thank you に対して、「ありがとう」はとても哲学的で、生き物ではない物事の巡り合わせにまで意識が届いている。「ありがとう」を母国語とする日本人でよかった、と心から思う。

ここしばらく、一人の中国人の友人にとてもお世話になっている。今度会った時には、Thank you ではなく日本語で「ありがとう」と伝えて、その心も上のように説明してみようと思う。

今日もお読みくださって、ありがとうございました✨
(読んでいるあなたに、note という場に、このテーマを思いついたきっかけに、全国大会に出た生徒に、この文章を書く心の余裕があったことに……)
(2024年3月4日)


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