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FUJIFILMのコンデジXF10を買ってよかったという話 【レビュー】

今年のはじめにFUJIFILMのXF10というコンパクトデジタルカメラを購入した。

そしたらすごくよかった。スマホに高性能なカメラがつくようになって専用の道具としてのカメラが生活の必需品ではなくなって久しい今日この頃だけど、やっぱりカメラはいいもんだぞと思った。

2018年8月発売のカメラで、今更詳しいレビューを求めている人も多くはないだろうし、何よりわたし自身がそこまでカメラに詳しいわけでもないので、詳細なスペックやらは抜きにして、どうして購入に至ったか、そして購入後の1年間どんな風に自分の生活が変わったかを書いておきたいと思う。

購入に至るまでの経緯

文化人類学を専攻する院生であるわたしは、もともと現地調査用のカメラとしてPENTAXのQ-S1という物凄く小さいミラーレス一眼カメラを使っていた。かさばらないし目立たないから海外で使うにも気軽だし、その上一丁前に他の一眼と同じ様にレンズが交換できるから気に入っていた。このnoteに載せている香港の画像も全てこのQ-S1で撮ったものだ。

が、なにしろ本体が小さい分デジタルカメラの画質をつかさどる心臓部であるセンサーもとても小さいので、特に光の少ない夜や屋内での撮影には限界があった。2014年発売のカメラなのでスマホへの転送なんかもできなかった。シリーズ全体がどうやら開発終了しているらしく、新商品も期待できない状況だった。

だから今年のはじめ、新しい調査用のカメラを買おうと思い立ったのだった。

カメラ探しの条件として定めたのは以下の3つだった。
(1)普段使いのカバンに入れて持ち歩けるくらい小さいこと
(2)スマホを超える画質で撮れる=大きなセンサーサイズが載っていること
(3)お手頃価格であること

(1)はQ-S1と同じような、普段からカバンに入れて何かシャッターチャンスがあったらパッと取り出すという使い方をしたかったからだ。

(2)もQ-S1からのステップアップを狙う以上外せなかった。が、コンパクトなカメラの多くは当然ながらセンサーサイズも小さいものが多いので(1)との兼ね合いが難しくなる。

そこで白羽の矢が立ったのがXF10だった。これはレンズを交換できないコンパクトデジタルカメラ(いわゆるコンデジ)で、カバンどころか上着のポケットくらいなら楽々入ってしまう手のひらサイズのカメラでありながら、一般的なコンデジ(やQ-S1)よりはるかに大きい、一眼の入門機なみのAPS-Cというサイズのセンサーを積んでいる。その分レンズはズームもできず広角(フルサイズ換算28mm相当)に固定のいわゆる単焦点レンズだけど、それはそれでどこか玄人っぽくていいと思った。

が、正直なところ最終的にこのカメラの購入に至った理由は(3)の値段のお手頃さだった。XF10と同じようなコンセプト(小型、APS-C、広角単焦点)のカメラには、例えばプロにも愛好家の多いらしいRICOHのGRシリーズがあった。RICOHはQ-S1の発売元でもあり、操作性も似ているだろうから乗り換えもしやすいだろうと思ったけど、最新機のGR IIIは10万円近くして手が出なかった。

その点、XF10は同じセンサーサイズで似たようなありながら値段は5万を切るほどで、とてもお得に感じられたのでこちらを購入した。

フジの色にやられる

そんなわけでこのカメラについては、最初は正直なところ「GRの安い版」くらいの印象しかなかったから、この機種ならではのメリットは特に意識していなかった。そもそもFUJIFILMはあくまでフィルムメーカーという印象で、恥ずかしながらデジタルカメラを出しているということすら存じ上げなかった。

だからFUJIFILMのカメラがフィルムメーカーならではのこだわりを反映した印象的な色表現で多くのファンを獲得しているらしいことも当然知らなかった。

実際に使いはじめてみると、そんな予備知識のない上にセンスのかけらもないわたしにもはっきり「いい色だなあ」と思える写真が出てくるので驚いた。鮮やかな色からしっとりとした少しノスタルジックな色まで、とにかくなんだか雰囲気のある写真が撮れると感じた。シャッターを切ったあと表示される画像が、素人ながらに思った以上に「いい感じ」で思わずハッとすることも何度もあった。

(以下、掲載写真は基本的にカメラで撮影したままの「撮って出し」)

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特に「クラシッククローム」というモード(「フィルムシミュレーション」というフィルム製作のノウハウを生かしたFUJIFILM独自の画質調整機能の一つで、詳しくは他に解説してる人が山ほどいるので探してみてほしい)は絶品で、日常の場面を適当に切り取ってもいい感じに仕上げてくれる。

ついこの前まで存在すら知らなかったのに、XF10で写真を撮り始めてすぐに、わたしはこのメーカーのデジタルカメラを使う魅力に取り憑かれてしまった。

カメラと過ごす新しい日常

そんなわけでわたしは、このXF10というカメラが写し出してくれる景色の虜になった。残念ながらその後の世間は皆さんもご存知の状況となり、香港への渡航もできていないから当初の目的である調査にこのカメラを使うことはできていない。

でもこのカメラを使うことが楽しくて、可能な限り色々なところに出かけた。しばらく東京に住んでいながらなかなか行けていなかったような場所へも、新しい景色が撮りたいというだけのために足を運んだ。

出かけることがあまりできなくなってからも、家の中の何気ない風景を撮ったり、被写体を求めて近所をひたすら歩き回ったりした。

通勤や通学が再開されてからも常にカバンにはXF10を納めて、可能な限りシャッターを切った。XF10を購入してからのこの1年、カメラを持ち歩かず外出した日は一度もなかったと思う。XF10のおかげで、カメラは私にとってマスクや消毒液と同じくらいに新しい生活の必携品になった。

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最後の写真は2月ごろの渋谷で撮ったもの。この頃はまだ街に海外からの観光客らしき人々の姿を見かけたっけ、なんてことも写真を見返していると思い出す。みんなの日常が一変してしまったこの1年だからこそ、カメラで記録できた日常の景色からあらためて考えさせられることも多い。

あまりにも日常を晒すことになるのでここでは公開できない多くの画像を含めて、どの景色も当たり前すぎてカメラを持っていなかったらあえて撮ろうと思っていなかったであろう景色だけだ。

行きたい場所があって、撮りたい景色があったわけではない。ただこのカメラで撮りたいという気持ちが先にあって、だからこそシャッターを切れる場面を探した。XF10はそんな気持ちにさせてくれるカメラだった。

今あえてカメラを持つ理由

「スマホでもキレイな写真が撮れるのに、なんでわざわざカメラ買うの?」という疑問に対して、カメラ愛好家にはそれぞれの答えがあると思うけれど、わたしにとってはこの「カメラに撮らされる」感覚が大きかった。

スマホのカメラアプリもミラーレスやコンデジなどの専用機もデジタル写真が撮れるという機能においては変わりはない。もちろん専用機には画質の面で、つまり撮れる画像データの質という点で優位がある(はず)。が、その差もスマホのソフトウェア技術の進歩によって縮まりつつあり、もうすでに多くの人にとっては感じられないほどになっているかもしれない。「スマホで十分キレイ」なのだ。

特にXF10は画角もスマホの標準レンズとほぼ変わらないし、ズームもできない。広角レンズや望遠レンズなどレンズが複数ついた近年のスマホと比べれば、機能面では劣るとも言える。それにコンパクトとはいってもスマホよりは大きいし、カメラとしては比較的安価な5万円前後という値段も、スマホでの写真撮影に満足している人にとっては十分に高いだろう。

でもわたしにはこの1年間、このカメラを買っていなかったら撮っていなかった写真がたくさんある。

たぶん美しい景色や面白い物に出会ったらスマホでも写真を撮っただろう。でもスマホを持っているだけでは、被写体を求めて遠出したり、あるいは家の中や通勤途中に夢中でシャッターを切ったりすることもなかっただろうと思う。

いつでも持ち歩くスマホと違い、カメラはわざわざ写真を撮るために持ち歩くものだ。でもだからこそカメラを持って外出すると「せっかくカメラを持っているのだから」と何か撮るものを探しながら世界を見るようになる。

文化人類学では、こんな風にモノが人間の行為や認識に働きかける力のことが「モノのエージェンシー」と呼ばれて研究されたりしている。でもそんな難しい言葉を使わなくても、実際に多くの人が日常で感じていることだと思う。新しいノートを買ったから日記を書き始めてみたり、新しいイヤホンを買ったからいつもよりも音楽を聴くようになったり。何かお気に入りの道具がある人は、もし急にそれが見当たらなくなってしまったとしたら、たとえよく似た機能の道具が手元にあったとしても、決して同じような気持ちでは作業に臨めないだろう。

こんな風にモノが与えてくれる体験こそが、メモでも音楽鑑賞でも写真撮影でも、スマホでなんでもできる時代に、万年筆やレコードやフィルムカメラが細々と愛されている、しかもそうしたアナログな道具とは無縁なはずのデジタルネイティブ世代の間で新たな価値を見出されている理由なんじゃないかと思う。

可能性として何かができることと、それを実際にすることの間には大きな差がある。たとえ写真が撮れるスマホを四六時中持ち歩いていても、実際にシャッターを切らなければ何の画像も記録されない。

なんでもできる便利な時代だからこそ、一つの作業にしっかりと集中させてくれる、その作業へのモチベーションを高めてくれるような道具が愛されているんじゃないだろうか。

XF10はそんな意味で、わたしが写真を撮るモチベーションを飛躍的に高めてくれるすばらしい道具だった。

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(撮った写真をあえて印刷してみると、また違った形で写真と向き合える。
これもまたモノとしての写真が与えてくれる特別な体験だろうと思う。)

唯一の誤算……

しかしこのカメラを買って、誤算だったことが一つだけある。購入から1ヶ月後に新しいカメラを買ってしまったのだ。

といってもXF10が気に入らなかったわけではない。むしろこのカメラを手にしたことでFUJIFILMのカメラが与えてくれる体験の虜になりすぎてしまい、同社のミラーレスカメラX-E3を買い足してしまったのだ。

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値段の安さだけで買ったXF10のおかげで、当初「高いから」と敬遠したGR IIIとあまり変わらない値段のカメラを購入したのだからなんとも不思議なものだ。しかもぽんぽんとレンズまで買い足してしまった。いや、カメラ愛好家の言葉を使えば、気づけばレンズが「生えて」いた。これも「モノのエージェンシー」のなせる技だろうか、あるいはただの散財の言い訳だろうか……。

確かなことは、このXF10を買っていなかったらわたしの2020年は大きく違ったものになっていただろうということだ。この1年、わたしの日常には常にXF10か、その影響で買ったX-E3がいた。本格的に撮りたい気分の時にはX-E3を下げて、それ以外の外出にはカバンやポケットの中に懐刀としてXF10を忍ばせて。

この2台がなければ行けていなかった場所もあるし、見られていなかった景色もある。陳腐な言い方だけどもそんなプライスレスな体験ができたから、誰がなんと言おうとも、いい買い物をしたなと思っている。

来年はもっといろいろなところに出かけたいし、何よりもカメラを買い替えた当初の目的である香港への調査に出られたらもっといい。その頃の日本や世界や香港がどんな風になっているかは全く想像もつかないけれど、この2台と一緒にまた新しい景色を見られるのなら、今からとても楽しみだ。

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