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金魚が、死んだ。




金魚が、死んだ。


ちょうど2歳になったくらい。


一緒に暮らしていた金魚が、死んだ。





2018年9月25日、我が家にやってきた生後4ヶ月の金魚たち。


職場の人が卵から育てたらんちゅうを分けてくれたのだ。


らんちゅうは背びれがなく、ずんぐりとした体が特徴の金魚。検索すると頭がボコボコの金魚が出てくるからギョッとするかもしれないけれど。


↑「ギョッとするかも」の後に「魚だけに」と入れるか悩んで止めた(結局言う)





金魚の飼育は初めてだったので、本をたくさん読んで、インターネットでも勉強して、万全の態勢で迎え入れた。


職場の人には水槽があまり大きくないから3匹くださいと言ったのだけど「どうせすぐ死ぬから」と6匹渡された。


めっちゃ縁起悪いこと言うじゃん…と戸惑いながら、一匹ずつ名前を付けた。


私も「金魚はすぐ死ぬもの」と思っていたし、それなりに覚悟しながら育てた。


しかしそんな心配とは裏腹、金魚たちはたまに病気をすることなんかもあったけど、けなげに生きた。






金魚たちは、とにかく可愛い。






ただ、ひたすらに可愛い。


生きているだけで感謝をしたくなるような生物がこの世にいたのかと、驚くほどに可愛い。


水槽を覗きながら、毎回頭の中に♪なんでこんなに可愛いのかよ~と、大泉逸郎の「孫」の出だしが流れるありさまだ。




余談だけど、BUMP OF CHICKENのButterfliesというアルバムの隠しトラック「TOIKI」に「時にはひとりが寂しいなら金魚を飼えばいい 可愛い金魚を」「金魚は可愛いよ 思い出してもみてほしい 金魚が一度でも君を責めたことがあったかい」という歌詞があるんだけど、これ、本当なのよね。


金魚はいつもただひたすらに可愛いだけで、私のことを責めないし、ただただ寄り添ってくれる。


そして「金魚は私を責めない」と熱弁を奮い、周りに苦笑される日々。気にしない。





私は常日頃、うちの金魚たちがいかに可愛いかを説いた。


金魚が死んだら私も死ぬ!とメンヘラよろしく語り続けた。


私が「家に帰ってくると金魚たちが笑顔で駆け寄ってくるんだよ!」と言っても、


誰も「金魚が笑うはずがない」「おなかがすいているんだね」なんてことは言わなかった。


自分でも金魚愛をこじらせすぎて何を言っているかわからない時があったが、周りはニコニコと聞いてくれたので本当に感謝しかない。暖かい目でみるとはまさにこのことだ。いや、「生暖かい」目か?







そして金魚たちが2歳の誕生日を迎えひと月ほど経った6月25日、育てている6匹のうちの1匹、「あかみ」という金魚が死んだ。





仕事に行く直前に気付いたので、一気に色んな気持ちが駆け巡った。






あかみを水槽の外に出さなくては

水質が原因なら他の金魚たちに影響が出ないように一刻も早く水を替えなくては

今日は仕事を休む?

もし休んだら今日が期限のあの仕事とあの仕事はどうなる?

クライアントとの約束はどうなる?






結局、あかみを網ですくって、包むことしかできなかった。





ボロボロ泣きながら仕事に向かった。


大人ってつらいな、と思った。


こんなに辛いのに、なんでもないみたいな顔して仕事しなくちゃいけないんだ。


こんなに辛いのに電車で泣いちゃいけないんだ。





とはいえ、電車でもバレないようにボロ泣きしたし、仕事中もバレないようにボロ泣きした。


あまりに鼻声なので周りにはバレたけど、単に風邪気味として処理されたのはありがたかった。






職場の人にはあかみのことは言わなかった。


理解されないと思ったからだ。


それもまたつらいな、と勝手に思った。







朝に連絡を入れた友人らからLINEがポツポツと返ってきた。


一緒に悲しんでくれた。


あかみも一緒に暮らせて幸せだったと思うよと言ってくれた。





そして一番心に残ったのが「身内が亡くなるのはキツイわな」と言ってくれた友人だった。





私はまさか金魚に「身内」という言葉を使ってくれる人がいるなんて思ってもみなかった。


金魚という生き物は犬や猫と違って命を軽視されているものだと思っていた。


下手したら「まだ5匹残っているじゃない」と言われても仕方ないものだと思っていた。






なのに、誰一人あかみの死を軽視しなかった。









金魚の命を軽視していたのは私の方だったんじゃないかと、思い知らされたようでまた泣いた。









その日は仕事後の予定をキャンセルして帰り、他の金魚たちのために水を替え、あかみを埋葬した。


やっぱり死ぬほど泣いたけど、ちゃんとお別れできてよかったと思う。







もう一つ救われた言葉がある。


金魚が死んだと伝えたとき、一人に「仕方ないよ」と言われた。


すごくドライだな思ったけど、


「それだけちゃんと世話して死んだのなら、寿命だったんだよ」


「水質管理もしないで死んだならそれは君が悪いけど、そうじゃないでしょ」


「本当に水質どうこうで死んだなら、みんな一気に死ぬはずだよ」


そう言われて、ドライなようで的を射ているこの意見にとても救われた。


そうか、寿命だったのか。そう思うと少し考え方が変わった。


ちゃんと水質を管理できてなかったんじゃないか、病気だったのならどうして早く気付いてあげられなかったのか、などと自分を責めるのはやめた。


残された金魚たちを大切にしようと思った。






あかみのことは忘れない。


おかっぱ頭のような柄で、他のみんなより少し体が小さくて、ただひたすらに可愛いあかみのことは忘れない。







私も他の人が一緒に暮らしている生き物たちの死を同じように悲しむことはできるのだろうか。


どの命も平等に、軽視せずに扱うことはできるのだろうか。


あかみの死を前にしても、まだ自信がない。情けない話だけど。





人が大事にしているものを同じように大事だと思える人間でいたいなと思った。周りのみんながそうしてくれたように。





こんな長い文章、誰も全部読んでいないと思うけど、もし読んでくれた人がいるなら本当にありがとう。


ただの自己満だよ。わかってるよ。


でもたまにはいいかなって。弔いのつもり。



くよくよしないで、頑張る。


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