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此処より何処かへ

 鳥の苗族【とりのミャオぞく】と呼ばれる部族が居た。
 鳥というのはあの空を飛ぶ鳥のことだ。車では到達できぬ高山に住み、暮らす部族だ。
13年に一度の大祭・鼓藏节(guzangjie)では、飼っている水牛の首を全て切り落とし生贄として捧げ、家紋を染め抜いた高い高いのぼりを、神がよく見えるようにと空に掲げる。
 村の男たちは妻や母が1年も掛かって刺繍した着物を身に着け、藍色のろうけつ染めのターバンを頭に巻き、鳥の風切羽で腰回りを装飾し…鳳凰に見まごう程に壮麗に着飾って、祈りをささげるそうな。
 百鸟衣(bainiaoyi)と呼ばれるその衣装を身にまとった若者たちの姿は、それはもう歌舞いていて、その表情にも生きる喜びと自信が現れていて、素晴らしいとしか言いようがない。

 厳しい自然と共存する彼らの住む地に、物見遊山に来た日本人の私。彼らと私は同じ時代に、同じアジアに存在する者同士というのに、かたや飛行機に乗りタブレットをいじり、かたや御伽噺のような1000年前の風習の中に真に生きていた。


貴州でみかけた親子



 ガイドからはこんな話も聞いた。
 そこまで昔ではないある時(おそらく2000年代)、苗族のあまたある高山集落のうちのひとつに、欧州から民俗学者がやってきて、住み込みで調査し始めたそうな。目的の調査を済ませ帰国する際、学者は、ある1人の苗族の娘を母国へ留学するよういざなった。
 聡明で美しい彼女(村長の娘だった)には、婚約者がいたらしい。婚約者の男はいかせたくないようだったが、一二年で帰ってくるからと、娘と学者に説得され、しぶしぶ承知した。
 2年の留学でさまざまな経験を積んだ娘は、欧州の言葉・知識はもとより、開かれた世界の価値観を身に着け、そして故郷・貴州に帰ってきた。
するとどうだろう。婚約者の男と全く話が合わなくなっているではないか。嫌いあってるわけではないのに、もはや全然話が合わないのだ。それどころかその娘は、故郷の暮らしや結婚生活の何から何までに違和感を感じてしまい、その思いは日に日につのり、結局ふたりの結婚は破談になってしまったということだ。

 これを聞いて何を感じるか、人により異なるとは思うけれど…。
 中国で過ごしていた二十代の私にとって、いちばん印象に残った話のひとつだ。 
 


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