★温故知新

私が好きな諺に「人間万事塞翁が馬」と「禍福はあざなえる縄のごとし」がある。

どちらも。「幸不幸は交互に訪れる。幸福が不幸の契機になったり、不幸が幸福の入口になっていたりする。その只中にいる時には分からない」と言う意味である。

この三日間、10年ぶりに持病の発作(と言っても命に関わる病気ではありません)で休んでいる。10年前に初めて発作が起きたときは、学校では無く教職員研修センターで研究生という仕事をしていた。別の文章に書いたが、その時は慇懃無礼な指導主事と闘っていた。その指導主事の、いわるゆるパワハラ的な、余りに失礼な物言いにムカついて、何度も言い合いになった。しかし、学校では無かったため、業務の調整は容易で、有給が取りやすかった。

そして今年も、学校ではあるが、校長からパワハラを受け、特殊な授業を命令されている。面と向かった言い合いは10年前よりは少ない。そのため、まもなく実施される中間テストに私は無関係。出題も無ければ採点も無いというパラダイス。これまた、10年前と同じで有給も取りやすい。

現在は、偶然にも10年前と環境が酷似している。どちらの場合も、トリガーは過度な対人ストレス。

そして、これまた、神さま試験だなぁと私は感じている。

10年前は、次年度、元の学校に復帰して、翌年、区内異動、明日の教室東京分校という若手教師のための教育セミナーを立ち上げ、延べ60回実施。環境書道席書会の実践で東京新聞教育賞を受賞。区の仕事で執筆した、勤務校隣の都立航空高専の学生が製作した人工衛星の話が、全国版道徳副読本に採用という展開があった。それは、研究生の時に開拓した、「水道橋大衆酒場合掌」という居酒屋で実施した「合掌の会」という怪しいネーミングの異業種交流飲み会がきっかけになった。(因みに、「合掌」はオーナーの名字である)

人生経験に無駄はないなぁとつくづく思う。今回の発作も1回目があったから最短で最適な治療が受けられた。

さぁて、今回は今後どのような展開が待っているのか。少しずつその兆しは見え始めている。楽しみである。


学校教育には矛盾がいっぱい!