成長の実感、自己分析

当時高3で受験勉強真っ盛りの時にこのnoteを始めた。

一浪を経て大学に入り、これまた沢山の人達と出会い話を聞いていると、自分は周りよりも精神的に成長してるなと感じる事が多かった。

理由のひとつとしては、経験の差があると感じる。大体自分が話を聞くのは、ストレートで大学に来た年齢がひとつ下の人達であるため、1年分の差がある。多少の差といえなくもないが 、20代目前の1年の差は結構ある気がする。かと言って、別に浪人期間で沢山の経験を積んだ訳でもないが。自分が経験したことに似たようなことがあれば、それについては共感でき、何らかの意見を持つことが出来る。また過去の自分と重ね合わせるため客観的な視点が生まれるので事象の正確な分析にも役立つ。聞き手として1歩引いた視点の答えができてる?理由は多分これだろう。

もうひとつは、比較的感情的になりにくいことがあると感じた。大学に来てから落ち着いていると言われる機会が多くなった。これは精神の安定性が与える印象だと思う。身の上話になるが、中学は明るい性格だったのに対して、高校前半でかなり病む機会が多かったからか、気持ちが前にでてることが今より多かった。そこから、浪人時は宅浪で常にひとりで行動してたため自分と向き合うことが多くなり、自分の気持ちとの付き合い方を覚えたからか、精神の安定度が爆上がりした。これによって自分の幸福度もかなり上がった。友達が、目の前の出来事で目1杯になって感情的になっている様子は昔の自分もこうだったのかなと思い出す。自分の幸福度をあげるのも精神的成長に繋がるのかもしれない。

そして、人からの不幸、幸せ話を聞く事で自分がなぜこんなにも幸せに?生きて行けてるのか不思議に思った。

考えた結果、主に私の楽観的思考と、人に無関心(期待をしていない)なのが大きく関係していると感じた。

私は生まれつきか、それとも小中学生の友達のほとんどが自分より楽観的だったのが原因か、それとも両方か、分からないが楽観的である。多少準備不足でも上手くいくと思ってるし、成り行きでなんとかなると思ってる。ただ、別に失敗をしないための準備や計画をしない訳でもない、ちょうど良い感じだといつも思う。だから大きな失敗はないし、なんとかなっている人生だ。未来に大きな不安は抱かないし、人間関係だって上手くいくと信じてる。

この楽観的ほどではないが私は一定の程度で人に無関心だ。言い方を変えると自己中心的と表せることも出来る。しかし、世間一般で使われている通りの意味ではなく、そこから人に迷惑をかける部分を引いた感じだ。自分の好きな物、楽しそうな事には興味を持ち、積極的だが、それ以外となるとほんとに無関心だ。理解不可能な行動や性格を見ても99%は「そういう人もいるよね…」で済ませてしまう。最近これはギャルマインドに近いなと思った。

このふたつのマインドは生きていく上でどんな状況においても大事だ。これからはさらに他人との関わりを増やして多面的な視点を持った状態で自分の内面と話し合いを続けてさらに高度(硬度)な自分を確立していきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?